た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

『椿姫』

2007年10月30日 | essay
 日曜日、車を飛ばし、一路伊那へ向かう。プラハ国立歌劇場のオペラ『椿姫』を観るためである。オペラにも椿姫にも詳しくないが、プラハと聞けば何だか良さそうな気がしたので予約を取った。
 軽自動車だから高速道路は怖くて使えない。午前中に別な用事もあったので、鉄道では間に合わない。結果下道を片道二時間以上かけて往復することになった。そこまでして観る価値があるのやら、それを判断する知識すらなかったが、逡巡するときは行動を採るというのがここ十数年来の私の流儀である。
 伊那市に入った辺りで、中央分離帯の街路樹が目に留まった。六本ずつくらいかたまって並んでいるのが、間隔を置いていつまでも続く。異なる種類の木を並べているのか、単に紅葉の進度が木によって違うのか、赤や黄や青の重なりが西日に鮮やかである。それで、片道二時間の価値をその街路樹に進呈することにした。

 幕は午後五時に上がった。始めこそ文化会館という地味な雰囲気、オペラにさほど親しみのない観客、やや空席の目立つ座席などが舞台とよそよそしい距離を置いているように思われたが、第二幕に入ると脚本そのものの持つ展開の面白さに場内の空気まで変わってきた。娼婦ヴィオレッタが恋人の父親に説得され、自ら身を退く決意をする場面では、彼女の悲痛な歌声に強く心を動かされた。どんなにシンプルなストーリーでも、涙は出ることがわかった。
 不治の病に身体を侵され、孤独に心を蝕まれて最期を迎えつつあるヴィオレッタは、一通の手紙を受け取る。別れた恋人が今やすべての事情を悟り、自分を再び迎えにくるという。彼女は生気を取り戻し、椅子から飛び起きて家政婦を呼ぶ。

 「お医者さんに伝えて。あの人が帰ってきたから、もう少しだけ生きたいと。」

 劇中最も印象に残った言葉であった。
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友人、遠方より来る。

2007年10月26日 | 写真とことば
旅をするのは、忘れた故郷を思い出すため。

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病める人

2007年10月19日 | 短歌
枕辺の 秋の障子に映りしは 
     
       夏の西日に 冬の山風
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土管と秋

2007年10月08日 | 写真とことば
だからどうこうという組み合わせではありませんが、土管があって秋がありました。

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人・トニック

2007年10月05日 | 食べ物
 ジン・トニックという飲み物がある。ジンを指定の炭酸で割ってライムを落とした(あるいは飾った)非常にわかりやすいカクテルである。バーに入る。これを注文する。すると必ずといっていいほど他の店とは全然違う味が出る。無論、カクテルならいずれのカクテルでも店により違う味が出るには相違ない。それはそうだろうが、それでもこのロング・カクテルはやけにストライクゾーンが広い気がする。材料の組み合わせそのものが黄金率のようによくできているのもその一因だろう。さほど酒に詳しくないくせに勝手に憶測すれば。
 不思議なことに、今一つの街にいて、街にある四軒のジントニックが四軒ながらいずれも美味しい気がするのだ。最近さらに五軒目に出会った。
 語弊のないように急いで言い添えれば、ストライクどころか「大暴投」のJ.T.も一度ならず味わってきた。何でもいいというわけではない。おそらく飲み客が思うほど作るに易しくないカクテルに違いない。それでも、許容性が高いと感じるのは、店によってどこでこのロング・カクテルの味をまとめるか、その狙いが、これほど多様なものも少ないと心得るからである。酒にさほど詳しくないくせに。
 ライムの苦味でまとめる店がある。ジンの香りでまとめる店がある。炭酸でまとめる店もある。どの味もそれぞれに味わいがある。私好みの味はあるが、それはそれとして多様性を楽しめる。その場の雰囲気を機敏に汲み取るカクテルでもある。
 結局のところ、マスターの人柄が一番滲み出やすいカクテルだと思う次第である。
 
 それで今夜も何だか知らないが、手始めはジントニックから行こうか。
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いくら丼みたび。

2007年10月03日 | 食べ物
なぜかいくらについている。懇意にしているA寿しからの差し入れ。
せっかくだから田舎から送られてきた新米を炊いていくら丼にする。
ステンレスのスプーンだと繊細な風味を損ねるので、箸でかき込む。
真の贅沢は人の恩と心得たり。

秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 食の色にぞ 驚かれぬる
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