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た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

カメラの話

2018年03月05日 | essay

 

 あんまり日常がせわしないと、立ち止まることすら不安になってしまう。多事多忙に慣れきってしまい、ゆったりすることに神経が耐えられなくなるのだ。

 久しぶりの休日、歩いて美術館に行った。街はコートもセーターも要らないほどの陽気だった。春が近い。風が少し強い。

   美術館では、大仕掛けな電飾や鏡や色彩がやたらきらきらしていた。それが現代芸術というものなのだろう。全部回って見たらそれなりに疲れた。

 帰り道、小さな喫茶店に立ち寄る。海外で紛争地帯の写真を撮り続けてきたカメラマンが一人で営む、いつでも閑散とした不思議な喫茶店である。古い民家を改修した造りで、窓際の席に座り表通りを眺めていると、まるで昔のブラウン管テレビを通じて現代を観ているような感覚に襲われる。今という時の流れを過去に映せばこんな感じなのだろう。いかにも戦場カメラマンといった生真面目な風采の店主が淹れる珈琲は、濃い香りが漂う。私は丸テーブルに肘を突き、ようやく立ち止まることが出来たような気分にひたった。

 珈琲を飲み終え、店主と会話をした。彼は準備ができ次第、またカメラを抱えて海外に飛び立ちたいと言う。

 私は長年気になっていた疑問を彼にぶつけた。プロのカメラマンに出会ったら、一度は訊いてみようと思っていた疑問である。

 ───デジタルカメラが出てきて、カメラは変わりましたか?

 「変わりました」

 店主は即答した。「いい写真が撮れなくなりました」

 言葉では表現しにくいのですが、と断りを入れて彼は説明し始めた。今のデジタルカメラは解像度がフィルムカメラより優れているのは確かである。それでも、思ったような写真が撮れない。フィルム独特の味わいが出ない。簡単に撮れるから、決定的瞬間を撮るときの緊張感がない。フィルム時代は、決定的瞬間を待って何日も粘ることもあったが、デジタル時代になると、編集者の方でも、すぐに撮ってパソコンで送れるはずだからと、悠長に待ってくれない。

 他にも、説明できない部分で、何かが違う。たった一台手元に残したフィルムカメラには、強い愛着があるが、デジタルカメラは手放しても少しも惜しいと思わない。

 それでも、現在の彼はデジタルカメラを多用していた。理由はいろいろあるが、一つに、フィルムが生産されなくなったことがある。時代がフィルムの使用を許さないのだ。

 似たような例として、彼は知人の話を上げた。

 「彼は白黒写真を専門に撮っていたんですがね。フィルムにこだわって。現像も、自分で焼いて。でも、この頃は、いい紙が作られなくなったというんですよ。それで最近泣く泣く、デジタルカメラに変えたらしいです」

 通りを大型トラックが通り過ぎ、窓ガラスが小刻みに震えた。

 店主が、昔フィルムで撮ったという写真を数点見せてくれた。

 蝋燭の温かい光に照らし出された聖母マリアの壁画。空気の乾き具合まで伝わってくるパレスチナの広場。

 フィルムでしか撮れない情景。

 

 そうだ、と私は思った。

 そういうことなのだ。

 万年筆で書く文章と、パソコンのキーボードを叩いて書いた文章の違い。その根本的な違いを、自分もずっと感じてきたではないか。どう理解していいかわからないなりに、ずっと違和感を感じ続けてきたではないか。

 

 道具や手段は、それと似た性質のものしか生み出すことが出来ない。

 

 たぶん、当たり前のことだ。

 デジタルカメラは、デジタルな場面しか切り取ることはできない。コンピューターが作り出す世界は、あくまで電子的な世界である。便利な道具を使えば確かに楽である。しかし楽をして苦悩を描くことはできない。軽い気持ちで深い真理は語れない。手を動かさずに手の温もりを伝えることなんてできない。

 この当たり前のことを、そのとき私はようやく理解できた気がした。

 私は店主に礼を言って、席を立った・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 この文章を、今、私はパソコンに打ち込んで書いている。もし、私に覚悟があれば───覚悟と、ほんの少しの勇気があるのなら、すぐさまこのラップトップの蓋を閉じ、もう一度、あの錆びついた万年筆を手に取るべきではないのか?

