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た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

紀州への旅 (その3)

2025年04月29日 | 紀行文

 全長25キロ、日本一長い砂浜海岸である。

 

 車を停められる場所を探し、降り立つ。ずっとハンドルを握っていたので、腕が重い。セメント堤に犬と腰かける。確かに長い。見渡す果てまで続く、長い砂浜である。薄雲がかかって日差しは柔らかい。海は穏やかである。潮風に吹かれながら水平線を眺め、ようやく旅気分が出てきた。

 御浜は蜜柑の産地である。車を走らせていると、道路の脇に、無人のミカン販売所が次々と目に飛び込む。次に出てきたら立ち寄ってみよう、と言っていたら、もう現れなくなった。御浜も通り過ぎてしまったらしい。ないと食べたくなる。しかし道の駅に立ち寄っても、普通のミカンが売ってない。後で知ったが、今年は蜜柑が記録的な不作だったのである。今回の旅はミカン特産地の和歌山に移動してからも、いわゆる普通のミカンに最後まで巡り合えなかった。こんなことなら、最初に出会った無人販売所に立ち寄ればよかった。もちろん、そこに普通の蜜柑があったかどうかは知らない。ただ、旅では寄り道はした方がいい。一歩を踏み外すことへのちょっとしたためらいが、大きなチャンスを逃すことがよくある。わかっているが、徒歩の旅と違い、車で移動すると、時間ばかり気になり、なかなか寄り道する勇気が出ないのだ。

 昼食はコンビニのサンドイッチの車中食で済ませ、ハンドルを握り続ける。二時過ぎに速玉大社に到着した。熊野三山と呼ばれる三社の、最初の一社目である。

 犬は空のリュックに入れて参拝。

 砂利の音を立てながら境内に歩を進めると、塗り立てのような鮮やかな朱色の社殿が待ち構えていた。あまりに派手な色なので、少々面喰う。思うにこの神社は、熊野古道と呼ばれる薄暗い森の参詣道を、あるいは風すさび荒波立つ海岸沿いの参詣道を、何日もかけて徒歩で踏破し、ようやく辿り着いたときに目に飛び込んでこそ、その極楽浄土のような色鮮やかさが引き立つのではないだろうか。そのときは、疲れ果てた参拝者も、ああ、ありがたやと、思わず手を合わせて拝むに違いない。そうだ。だからこんなに派手なのだ。熊野詣を車で回って済まそうという現代人的魂胆が、そもそも間違っていたのではないか。

 そんなことを考えながら参拝した。

 社殿では折しも、結婚式が執り行われていた。

 

 再び車に乗り込み、次の目的地、那智大社へ。

 

(つづく)

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紀州への旅 (その2)

2025年04月16日 | 紀行文

 三月十四日未明、二人と一匹を載せた乗用車は信州松本の地を出発した。

 

 中央自動車道を南下し、小牧で東名に乗り換える。さらに名古屋近辺で、こまごました自動車道を何度も乗り換える。これが実にややこしい。案の定、左折すべき分岐点をやり過ごす不安に駆られ、慎重になった挙句、予定より手前の分岐点で左折してしまった。気づけば違う高速に乗っている。仕方ないから名も知らぬICを降りて、管理棟に入り、書類上の手続をして引き返した。このときは、係の人に過剰なまでにきびきびと、懇切丁寧に対応していただいた。まるで自衛隊の出動要請を受けたかのようであった。ETCカードでの高速の乗り降りが一般化した現在、こういう人たちはすることがなくなり、たまに私みたいな方向音痴が現れるのを手ぐすね引いて待っているのかも知れない。

 それにしても私の方向音痴は治らない。よくも治らないものだと自分でも思う。これが徒歩の旅で道に迷うなら、思いもかけない出会いと発見につながることもあるが、高速道路上だと単なる時間の浪費である。わかっている。わかっているけど道に迷う。

 そもそも、信州から紀州は当たり前であるが遠い。さらに途上、「名古屋大都市圏」が、関所の悪代官のようにでん、と鎮座して待ち受ける。道路を蜘蛛の巣のように張り巡らせ、どれを選べばいいのか新参ドライバーたちを迷わせ、結局どこを通っても渋滞でイライラさせる仕組みだ。私など迷ってばかりである。ナビを見ても迷う。迷うからとナビを消すと、なおさら迷う。助手席の妻はさっきから私の不機嫌を察して、何も喋らない。それもまた癪に障る。まったく、ハンドルを叩きたくなるような思いに駆られながらも、なんとか昼過ぎには熊野古道伊勢路、三重県の七里御浜にたどり着いた。

 

 

 全長25キロ、日本一長い砂浜海岸である。

 

(つづく)

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紀州への旅 (その1)

2025年04月10日 | 紀行文

 熊野古道というところは、若いころは、その存在すら知らなかった。

 社会人になったかならないか、経済的にははなはだ曖昧だった頃、今からもう二十年くらい前になるが、友人がかの地に行ってきたことを聞いた。しかもそこで運命の人と出会えたという。結局その人と結婚するに至った。その一部始終を聞いて以来、「熊野」は私にとって、パワースポットなどという名前が流行る以前から、何か強力なエネルギーを発散している神秘的な場所となった。

 とはいえ、何度かの引っ越しを経ても、日本のどの位置からも和歌山は遠いので、なかなか宿願を果たせずにいた。それがこの春、ついに熊野詣を敢行する運びに。既婚者なので結婚相手を見つけるわけにはいかないが、それでも何か素敵な発見があるかも知れない。同行者はいつも通り、妻と犬。有体に言えば、犬を連れていける圏内で旅行先を物色し、熊野が選ばれたのである。犬をどこへも預けられないと、なかなか苦労する。

 それでも半年くらいまえから旅の計画を念入りに練り、熊野古道の本やらパンフレットまで取り寄せて研究した。行き当たりばったりの我々夫婦としては珍しく用意周到だったのである。

 

 三月十四日未明、二人と一匹を載せた乗用車は信州松本の地を出発した。

(つづく)

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内田百閒

2025年04月04日 | essay

 正直に書くと言うのは難しいものである。何度もそう思ってきたのだが、最近、内田百閒の書き物を読んで改めて強くそう思った。彼は、自分のだらしないところを包み隠さず書く。包み隠さないから、つい冗長になる。それでも読んでいて面白い。彼にとっては書くこと自体おそらく無目的で、自分の頭に浮かぶままを書き連ねているように思われるが、読み進むうちにその思考遍歴に同調し、まるで百閒と一緒に呑気すぎて失敗の多い日常生活や旅をしている気分になるのだ。彼が恥をかくたびに、呆れると同時によくわかるよくわかると頷く自分がいるのだ。

 正直に書けるかわからないが、そろそろ紀行文をまた書こうと思う。今回は熊野詣である。読む人がどれだけいるかわからないが、油断していると、読んでいるよ、と言われることがあっていけない。

 

 

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