た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

『どうして、』

2017年02月24日 | 断片

誰からも要請されていないのに、先日書いた曲に三番をつけた。おまけに少し手直しした。なんだか自分一人でしみじみと納得している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

               『どうして、』

〔一番〕

車窓(まど)を流れる雪を見ながら

                                          あなたを奪った街に来た

城のお堀に浮かぶ白鳥(しらとり)

                                          あなたはどうしてここに来た?

 

早い黄昏(たそがれ)

                    冷たいネオン

                                           繩手通りをぶらつきながら

思い出すのは

                  はじめての夜の長いキス

                                            あなたの店のドアを引く

 

 

〔二番〕

マイルス・ディビスに耳を傾け

                                      あなたの作った酒を飲み

はずむ会話と 寡黙な瞳

                                      どうして今さら会いに来た?

 

「幸せそうね」

                 「ええ。ぼちぼちと」

                                           二杯目を飲んで席を立ち

思い出すのは

                 はじめての夜の長いキス

                                           あなたの店に雪が舞う

 

La La La・・・・・

                       La La La・・・・・

 

〔三番〕

ベッドにワインの染みを残して

                 語り明かした夢の果て 

あの頃二人でよく聴いたのは

                 "Don't know why I didn't come."

 

最終の『あずさ』 

       濡れた手袋

              車窓(まど)に頭を押しつけながら

思い出すのは

         初めての夜の長いキス

                    あなたの街に雪が舞う

 

思い出すのは

        初めての夜の長いキス

                    あなたの街に雪が舞う   

                                           

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

是々日々 (6) ~鍵~

2017年02月20日 | essay

   また鍵を失くした。また、というのはつまり、以前も何回か失くしたことがあるからである。何回か、では済まないかもしれない。正確に数えたくもない。一番大きな鍵の失くし物は、数年前の車の鍵だった。これはキャンプ場でいざ帰ろうとするときに見つからなかったものであり、結局最後まで出てこなくて大変な思いをした。今回は朝出勤しようとしたら、職場の鍵やら家の鍵やらじゃらじゃらと四五個ぶら下がった革製のホルダーごと見当たらない。二、三十分くらいあちこち探して途方に暮れたところで、車のドアポケットから出てきた。

   どうしてこうも鍵を失くすのだろうかと、考え込まざるを得ない。友人に話すと、鍵をしまう場所を決めておけと言う。鍵をしまう場所を忘れたらどうするのだと聞くと、だから忘れない場所にしまうんだと言う。鍵をしまう場所を決めたことすら忘れたらどうするんだと再度聞き返したかったが、さすがに馬鹿にされそうなので止めておいた。

   鍵をしまう場所つくりはひとまず保留して、そもそもなぜ忘れるような場所に鍵を置くかという問題を突き詰めてみると、はたと気が付いた。日常的な行動範囲の中で、ほとんど無意識に鍵を手放す場面があまりに多いのだ。そもそも私は、考え事をしていたり、妄想にふけっていたりと、呆然としている時間が私生活の中に挿入されすぎる。まるでコマーシャルばかり挿入する民放放送である。はっと気が付けば以前見た映画の場面を思い出していたりする。夢見る少年で済んでいたうちはいいが、車を運転する社会人としては大変危険である。

   しかし自己弁護をするなら、野生の獣たちはおそらく空想にふけらない。五感を常に鋭くして現在の状況に意識を集中させておかなければ、命が危うくなるからである。 とするなら、空想世界に遊べるのは、大脳新皮質が発達し、記憶と自由と安全を得た人間独自の贅沢なのではないか。ぼーっとする時間がある生活のほうが、その余裕のない生活よりも精神的に豊かなのではないか。

   そんなことばかり考えていたら、人生の大事な鍵まで失いそうなので、この辺でロックアウト。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本哀歌(エレジー)?

2017年02月18日 | うた

   とある知人と酒飲み話に戯れているときに、彼からふと、歌を作らないかと誘いかけられた。私が詞を書き、ピアノの出来る彼の奥さんが曲をつけ、歌うのは本人らしい。ずいぶん都合のいい話である。勝手に役割分担を決められたので、とりあえず以下の歌詞を書いてみた。もちろん作詞の経験もなければ、その方法を学んだこともない。そもそも楽曲を聴くとき歌詞を気にする方ではない。ポップスを意識したが、結果は演歌みたいな仕上がりになった。三番作ろうと思ったが、馬鹿馬鹿しくなって二番で止めた。これに知人の奥さんが曲をつけてくれるとは、到底思えない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                 

           

〔一番〕

車窓(まど)を流れる雪を見ながら

                                          あなたを奪った街に来た

城のお堀に浮かぶ白鳥(しらとり)

                                          あなたはどうしてここに来た?