 私に、そうでもして書きたいものがあるのなら。

 それを、どうしてもペンでしか書けないと、思うのなら。

 

 


結婚式

2018年01月29日 | essay

 人の婚礼によばれる。

 軽やかな音を立てるハイヒールと、その上を翻る華やかなドレス、天井で煌めくシャンデリア。若く弾けた笑い声。その雑踏の奥には、椅子に腰かけたまま微動だにしない老人たちがいる。おそらく親族であろう。杖を肩に周りをじろじろ見つめる人がいる。黒い紋付の着物を着て俯いたままの婦人がいる。人生を今日の主人公たちよりずっと長く生きてきて、結婚の重みと軽さと、主人公たちにとって今日を起点に様変わりするであろう過去と未来の意味の深さを、彼らは身をもって知っているのだ。交わされる笑顔と笑顔の合間にも、ふと神妙な面持ちが差すのを、隠すことが出来ない。

 そんなことには無頓着に、式は次々と賑やかに進行していく。

 建物の外は路肩に雪を残す冬の最中のはずだが、会場内は、ケーキの食べさせ合いやらブーケトスやら余興やらで春の花見のように陽気である。私は同席した会社関係の人たちに熱燗をしつこく注がれ、随分いい気分になった。酔いの回った目でふと新郎新婦の座る正面テーブルに飾られた生花を見やる。生花から目が離せなくなる。

 今日の意味を知るのは、ずっと先だから、花は今日も美しく咲く。それでいいのだ。

 私は上体を戻し、軽くお辞儀をして、再びお猪口を隣席の人の掲げる銚子の前に差し出す。

 

 婚礼が終わったのは昼下がりであった。

 建物を出ると、風が頬を撫でた。


上京

2018年01月22日 | essay

 東京へ行く。友人二人に会うためである。

 二十代の終わりから三十代にかけてよく遊んだ仲間である。それぞれ仕事をしながら、私と同じだけ歳を取っている。同年なので、彼らに会うと、今の自分の歳の取り方を再確認できるような気がする。日々の雑務に追われ、体調も崩しがちな今の自分に対し、こういう生き方でいいのか、それを確認したくて会いに行ったのかも知れない。ただただ、会いたかっただけかも知れない。

 大塚に住むM氏が彼の恋人の営む居酒屋を昼間だけ貸し切る形で準備してくれていたので、新宿まで迎えに来てくれたN氏と大塚に移動し、駅前の公園でスターバックスのコーヒーを飲みながら、M氏の登場をしばし待つ。さして広くもないがすっきりと何もない公園に、太陽の日が柔らかく降り注ぐ。ハトや人が憩う。公園の向こうを路面電車がゆっくりと通り過ぎる。東京に路面電車が走っていることを、この歳になってようやく知った。線路の向こうの商店街は、なかなか賑やかで楽しそうである。

 N氏は心の病気と闘いながら、半年余り休職し、去年の春から職場に復帰していた。

 とりとめのないことを彼と語り合う。彼が休職中に図書館で読んだ本の内容が中心である。心理学の話。遺伝の話。文明論の話。

 やがてM氏が現れ、居酒屋に場所を移す。

 彼の恋人が用意してくれた想定外のご馳走と美酒に酔いしれながら、さらに取りとめもないことを語り合う。恋愛論。性格論。生き方。議論は酒にあおられ加熱する。店主が女性の立場から話に加わり、それに男たちが三様の受け答えをしているうちに、お互いの違いと、似ている部分が浮き彫りになっていることに気付く。N氏がそれが面白いと笑う。誰が正しいわけでもない。ただ、そうやってみんなそれぞれにこの歳まで生きてきた。そこには、正解もなければ、決して、誰にも、不正解はない。

