祖母の葬儀の日、斎場の収骨場に行ったら、急に祖父が亡くなった時のことが脳裏に思い出された。
同じ斎場だったせいか、収骨場の景色を見たら、ありったけの記憶が湧き上がってきた。
祖父の時、私は生まれて初めての葬儀でガチガチになっていた。
私の肩を叔父が揉んで、「うわー。すごいこっているな」と言われたのをよく覚えている。
「肩がこる」という感覚を知らなかったので、そういわれてもどういうことなのか理解できなかった。
あの時の私は初めて対面する「死」への恐怖でかなり鬱状態になっていたと思う。
他の従兄弟たちは、葬儀会場でホワイトボードに祖父へのメッセージなどを書いていて、とてもリラックスした感じだった。
私は彼らが何でそんなことをするのか全く理解できず、一人押し黙っていた。
それから約5年が経ち、父が亡くなった時も、私は悲しみより死の恐怖が勝っていた。
元々、父と過ごした時間は平均的な子どもよりも短かったし、反抗期でもあったし、父の死は私にとって通常よりインパクトの薄いものであったと思う。
祖母の死は、私にとって人生で初めて冷静に受け入れられた死だった。
痩せて行く過程、死に至る過程を一つ一つ確認し、受け入れてきた。
遺体を見ても恐怖を感じることはなかった。
葬儀会場から斎場に運ばれる直前に「ここで最後のお別れになります」と言われた時、涙がこみ上げてきた。
母の事を思うと泣けなかったけれど、故人との別れを、本当に惜しく思った。
自分の中で、何かが変わったのを感じた。
同じ斎場だったせいか、収骨場の景色を見たら、ありったけの記憶が湧き上がってきた。
祖父の時、私は生まれて初めての葬儀でガチガチになっていた。
私の肩を叔父が揉んで、「うわー。すごいこっているな」と言われたのをよく覚えている。
「肩がこる」という感覚を知らなかったので、そういわれてもどういうことなのか理解できなかった。
あの時の私は初めて対面する「死」への恐怖でかなり鬱状態になっていたと思う。
他の従兄弟たちは、葬儀会場でホワイトボードに祖父へのメッセージなどを書いていて、とてもリラックスした感じだった。
私は彼らが何でそんなことをするのか全く理解できず、一人押し黙っていた。
それから約5年が経ち、父が亡くなった時も、私は悲しみより死の恐怖が勝っていた。
元々、父と過ごした時間は平均的な子どもよりも短かったし、反抗期でもあったし、父の死は私にとって通常よりインパクトの薄いものであったと思う。
祖母の死は、私にとって人生で初めて冷静に受け入れられた死だった。
痩せて行く過程、死に至る過程を一つ一つ確認し、受け入れてきた。
遺体を見ても恐怖を感じることはなかった。
葬儀会場から斎場に運ばれる直前に「ここで最後のお別れになります」と言われた時、涙がこみ上げてきた。
母の事を思うと泣けなかったけれど、故人との別れを、本当に惜しく思った。
自分の中で、何かが変わったのを感じた。