 

早い黄昏(たそがれ)

                         冷たいネオン

                                          繩手通りをぶらつきながら

思い出すのは

                  はじめての夜の長いキス

                                            あなたの店のドアを引く

 

 

〔二番〕

マイルス・ディビスに耳を傾け

                                      あなたの作った酒を飲み

はずむ会話と 寡黙な瞳

                                      どうして今さら会いに来た?

「幸せそうね」

                 「ええ。ぼちぼちと」

                                           二杯目を飲んで席を立ち

思い出すのは

                 はじめての夜の長いキス

                                           あなたの店のドアを押す

思い出すのは

                はじめての夜のことばかり

                                             あなたの店に雪が舞う

La La La・・・・・

                     La La La・・・・・

 思い出すのは

                はじめての夜の長いキス

                                             あなたの街に雪が舞う

                                       

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いやはや、一年で一番仕事が忙しい時期だというのに、私はいったい何をやっているのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掛け軸

2017年02月11日 | essay

   南天に雪。雪は湿り気を帯びて光を透かせ、融けだす寸前である。本来冬の使者でありながら、春の到来を告げる羽目になっている。もう少し寒気が緩めば、南天の蓄え持つ強靭な弾性力が働いて、皆振り落とされるかもしれない。だが今しばらくは、細い枝をたわませて赤い実を空の来訪者から隠し続けるだろう。

   その空には、一羽の雲雀(ひばり)。べた雪の努力むなしく、真紅の実を目ざとく見つけ、翼を広げて宙に留まっている。ついばもうと狙っているのか、ただその実の鮮やかさに目を奪われたのか。それとも、気まぐれに春を告げたくて舞っているのか。

  題をつけるなら『春来ノ図』といったところか。

   雪を被る南天と雲雀との間には、1間(けん)ほどの空白がある。その空白に来るべき季節を巡る楽しい予感が溢れんばかりに詰め込まれている。

   そのような掛け軸に、気まぐれに覗いた骨董商でばったり出逢った。表装に傷みがあるので、財布に無理を言えば買えない値段ではない。店を出て、ポケットに両手を突っ込み、心中迷いながら街を歩く。頬を切る風はいまだ冷たい。しかし日差しはほんわかと温かい。

   買うべきか、買わざるべきか。まあ普通は買わないだろう。が、ひょっと買っても面白かろうと思う。

  その迷いそのものが、あるいは、季節の変わり目を暗示しているのか。

  ニュースによれば、全国的には雪。春まだ遠し。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

是々日々(5)

2017年02月06日 | essay

  曇天から思い出したように雨。いっとき雪に変わったが、昼過ぎにまた小雨に戻った。

  古いアパートの階段をやっとの思いで降りてきた老人が、杖をつきながら、よたよたと道を行く。杖とがに股の足が二本、計三本でなんとか体を支えているが、三本がバラバラに動くので、一見どこに向かっているんだかわからない。だが一応、体は近所の惣菜屋を目指している。いつもの時間に、いつもの場所でわずかな買い物を済ませ、またよたよたと戻り、やっとの思いで階段を上って消えていく。これが彼の一日の仕事である。身内はいない。話し相手もない。ときどき市の職員が声を掛けに来る。デイサービスがやってくることもある。デイサービスにはやたら声のでかい、なんだかとても親しげに話しかける女性がいる。老人はぼそぼそと彼女に受け答えする。往診医みたいな人がやってくることもある。

  雨はいつの間にか止んだ。夕焼けが通りに淡い影をつけた。

  ストーブの前で、こつ、こつ、という老人の杖の音に耳を澄ます。

  生きることは、老いることか。老いることのみが、生きることか。どう生きるかという問題と、どう老いるかという問題は、同じなのか、否か。違うとすれば、どちらがより難しいのか。

  人は、何を繰り返して生き、そして老いていくのか。

  そんなことを考えた。

  ストーブが灯油を呑み込む音。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

是々日々(4)

2017年02月03日 | essay

  人生の選択肢があまりに多くて迷う人がいる。

 人生の選択肢があまりに少なくて迷う人もいる。

 あとで悔やむのはどちらも同じである。

 前者は自分を呪い、

 後者は運命を呪う。

 だが自分も運命もつきつめたらこれまた同じ。

 つまり迷わない人は、その都度その都度、

 自分も運命も受け入れる人ということになろう。

 腰の張りをほぐしながら

 窓に映る夕焼けを眺め

 そんなことを考えた。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする