た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

雑感

2009年01月21日 | essay
 スキーの季節である。

 先々週と先週と、二回続けてスキー場まで精を出して通っている。今年は家族で行くから何かと準備が大変である。息子は新しく買った用具一式に舞い上がり、行きの車の中ですでにゴーグルをはめ、ブーツを履いている。疲れるからやめろと言っても聞かない。車内にスペースさえあれば板まで履きかねない。かくいう私も、初回はあまりに興奮して、現地に着くと車の外でズボンを履き替えようとし、妻に必死に引き留められた。猿と化した二人に妻も呆れ顔である。

 しばらく雪山から遠ざかっている間に、世の中はいつの間にかカービングスキー全盛になっていた。私もようやくそのカービングとやらを始める。なるほど短くて軽い。しかしどこをどう滑ればカービングらしいのかさっぱりわからない。幸い、リフトでパトロールのスキーヤーと一緒になり、いろいろ手ほどきを受けた。レールの上に乗るようにして滑ればいいんです。後ろがブレたらダメ。あそこを滑っている人ですか?ああ、あんなの全然だめです。問題外です。慣れたら、とても楽しいですよ。

 ずいぶん難しいことを言うなあと思ったが、彼を真似してストックを放棄し、何度か練習する。次第に体が板の上に完全に乗っているような感覚を覚える。これが果たして正しい滑り方なのかわからないが、とても疾走感があって気持ちいい。こうなると妻も息子も下のゲレンデに放置して、ベルトコンベアに乗った製品のように滑走、リフト、滑走を繰り返した。

 なんて幸せなんだ。滑りながら、退屈だからいろんなことを考える。山を切り開き、リフトをつけ、ただ登って滑って降りるだけのスポーツ。贅沢なことである。結局スピードを味わっているのだろうが、この非生産的で単純な反復運動にかくも魅力を感じるのはなぜか。

 人間が単純に出来ているのだろうな、と単純な結論をつけて思考をさっさとやめにする。こんなことをしていて果たしていいのだろうか、という疑問は頭から追い払う。

 帰りに温泉に立ち寄る。二人の猿が、露天風呂で呆けた顔を並べ、雪を眺める。来週も行こうよ。ああ、そうだなあ。呆けた二つの顔は猿らしくゆっくりと紅く染まっていく。

 いつの間にか日も落ちた。  
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1月7日

2009年01月08日 | essay
 毎年のことであるが年末年始は茶を淹れる暇もないほどの忙しさに振り回される。茶を飲みたいのにそれすらできないのだから文字通りである。それもようやくひと段落つき、昨晩は久しぶりにゆっくり睡眠を取ることができた。すると夢を見た。
 やけにはっきりした夢だった。夢の途中で目が覚めて、朝かと思って時計を見ると夜中の二時である。声がするので振り向いたら、隣で寝ているはずの妻も目を開けていた。
 カーテンの向こうでは月が出ていた。
 冬の最中にもかかわらず、不思議と生温い空気の漂う晩であった。本当は寒かったのかも知れないが、体と頭が生温さを感じていた。興味深いことに、妻も私と同じ感覚を味わっていた。二人とも完全に目覚めていたのである。あまりの異様さに、地震でも起こるんじゃないかと言い合ったほどだ。仕方がないから私は起き上がり、夢の内容をノートに記した。
 それが以下の話である。ごく短い夢であり、取り立ててどうという物語でもないが、まあ話題のない新年の挨拶代わりということでお許しを願おうと思う。

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 場所がどこだかはわからない。 
 お腹が空いたので、私は食堂に入った。大変古びた食堂である。安っぽいテーブルが三、四台殺風景に並べてあり、壁の高いところで小さなテレビが映りの悪いニュースを流していた。換気扇の回っているような音がしていたと記憶する。私に背を向けたままの男の客が一人いて、テレビを観ながら政治の悪口を言い続けていた。
 テーブルに座ったものの、どんな料理が出されるか心細い限りであった。カレーライスなら大丈夫だろうと思ってカレーライスを注文した。しかし皿に盛られて運ばれてきたのはまったく別のものであった。
 それはとんかつ大の黒々とした昆虫であった。よく見るとゲンゴロウである。もともと黒いのが焼かれてさらに黒くなっている。何だゲンゴロウか、ゴキブリだったらともかく、ゲンゴロウなら食べられるか、と思った。断わっておくが、私は今までの人生でこの水生昆虫を食した経験はない。しかし夢の中の自分は、なぜだか格別な疑問を抱かなかった。
 それにしても大きなゲンゴロウであった。当然のように出されたので、当然のように食べるしかない気がした。昔の人はこういうものを食していたのだと妙に納得した。
 箸で落ちないように苦労してつまみ上げた。相当重い。思い切って一口齧ってみた。焦げ臭いほかは殊更何の味もしなかったが、食感はいかにも昆虫のそれであった。昆虫特有の臭いも含まれていたような気がする。私はその瞬間、ああ、自分はかつてずっとこういうものを食べていたのだ、と痛感した。結局そのときから自分は何も変わっていないのだ。そのことを忘れてしまっていたから、今頃になってこんな大きな焦げ臭い奴を一匹丸ごと食べきらなきゃいけないのだ。これは付けが回ってきたのだ。これはつまり復讐なのだ。私はやつらに復讐されているのだ。
 やりきれない、と思った瞬間に目が覚めた。

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