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いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

対局日誌~1~

2018-10-13 19:15:09 | 対局日誌
今日は、将棋を指してきた。
地域の将棋サークルである。
相手は91歳の人だった。

戦型は、相居飛車。

将棋は入玉模様となり、
わたしが、入玉(道を歩いていて、キチンと歩道を歩けるようになるようなもの)
できるかどうか、
が勝負となった。
つまり、将棋では、玉が相手の陣地に入ってしまえば、
なかなか負けなくなるのである。

ぎりぎりの1手違いで、入玉を果たせず、
惜しくも敗れた。
しかし、
91歳にして、なお公民館まで
自転車で来るひとである。
健康なのだ。
最後に、ニコリとして、
〇〇〇〇と、つぶやかれた。

よく聞こえなかったが、
「せんせい」だったかもしれない。
将棋では、相手のことを大事にする人が好かれる。
わたしは、ひとめで、彼のファンになった。

大学の選び方~西高東低~

2018-10-13 08:01:38 | 人生
ほとんどの人が大学や専門学校に入る時代になった。
専門学校の場合はあまりにも多様で、
選び方の難しさは、
大学の比ではない。

大学。
大学のコマーシャルは多い。
「うちにいらっしゃいませ」とのメッセージ。

みんなが迷う。

実態を知っていいるから、
みなさんがんばってください、というしかない。

ただ、言い古されていることがだが、
偏差値にとらわれてはいけない。
偏差値にとらわれて、その高い大学に入って失敗することは、
当たり前になっている。

「西高東低」
の時代である。

高校の選び方

2018-10-13 07:41:42 | 人生
私立中学や中高一貫校で学んでいる中学生は別だが、
中学生が高校を選ぶときは、
迷うことが多いだろう。
今は、情報が多いので、
選び方も様々である。


釈迦に説法だが、
くれぐれも偏差値に踊らされないようにしてほしい。
偏差値が高い高校の方がその生徒にとっていいかどうか
わからないからだ
スクールカラーや指導理念をよく検討し、
なんども志望校までおもむいて、
慎重に考えるのが良い。

偏差値が高くても、ガチガチの優等生を育てる高校より
偏差値が低くても自由で全人的な高校の方が優れている場合は、
いくらでもある。

大学選びの時も、そうだが、偏差値におどらされないことである。

大学は、「西高東低」といわれている。

わかりますよね。


読書ノススメ

2018-10-13 05:59:06 | 読書
読書は好きだ。
金がかからない。
いつでもできる。どこでもできる。

高校に入った時、ショックを受けた。
クラスメートが、みんな、驚くほど
たくさん本を読んでいるのである。
すっかりコンプレックスをもってしまった。
わたしが、まともに読んだ本は、
当時全部で3冊くらいである。

それで、本を読みはじめた。
特に文学書。
学校の勉強はそっちのかで、
読書に熱中した。

で、1学期の成績は、42人中41位であった。

さすがにそれからは少しは勉強するようになったが、
文学書の読書は、ずっと続いた。

机の前には、「読書、読書!!」
と紙をはった。


当時国鉄(今のJR)職員をしていた父が、
「ええことじゃのう(いことだな)」
とほめでくれたことで、
ますます火が付いた。

で、数知れず本を読んだ。
今までに読んだ本の数は、もう忘れた。
「たくさん、たくさん」
である。

社会に出るとなかなか時間が取れないので、
専門書以外は、あまり読めなかった。

今は、ゆっくり時間の取れる境遇にいる。
で、

文学書もたくさん読むようになった。
「自称詩人」
であり、
「文学老人」
である。

ジャンルは多岐にわたる。

青年時代の読書のおかげで、
本を読むのが苦にならない。
本は、書店でもアマゾンでも買える。
図書館には、多くの良書が所蔵されているから、
利用する。

読書は楽しい。

読書好きの青年増えてくれると、うれしい。



怒りをおさめなさい

2018-10-12 21:45:40 | 人生
ある教典に、
「怒ってはいけない、怒っても、次に会うまでに怒りをおさめなさい」
という言葉が載っている。

宗派は知らない。でも、いい言葉だと思う。

誰だって、どんな聖人だって、腹の立つことはある。
神様や仏様ではいのだから。

ある教派では、神様も怒る、と教えられているが。

1日怒ったら、帰ってから、気分を変え、
反省してみる。
それでも怒りがおさまらないなら、
もう1日待ってみる。

赦せるようになるまで、会わない。

わたしは、そういう主義である。

どんな人が弁護士に向いているか

2018-10-12 19:56:43 | 学問
どんな人が弁護士に向いているか。
わたしたちの仲間では、定説がある。

なんのことはない、「普通の人」がいい、ということである。
小さい頃からエリ-トで、なにをやっても1番、
劣等感なんかは(表面上)なかった、という人は、向かない。
普通のガキで、いたずらっ子、ガキ大将、勉強はそっちのけ、
という人がいいのである。
その方が、本当の「常識」が身に就く。
仲間でつるんで、こっそり無賃乗車をした、
とか、
「1000人切り」を宣言した、とか、
いたずらっ子であった方がいい、
というのである。

