た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

写真一点

2014年09月26日 | 写真とことば
昔の写真を整理していたら出てきた。いつ、どこで撮ったものかわからない。
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一句

2014年09月22日 | 俳句
窪田空穂生家の縁側にて───

 陽だまりの 午睡の足に 赤とんぼ

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9月の宵に

2014年09月02日 | essay
 雨が上がったところで友人に電話で誘われ、飲みに出る。裏通りの水溜りは汚らしく闇とネオンを映している。

 「わかっちゃいないんだ、あいつは、何にも」

 「そうかね」

 「いや、あいつがどんな人間であるかは、お前に話してもわからんだろう」

 それでは結局何もわからないことになるなあ、と思いながら薄い水割りを口に含む。

 太古から、人間は、人間のことがわからん、わからん、と嘆きながら何千年も生きてきたような気がする。親兄弟、恋人、隣人、リーダー、部下、仲間・・・・。最後は、と、これは口に出して誰かに愚痴ることがあまりなかろうが、自分自身。

 「それ以来、あいつのことは絶対信じられん」

 「うん」

 我々は、ひょっとして、信じられる人を増やすために生きている。人間関係を築き、日々努力している。親兄弟、恋人、隣人、リーダー、部下、仲間・・・そして、自分自身。一人でも多くの人を、信じたい。まるで、信じられる近親者の数が、幸福を測る指数であるかのように。

 問題は、裏切られる数も多いということだ。ええと、自分自身も含めて。

 水割りグラスは二、三度傾けるとすぐに氷だけになる。カラカラ言うだけで、なかなか酔えない。

 店を出る頃には、通りのネオンも消えて、秋風だけが行き過ぎていた。



 
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