 帰りの『あずさ』に乗ると、車窓に映るのはすでに夜景であった。

 明日からまた、頑張ろうと思う。まだまだもがき、苦しむだろうが、続けることを続けていこう。

 不正解はないのだ。

 

 


AIもいいけれど

2017年12月22日 | essay

世の中これだけ技術革新が進み、自動化が普及すると、一番の贅沢は人間になってくる。

人間に挨拶してもらう。人間に応対してもらう。人間にモノを運んでもらう。人間に作ってもらう。人間に料理してもらう。人間に給仕してもらう。人間に教えてもらう。人間に叱ってもらう。人間に歌ってもらう。人間に微笑んでもらう。

やっぱり人間がサービスの基本だ、という話で先日の忘年会が盛り上がった。その説を声高に唱えた張本人が、後半酔い潰れて周りに迷惑をかけていた。

ときおりは人間に迷惑までかけてもらう。それもまた、人生のしみじみと奥深い贅沢かな。


『国語』私論

2017年12月06日 | essay

 国語とは何なのか。

 妙な疑問であると言えるが、長年私の頭の隅を離れない疑問である。

 国語とは、もちろん、学校で教科として教えられる国語のことである。

 先日、新聞に大学入試改革の一環として、国語の新テストの試行問題が載っていた。法律や規約の文言と照らし合わせて、会話における話し手たちの判断が適正かどうかを問う内容である。資料と会話を読み取り、正確に分析し、主張の妥当性や課題を理解する能力が求められる。近年そういった資料問題を出す傾向は、大学入試のみならず高校入試まで浸透してきている。今後この風潮は拡大する一方であろう。確かにこういった問題が解ければ、将来社会に出たとき、職場で統計資料を読み解いたり、議事録を作ったり、法律問題に強くなったりと、多様な場面で効力を発揮するだろう。実践力、即戦力としての学力がつくのは間違いあるまい。

 だが、改めて思う。国語とは、何なのか。

 先述した資料と生徒たちの会話からなる問題を読んでまっさきに思うのは、面白くない、ということである。無味乾燥な役所言葉で書かれた資料はもちろん、生徒たちの会話も、誰がどれだけの推敲を重ねて作成したか知らないが、当たり障りのない模範的なやり取りで、全然面白くない。面白くないというのはつまり、日本語の魅力を感じ取ることができない。

 どんな難しいことを述べた評論でも、小説でも、それなりの学者や大家が書いたものは、読んでいて面白い。そういう類の国語の問題は、重厚な造りの文化遺産を思わせる。たとえ筆者の言っていることがちんぷんかんぷんでも、問題を丸で解けなくても、何とかこれを理解したい、という魅力を感じさせるものがそこにはある。何度も噛み締めてみて初めて感じる味わいがある。こんな日本語を自分も駆使できるようになりたい、という願望すら抱かせる。国語という教科の主目的は、何より、美しい日本語の魅力に気づかせ、興味を持たせることではなかろうか。社会的実践力には直接結びつかなくてもいい。文章によって魂を揺さぶられる、それによってより知的な深みに入りこもうという気にさせる、その動機づけが何より国語という科目の持つ本分ではなかろうか。

 その点でいくと、最近の国語の問題は、解いてしまえば二度と読み返したくない代物が多い気がしてならない。子どもたちの中には、国語の問題を解くのが、高等な日本語に触れるほとんど最初で最後の機会になる場合だってある。そんなケースを考慮すべきか否かという議論はともかく、国語の問題は、日本語の持つ奥深い知的領域を彼らに垣間見せる窓口である。それが果たして、「A君の言っていることは資料のどの部分を踏まえていないとB君は指摘しているか」といったものでいいのだろうかと、首を捻ってしまう。

 国語とは何か。明確な答えや指針が私にあるわけではない。ただ、今こそ、国民レベルでもっとその議論を活発にすべきときではなかろうか。

 少なくとも、国語が、本離れを加速させるものであってはならない。

 


老化という進化

2017年11月28日 | essay

 

 先日、奥蓼科まで足を延ばし、温泉につかってきた。

 硫黄臭の強い白濁した鉱泉である。

 つくづく温泉好きだなあと自分で呆れる。その日は初雪が舞い山道は危険であったが、帰りにまた汗をかくとわかっていても湯船につかりたい一心で行くのだから、どうしようもない。湯煙を吸い込みながら休日を過ごすなんて、よほどジジ臭い趣味である。四十過ぎてそうなのだが、二十歳のころからそうだった。まことにどうしようもない。こういう人間はよっぽど早く老化するであろう。 

 老化と言えば、面白いessayを読んだ。

 進化の過程で老化現象が淘汰されなかったのはなぜか、という話題である。ちょっと難しい話である。自然淘汰は本来、生物にとって害となり不利益となるものを切り捨てる傾向にあるのに、生物にとってもっとも有害とも言える老化現象が、どれだけ世代交代を重ね、進化を繰り返しても維持され続けてきたのはなぜか。

 馬鹿言え、永遠の命なんてないんだから、どんな肉体もいつかは劣化し老化するのがあたりまえだろうが、と一笑に付されそうだし、私も中途までは心の中でそうつぶやきながら読み進めていたが、どうやらそう単純な話ではないらしい。年齢と共に体内から老化物質なるものが分泌されて、ある意味積極的に老化を推し進めるらしいのだ。

 生物の種類によって寿命の長短があるのも不思議と言えば不思議である。たとえば竹は百年間、無性生殖(オスメスの要らない、いわばクローン作り)を続けて増え、百年経ったある日一気に花を咲かせ、有性生殖(オスメスの要る子作り)を成し遂げ、それで死に絶えるとか。想像するに何とも壮絶な光景である。こんなのも、緻密に計算しつくされた老化であり死であるように思えてならない。

 老化には、ただ老いるという以上の意味合いがあるのか。

 essayでは、二つの学説が紹介されていた。一つは、老化物質とそれが引き起こす老化現象は、たいがい生殖活動が終わってから生じてくるものだから、否応なく次世代に受け継がれていく、という考え。もう一つは、老化しなかったら元気なじじばばばかり地上に増えて、早晩食糧難に陥るのが関の山だから、種の繁栄のためにも、老化現象は積極的に受け継がれていくのだ、という考え。筆者は、二者択一ではなく、どちらの学説も互いを補い合うものだろうよ、という曖昧なところで論を結んでいた。要は、老化は必然的でもあるが、必要でもある、と言ったところか。

 世間に目を転じれば、老化を必死に食い止めようとあらゆる産業があらゆる手をつかって金もうけをしていることに今更ながら驚かされる。アンチエイジングの膏薬。マシン。化粧。体験コース。ほら、ほら、皺が取れますよ。ほら、十歳若返りできましたよ。ええ、あなたは、もっともっと若々しく長生きできますよ。

 せっかく体内から出てきた老化物質も、人類規模の思わぬ抵抗にあってさぞかしびっくりしているだろう。

 こうして温泉につかるのも、長寿のためか。はたまた、老いを噛みしめ、楽しむためか。おいおい、お前はさすがにまだそんなことを考える歳でもなかろうと、実はもっともアンチエイジング志向かも知れない『理性』によって咎められ、白濁した湯で顔を洗い、湯船から上がった。

 

 


帰省の意味

2017年10月31日 | essay

 

 帰省。帰りて省みる、と書く。語源を調べると、省みるとは、親の安否を確かめることらしい。何も親に限ったことではあるまい。自分の過ごしてきた土地のにおい。湿度。幼少期の痕跡。自分の歩んできた道の意味。現在の自分に失われた過去の自分。何かしらを省みようとして、人は帰省する。