実際、わたしの小学校時代、
ガキ大将で、いたずらばかりしていた、
という男が、
現在20人の弁護士を雇う大弁護士になっている。

わたしは、真面目一方だったので(弁護士には向かない)、
よく彼にからかわれた。

わたしは、頭も悪く、成績も最悪であった。

あるとき、彼のからかいに怒って、殴ってやろう、と決め、
放課後、探したが、いない。
わたしが、腕力が強く、
まともに相手にしたら、
ノックアウトされる、
と読んだらしい。

そういう男や女の方がいい、
というのが、わたしの実感である。

わが愛機は老齢だけれど~味のあるパソコン~

2018-10-12 08:06:31 | パソコン
わが愛機は、10歳である
専門の方なら、ご存じなのだろうが、
たぶん、もう人間で言えば、
老年期に入っているだろう。
60歳くらい?
で、時々ストを起こす。
なかなか立ち上がらなかったり、
サイトに行けなかったり
やけに移動に時間がかかったり。

しかし、手放す気にならないのである。

ひとつめの理由。
パソコンに詰まった情報をすべて移すのは不可能だから。
貴重な情報は多い。

ふたつめ。
よく、壁紙がかわる。世界の美しい名所、情景が、
日替わりで出てくる。

みっつめ。
ネットでインストールしたソフトが新しいパソコンに移行できない。

で、だましだまし使っている。
サイトへの移行が遅いときは、
本でも読みながら、じっとまつ。
サイトが表示されないときは、
再起動をかける。

こうやって凌いでいる。

80歳まで働いてもらう。
高齢化社会だから(笑)。

2時間の熱戦で1キロやせる

2018-10-11 22:30:30 | 人生
月に1度通う、「佐伯九段将棋サロン」に行ってきた。
最初に当てられたのは、同業の大先輩。
同じ段位である。
これが、大熱戦になった。
実は、前回のサロン終了後の茶話会で
短歌(柿本人麻呂)の作品の話で盛り上がり、
1時間談笑した。
で、好きな相手、
技術的なライバルとは、
徹底的に戦いたくなるもの。
敵の角換わり四間飛車の注文に、
角交換を拒否して相振り飛車に。
大長考の応酬となった。
26飛車と走られて、
27歩と受けたら、
10分を超す大長考。
ならば、とこちらは、次の1手に15分の長考。
こうして、戦いは抜き差しならぬ熱戦に突入した。
ともに、トイレに立つこと2回。
だんだん頭がくらくらしてきた。
それでも闘志をかきたて、
ついに2時間を超す熱戦となった。(1時間半、と思っていたら、2時間を超えていた)。
結果は、わたしの負け。
負けたが、ちっとも悔しくはなく、
さわやかな気分になった。
プロ棋士は、1局指すと2キロやせるという。
身に沁みてわかった。
帰って、体重を計ったら、1キロやせていたのである。

山奥の分校でアコーディオンをひきながら~二十四の瞳と~

2018-10-10 21:58:05 | 人生
信じてもらえないかもしれないが、
青春時代に夢が2つあった。
2つめはともかくとして、
1つめは、山奥の小学校の分校で、
アコーディオンをひきながら、
二十四の瞳と
毎日過ごすことに憧れたのである。
ただ、音痴なので、子どもの前で歌うことができない。
切なくも懐かしい思い出である。
どうした拍子か、別の学校種
ではたらくことになってしまった。
いまでも、そうした思いはあるが、
現在の実情から見て、 
もうそんなのんきな職場はないかもしれない。
実際にそうした小学校の先生がいらしたら、
心から尊敬する。

代わりに、図書館で、
子供向けの本の読み聞かせをすることを
本気で考えている。
もう、相手は孫のような子どもたちだから、
おもしろいジイサンがきたら、
喜ぶかもしれない。

今日、図書館で1歳から6歳の子どもへの
読み聞かせを見学させていただいた。
聞く方が楽だから、
子どもと一緒に聴いた。
楽しかった。

これからどうなるか。
わたしにもわからない。

子どもは好きである。

輪島死す~巨人大鵬卵焼きから広島白鵬ハンバーグへ~

2018-10-09 20:03:46 | スポーツ
昭和の大横綱輪島が死んだ。
1時代を画した男である。

で、相撲と野球と食べ物の話をする。

バブリーな時代、
「巨人大鵬卵焼き」という言葉があった。
子どもたちはみんな同じように

強い巨人
強い大鵬
おいしい卵焼き(これがごちそうであった時代があったのだ!)

