た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

馬鹿野郎!

2016年02月27日 | 短編

 その人をMさんと呼んでおく。年上なので、さん付けで呼ぶのである。

 Mさんは酒豪である。年齢的に言えば、一升瓶を手にするより、干し柿を食べ茶を啜(すす)るのが似合う年頃であるし、家族はどちらかというとそれを望んでいるようだが、本人はいつでも赤い顔でへべれけに酔いつぶれて一向に平気である。

 そのMさんが、ホルモンの煙の立ちこめる店で、焼酎の水割りを口に付けながら私を睨(にら)んできた。若い頃は山登りに明け暮れたという顔の皺(しわ)は、まじめな話になると、きりりと引き締まる。

 「馬鹿野郎」

 Mさんが唐突に話題を変えるときは、だいたいがこの接頭語から始まる。叱りつけるときもあれば、単なる世相批判のときもある。褒(ほ)め言葉で使うこともある。つまりほとんど意味のない言葉なのだが、それでも私は形だけ居住まいを正した。

   「はい」

   「馬鹿野郎。お前は、文を綴(つづ)れ」

 しばらく前から箸のつかない網の上のホルモンは、一様に焦げついて、もうもうと煙を立ち上げている。私は煙たさに目を擦った。

 「ありがとうございます」

 「あきらめるな」

 「はい」

 私は諦めていたのだ。文筆の道を歩むことを。才が無いことなどとっくの昔に気づいている。それでも持病のようにときたま書き散らす駄文を、Mさんは片端から丁寧に読む。読むだけでなく、辛辣(しんらつ)な批評を浴びせる。多くは酒の席で。そんな関係がもう何年も続いていた。ところが最近は私に商売っ気が出て、他分野でいろいろと奔走するようになり、そうなると夢から醒(さ)めたように創作意欲が消え失せてしまっていた。それならそれでいいと思っていた。Mさんはそんな私を叱責したのだ。何も、私に大成しろと言っているわけではない。何とか賞を取れと言っているわけでもない(たまに言うこともあるが、酔っ払いの戯言(ざれごと)である)。ただ、書き続けろと言っているのだ。お前はお前らしく、書き続けろ、と言っているのだ。

 私は嬉しかった。簡単に顔に表せないほどに嬉しかった。

 「おい、食え」

 「はい」

 「みんな食ってしまえ」

 「はい」

 店内に残る客はそろそろ我々だけになろうとしていた。炭火は最後の任務を終え、後はもう消壺に入ることだけを待ち望んでいた。Mさんは黙って焼酎の水割りを傾けた。私は何となく正座をしたまま箸を動かした。焦げたホルモンはたっぷり味噌ダレに浸しても、口に入れて噛み締めるとツンと、ほろ苦い味がした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一夜

2016年02月22日 | 断片

  その人はじっとこちらの目を見つめてきた。

  一日分の塵芥が漂う喫茶店の片隅で、私はその人とひとしきり語り合った。 

  綺麗な肌と、変化のない表情をした人だった。その人にじっと見つめられると、自分の語る言葉が誠実でないことを探り当てられたような居心地の悪さを覚えた。それでいて、その人を見返さずにはいられない魅力があった。私はずいぶん上滑りな調子でしゃべったことだろう。

  その人が微笑んだ。それだけで、私は続きの言葉を失った。

  喫茶店の外では、根雪も解けて春を待つばかりになった街が、気を急かさないようにと夜気にしっかり冷やされていた。若者たちは高笑いしながらも足早に通り過ぎた。街には祝祭の日が近づきつつあった。あるいは、遠ざかりつつあった。結局、それは数ある一日の終わりに過ぎなかった。酔っ払いが道路に悪態を吐いた。タクシーが徐行した。月の光は今夜、街のどの辺りに届いているだろうか?

  私は頭の片隅でそんなことを考えた。

  ああ、世の中には、見つめるだけで相手に二倍の人生を歩ませる人もいる!  

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『因』

2016年02月14日 | 短編

 

   限界だった。私の魂はもう、限界だった。

 そんな私を焚きつけるように、雨は激しく窓を打った。いやらしい滴が次から次へと窓に吸着し、まるで無数のヒルのようだった。まったく、あんまり風雨が激しいので、窓ガラスが割れるのではないかと思ったほどだ。

 悶絶するように体をくの字に折り曲げ、手にした出刃包丁の刃渡りを見つめる。妖しく、艶やかに、震えている。これで実の父親を殺すとは到底思えなかった。だが限界なのだ。「さあ、あたしを使ってあんたのお父さんを刺してごらん」と、切っ先が語りかけてくる。「そうしたらずいぶん楽になるわよ」。は! 私は楽になるだろうが、親父は苦しむだろう。いや、そんな感覚が果たして彼に残っているか。自分の息子の顔も覚えていない。糞尿をパンツに漏らしても何ともない。人間的な感覚などない。彼はもう、人間として生きているわけではないのだ。ダニのように煎餅布団にへばりついて、毎日呼吸しているに過ぎないのだ。彼が死ねば、彼も、私も、双方が楽になる。これが最善の道なのだ・・・・私。私は楽になるのだろうか。生みの親を殺して。犯罪。自由。生きる権利。罪悪感と解放感は、同じ天秤にかけられうるのか。黙れ。それどころではなかったのだ。

 雨音に掻き消されるように、救急車のサイレンが遠のいていく。

 私は荒い息を吐きながら、出刃包丁の刃を指でなぞった。人差し指が切れて血が出た。 

   介護とは何だ。介護とは何だったのだ。それを考え始めると、私はいつも憤怒で息が詰まりそうになる。あまりにも壮絶な日々。自分の親の糞の臭い。腹が立つほど臭く、物悲しく・・・・それは、血を分けた子にしかわからない、屈辱に満ちた、やるせない臭いだ。介護とは、一人の人間の重みで、もう一人の人間を押し潰すことだ。人一人の抜け殻で、別の人間を窒息死させることだ。一人前の不幸で、二人前を地獄に送ることだ。

 私には無理だった! それだけだ。小賢しく語ろうとするのはよせ。

   雨音に満ちた薄暗い四畳半の部屋で、私は自分の体が一回り小さくなったように感じた。そのままもっともっと小さくなって、石ころほどの塊になり、畳を突き破って地下深くに沈み込み、地球の深淵に達し、二度と浮かび上がってこない姿を想像した。

   隣の部屋で、親父は昼間から、生まれたての醜い赤子のようにすやすやと眠っている。痴呆が進行しているから、本当に赤子の気分でいるかも知れない。いや、かつては聡明だった人だ。自分の息子の殺意など、とっくに勘づいているかも知れない。勘づいていたら、それでいい。どうせ立ち上がることすらできない体だ。私が今、包丁を手に襖(ふすま)を開け放っても、彼には何もできない。私は確実に、彼を殺せる。

   私は愕然とした。

   私は、私を可愛がり、ときには厳しく叱りながら育ててくれた親を、この手で殺そうとしているのだ

   全身から汗が噴き出た。

   大好きな親父ではなかった。実直なだけに不器用な人だった。こちらの気持ちをなかなか理解してもらえなかった。八年前から寝たきりになり、介護していた母親が三年前に他界した後は、自分が面倒を見るしかなかった。最初は責任感で懸命だったが、すぐに死ぬほど嫌になった。一度でも感謝の言葉をかけてもらったことなどなかった。そもそも感謝の意味がわからない人になっていた。だがもちろん、もちろん、殺すほどのことではない。

   かつては、「父さん」と呼んだこともあった。

   いたたまれない感情が吐き気のように込み上げてきて、私は包丁を振り上げ、思い切り畳の上に刺した。繊維の切れる音がして、鈍い手ごたえがあった。

   私が殺そうとしているのは別物だ。この隣の部屋に横たわっている半分干からびた肉塊は、もはや私の父親ではない。私から自由を奪い、人生を奪い、恋愛するチャンスを奪い、未来を奪った悪魔だ。

   額から流れる汗は止めどなかった。私は思わずにやついた。

   恋愛だと? 笑止。私は自分に寝たきりの親父がいなかったら、果たして恋愛ができていたのか? 恋愛まで親父のせいにするのか? 親父がいなくても私はやっぱり、私の中の別の何かを寝たきり老人のようにして、その介護に自分を追いやることで人との出会いから逃れようとしたのではないか

   馬鹿馬鹿しい! 私は畳に刺さった包丁を抜き取り、立ち上がった。ふらつく体を支えるために、二、三歩地団太を踏まなければならなかった。私は被害者だ。一人息子として強制的に不幸を押しつけられたのだ。三年前母さんが脳梗塞で倒れたときから、すべての歯車が狂ったのだ。そしてもうどうしようもなくなったのだ。こうなる日を、ただただ待つしかなかったのだ。

 私は襖(ふすま)を開け放った。

 隣部屋を覗いた瞬間、私の心臓は凍りついた。日中でもカーテンは閉め切ったまま。雨の日はなおさら薄暗く、老人が寝起きする部屋特有の加齢臭が湿っぽく満ちている。だが、布団の上に、彼がいない。布団はいつもの場所に敷いてある。汚い湯呑みと急須を置いた丸盆も枕元にある。鼻を噛んだり零れた茶を拭いたタオルがくしゃくしゃのまま抛られているのさえ、いつも通りである。しかし、布団に横たわっているはずの当人がいない。立ち上がるのさえ、困難なはずの当人が。

 部屋の四隅を見渡しても、どこにも、影も形もない。

 カーテン越しの雨音が一段と強くなったように思われた。

 出刃包丁がするりと私の右手から滑り落ち、敷居に刺さった。

 私は、私こそがその布団の上に横たわるべき人間であったことにようやく気づいた。私はふらふらと布団の上に膝を突き、身を横たえ、掛け布団を首まで被った。全身がガタガタと震えていた。私はいろんなことを思い出していた。自分はもう八十に手が届く年齢で、中年になる息子がいること。もう少し待てば、彼が職場から帰ってくること。息子は部屋に入るなり、おそらくすぐに、敷居に刺さった出刃包丁に目を留め、初めは驚くだろうが、やがてすべてを合点し、包丁を抜き取り、私の胸元に力いっぱい突き立てるだろうこと。これまで三年間も散々苦しめられてきた私から、今こそ解放されるために。

 体の震えは、一向に止まらなかった。ひどい寒気を感じていた。雨は行く先の定まらない風にひっきりなしに翻弄されていた。私は掛け布団を目元まで引き上げて被り、やっぱり全身をガタガタと震わせながら、ほとんど影としかわからない、敷居に突き刺さった出刃包丁をじっと見つめ続けた。

 (おわり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無芸

2016年02月12日 | 俳句

   更新が滞っている。日常の雑事に追われてなかなか書けない。時間ができても書こうという気にならない。無理に言葉を捻ろうとすると、速やかに睡魔に襲われる。日々疲れているのでまたよく眠れる。なるほど、文芸とは漱石の言う「高等遊民」の業であって、とてもではないが世俗の塵芥に塗れた私などにかなうものではないのだろう。 そこで一句。困ったときは、一句に限る。

 

           ぬくぬくと   縁(えん)に寝そべる    無学かな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする