正直に書くと言うのは難しいものである。何度もそう思ってきたのだが、最近、内田百閒の書き物を読んで改めて強くそう思った。彼は、自分のだらしないところを包み隠さず書く。包み隠さないから、つい冗長になる。それでも読んでいて面白い。彼にとっては書くこと自体おそらく無目的で、自分の頭に浮かぶままを書き連ねているように思われるが、読み進むうちにその思考遍歴に同調し、まるで百閒と一緒に呑気すぎて失敗の多い日常生活や旅をしている気分になるのだ。彼が恥をかくたびに、呆れると同時によくわかるよくわかると頷く自分がいるのだ。
正直に書けるかわからないが、そろそろ紀行文をまた書こうと思う。今回は熊野詣である。読む人がどれだけいるかわからないが、油断していると、読んでいるよ、と言われることがあっていけない。
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