が好きだった。
当然のように。
ある意味で、画一的な時代であった。

今なら、

強い広島
強い白鵬
おいしいハンバーグ

ということになろうか。

しかし、そういうと、たいへんな的外れになる。

今の子どもたち、若者の好みは多様化している。
昔と違って、画一的な表現はできない。

多様性の時代である。

子どもに選択肢の多い時代。
それゆえ、生きてゆくのが難しい時代でもある。

今の若者たちが、人生行路で、
われわれと同じような豊かさを享受することは難しいといわれる。

福祉や介護の問題。
などなど。

みんな知っていることだから、もう書かない。

「平成最後の2年間」を、
後世はどのように評価するだろか?











アマチュアと将棋を指すということ~93歳の知恵~

2018-10-08 20:52:23 | 将棋
今日、地域のサークルで、
将棋を指した。

指導者に1局教わった。

勝ち負けなど関係ない。

相手に応じて指す、とはどういうことか。
指導したり、されたりするとはどういうことか。
それを教えてもらったのである。
これまで、数局、拝見した。

相手は、
高段者から初級者、
おとなからこどもまで。

どの将棋にも、温かさが感じられる。
棋力、性格、技術、を踏まえたうえで
対局されているのがよくわかった。

子どもに教えるとき、
「わたしが」
という言葉を使われるのが印象的であった。
アマチュアの初心者を教えるとき
自分のことを
「おじさんが」
とか
「おじいさんが」
と話される方が多い。
それはそれでよいのだ。

ただ、「わたしが」
というとき、相手は「あなた」
である。
つまり、1対1の「個」の関係を
を尊重しているのだ。
大切な「あなた」
そして、
「わたし」

わたしが、勝ち負けでなく、
「アマチュアとしてどういう将棋を指すべきか」
を追究していることは、先刻ご承知であろう。
そういう人である。

93歳の知恵。

子どもを指導するときは、
ためらわず
「わたしは」
と言おう、
と決めた。

将棋の原点ははさみ将棋にあり~内藤國雄九段の説~

2018-10-08 09:26:28 | 趣味
プロ棋士の内藤九段が、現役の頃、
「将棋の原点ははさみ将棋にあり」
と言った。
じゃあ、おれと指してみろ、と某九段が挑戦状。
将棋の専門雑誌「将棋世界」に棋譜が載った。
結果は、内藤国を九段の勝ち。
当時は、まだ将棋を覚えていないこどもたちは、
「はさみ将棋」を指していた。
しかし、意外と、奥が深いのである。

先日、老人ホームに行ってボランティアをした。
これまで、将棋と囲碁のお相手をしていた。
ところが、初めての女性が、
「はさみ将棋がしたい」
と、おっしゃる。
喜んでお相手した。
簡単にひねろうとしたら、
強いのである。
かるく3連敗した。
別のボランティアが挑戦したが、
またコロリとやられた。

反省会の時、ひとしきり、そのことが話題になった。

羽生理恵さん、羽生善治さんに投了

2018-10-06 14:45:49 | 将棋
羽生理恵さんは、ツイッターの書き手として、有名である。
オールドファンになら、元人気アイドルの畠田理恵といえば
わかりやすいだろう。
羽生善治永世七冠が20代の時、結婚した。
ハブリエという愛称をもつ。
善治さんが、50回目に
「森信雄七段のペットのうさぎは、ふうちゃんというんだよ。」
とささやいた。
ちくり、と、「それ、50回目よ」
と言った。
応え。
「いい話は何回聞いも楽しいね。」

ハブリエ投了、だそうである。

To know is one thing, to teach another.

2018-10-04 16:09:22 | 語学
高校時代、英語は苦手だったが、
1つだけ覚えたことわざがある。

To know is one thing, to teach, another.

意訳すると、「知っているのは、ひとつのこと。教られるのは、また別のこと。」

「なんじゃこれ?」と思った。
そういうこと、あるんかいな?

今は、しみじみわかる。

知識を獲得していくことは、ある意味、簡単である。
本やインターネットも使える。
経験も生きる。

しかし、知っていることと
教えることができる、
というのは、まったく別である。
教えることができるのは、1つの知識の背景を1000知っていなければできない。
また、人間性もよくないと、相手は受け入れてくれない。、
ほめ方、叱り方など、
「教える方法」も熟知していなければならない。

赤ちゃんが、「赤ってなあに?」
と聞いてきたら、信号の赤を見せればよい。
でも、「信号ってなあに?」
と聞かれると、
はたと困る。
車と歩行者のこと。
「歩いてはいけない」とは、どういうことか。
まだ、歩けない赤ちゃんかもしれないし。

早い話、小学校で教えられる知識を90%以上わかっている人は
1000人にひとりいるかどうか。
わたしは、自信がない。

それを全部教えられる人は、
10000人にひとりいるかどうか。
もちろん、わたしも自信がない。

そのくらい、難しいことである。

教えることは、難しい。

教育関係者が、実感することである。
そういうわけでなくても、
おとななら、
真のおとななら、
みんな知っていることである。

To know is one thing, to teach another.