松村知也、猫が大好きな爺さん

自身の忘備録です、日記風の記述だが政治的な意見や専門領域(電子工学・品質管理)の記述は意図的に避けています。

短命なご先祖様のこと

2018年02月26日 | 親戚
結婚と同時に本籍を山口県光市室積から神奈川県に移動した、そして金婚式を迎える一昨年になると前述の本籍に関わる人は誰一人存命するものはいなくなり寂しくなった。せめて菩提寺とのご縁でも切らさずにいられたら救いもあったのだろうが、救いとは自分のご先祖さまが何処から来てどこに住みついたのか、くらいの事を明確に伝えることは生き残った人間の務めではないかと思うからである。そこで松村家であるが、その素性は明確ではない。まあ日本のほとんどの家では4代遡って先祖が何をしていたかなど明確にできる家など多くはないと思われるが、私の祖父は植民地に移住して彼の地で夭折したのだが彼の素性や先祖のことなど戸籍謄本の除籍簿の記載を見ても3代前までしか辿れない。先祖の悪行の報いなのか、あるいは遺伝子のせいなのか松村家はみな短命で古稀を迎えたのは私が最初の人物だ、ちなみにご先祖様親兄弟の寿命とその死因を列挙すると、祖父の松村芳太郎は事故死で52歳、父の松村俊雄は上顎癌で62歳、叔父の松村正は事故死で43歳、弟2人はともに癌で65歳と69歳で逝っている。そこでここから先は想像というか創作であるが当家の宗旨が西日本では極めて少数派の曹洞宗という事から室町時代末期に関東から安芸国(広島県)に大挙して移住した野伏の一団ではないかと思う。いやというか前述の事象は頻繁にあったらしい、かの菩提寺の過去帳などから推察すると水先案内や船による戦闘を生業とし戦国時代、我が松村家の先祖は五軒屋五人集と言われる海賊グループの親玉で海岸を通行する船から金品を巻き上げたり、一攫千金を夢見て江戸時代初期には小舟で日本海を経由して蝦夷地の探検などもやっている。曹洞宗の人々の分布を俯瞰すると圧倒的に関東以北が多数派だ、某電子機器メーカーを60歳で定年退職して70歳までの10年間は全国を出張して回る仕事をした。また前述のメーカー勤務のころも転勤で東北地方を転々としたが、東北地方の宗旨は曹洞宗が圧倒的に多い。という事は仏教に帰依したがらない多神教の神信心の母系種族で肉食の遊牧民か大陸の騎馬民族を遠い先祖に持つB型の血液型の要素が多い蝦夷の分布がこの地域では多数派だったのであろう。そして東北や坂東を食い詰めたこれらの種族の一部が米作の肉食を禁ずる温和な人々が暮らす西日本に移住して傭兵として周囲からは厭われながら戦闘を生業とする集団を形成していたのではないだろうか。

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