 新幹線とローカル線を乗りついで、二年ぶりの帰省を果たした。一人旅である。台風の影響で、曇天にときおり雨が混じる。

 昔、全世界のように思われた故郷の集落が、今は箱庭のように小さく見える。人口も減り、自分が小学生の頃は十人くらいで集団登校していた区域に、今は小学生が一人らしい。誰誰が亡くなった、誰誰はこんなことがあって、結局ここを出て行った、などと老いた親から聞かされる。朽ちかけた柿の木を見る。掃く人もなく堆積した落ち葉を見る。土手を流れる水はかつて幼い自分が日がな一日魚釣りをしていたころの輝きを失い、秋を通り越してはや冬の到来を告げるかのように冷たく鈍い色を湛えている。故郷が変わってしまった部分もあろう。自分が変わってしまった部分もあろう。

 帰る場所は、自分を待って昔のままに留まってくれているわけではない。そういう意味では、一度旅に出た人間に、元通りに戻る場所など残されていない。それだからこそ人は歩き続けることができるのかも知れない。重荷を背負っても、時につまづいてびっこを曳いても。

 翌日、改札口まで見送りに来たふた親に別れを告げて、再び電車に乗りこんだ。持たされたお握りは昔の味がした。車窓を眺めると、ようやく雲が割れ、辺りに日が差していた。


総選挙とBBQ

2017年10月23日 | essay

衆議院総選挙が終わった。投票率の伸び悩みは、台風のせいだけか、それとも政治に対するこの国の民の慢性病的諦念なのか。

自分は雨の中を押して投票には行ったが、なんとなく体に残る虚しさがある。

しょせん一平民にできることと言えば、酒をあおりニュースを観ながら悟ったような愚痴をこぼすことくらいか。

 

先日、牛伏川河川敷で毎年恒例のバーベキューをした。火を焚いている間にもどんぐりがバラバラ落ちて蜂がおすそ分けを狙いに来るような、実に野趣豊かな場所である。政治もなければ国家もない。せせらぎが絶え間なく川床を洗い流している。

 

   生き足りて 晩夏を喰らう バーベキュー

 

何の関連もない話をしてしまった。


八島ヶ原湿原

2017年09月05日 | essay

 

 休日に八島ヶ原湿原を歩く。

 何度か訪れたことのある場所なので、広々とした景色と長く続く遊歩道があるのは知っている。運動不足で贅肉のつき始めた体には、長過ぎるくらいでちょうどいい散策コースである。

 標高千六百余。高原にははや秋の風が吹き、花の盛りは過ぎていたが、それでも慎ましく咲く山野草たちが行く路行く路で迎え入れてくれた。綿毛のような花を咲かせるヒヨドリバナ、鮮やかに黄色いのはオミナエシだろうか。誰かの思いが籠ったように、ノアザミが風に揺らめく。そして見渡せば、日に輝く黄金のススキ。澄んだ空気が性に合うのか、足は珍しく疲れを知らない。

 それでも一息つこうかと思った矢先に、小さな看板が現れた。喫茶や宿泊を営む一軒屋らしい。なかなか洒落た造りである。こんな山中の、それも国定公園のど真ん中に、と疑いながら中を伺うと、落ち着いた若い夫婦が出てきた。テラスで珈琲をいただく。

 カップを片手に、色づいた日を浴びる草木を眺める。

 席を立った後、近くの神社も覗いてみる。建物はなく、大木の陰に、人の膝ほどに積み上げた石垣があり、そのぐるりにご神体を護る様にして、巨大な高さのススキの束が幾つも刺さっている。神官たちの振り乱した長い髪のようにも見える。何か背筋のぞっとするものを感じる。

 再び遊歩道へ。

 以前読んだ書物の文句を思い出した。生物の多様性を保存するというならば、熱帯雨林のような種の宝庫と呼ばれる場所だけに注目していては駄目だ。草原には草原の、沼地には沼地の、数は少ないにしても独自の動植物が息づいているのであり、それらをすべてあるがままに保存することが大事だ、と。確かそんな内容だった。

 なるほど、と改めて実感する。今自分の歩いている湿原はすでに秋を迎え、どちらかというと枯れかけたものが多いのだが、それでも体中の細胞が沸き立つような幸福感と共に、自然の豊かさをしみじみと感じる。派手な豊かさではない。きらびやかなものはそこにはない。あるがままの、素朴な、しかし雄大に広がる豊かさがある。

 遊歩道は板切れを二枚渡しただけの狭いものである。人とすれ違うたびに体を避けて挨拶を交わす。格別何を見に来たというわけでもなかろうに、みんなとても嬉しそうである。実に穏やかで、満ち足りた顔つきをしている。

 それは、コンビニで籠一杯に買い物して、洒落た服を着て高級なものを食べても、どうしても作ることのできない表情である。

 豊かさ、の問題である。おそらく。

 

 二時間ほど歩いて、湿原を後にした。

 


体育委員

2017年08月28日 | essay

 体育委員に任命された。

 体育委員というのは、誰もが任命されるのを嫌がることで有名な地域の役職である。何をするかは定かでないが、とにかく嫌がられていることだけはよく知られているという、その存在自体が不気味な役職である。誰も成り手がないということで、最後は組長から達筆の手紙まで送りつけられ、どちらかというとその達筆ぶりに圧倒されて、引き受けることとなった。なってみると、実際にすることと言えば、球技大会などの最中、ひたすら腕を組んで選手たちを見守るくらいのことである。あまり建設的とは言えないが、ひどく苦痛とも言えない。

 先日の日曜日は軟式野球を見守った。曇りという予報を見事に裏切った炎天下、山の緑と田畑に囲まれた球場で、白球が飛んだり跳ねたりするのを丸一日眺めていた。確か出場資格に三十歳以上無制限という規定があり、どこのチームも多彩な年齢層の寄せ集めである。若者たちは打つわ投げるわ、年寄りたちは落とすわ空振りするわで、なかなか世代間のバランスを取るのが難しい。こちらも眺めているだけでなく、ときどき拍手をする。ゲームが緊迫すると控えめな檄(げき)を飛ばすこともある。点差が開きすぎると別の体育委員と雑談する。

 試合を眺めながら、ふと幼い記憶をよみがえらせた。正確に言えば、その当時の記憶はない。幼い私の映る一枚の写真に対する記憶である。ようやく立ち上がることの出来たくらいの私が、開いた窓に手をかけ、じっと外を眺めている。その背中を収めたモノクロ写真である。当時、私の家族は教員だった父親の赴任先で、教員住宅に住んでいた。住宅は校庭に面しており、校庭で野球部が練習するのを、幼い私は飽きもせずにずっと眺めていたという。後年母親からその写真を見せられたとき、当然物心つく前の話だが、ああ、確かに自分は、あの頃そんなことをしていたに違いない、という感覚を覚えた。実際そんなことをしていた気にまでなった。自分という人間は、結局、ぼーっと何だかよくわからないものを眺めているのが一番性に合っているんじゃないか。

 そんなことを試合中に思い出したのは、試合の展開そのものよりも、グラウンドの奥の、外野選手がポツンポツンとしか見えない、だだっ広い空間に自分の目が行っているときであった。球の飛んでこない芝生に陽はさんさんと注ぎ、球場の向こうの木立からはセミの大合唱がゆく夏を惜しむかのように鳴り響いていた。

 気がつけば、私の視線はいつもそこへ戻っていた。

 自分の出ない試合の、それも球の跳んでこない茫漠とした広がりをひたすら眺めやる。何だか自分の人生の縮図を思い知らされたようでもあり、それはそれで気楽な人生ではないかと開き直る自分もいた。

 快音が聞こえ、慌てて拍手をする。

 体育委員としてのその日の任務は夕方五時まで続き、ビールをしこたま飲まされて終わりを告げた。