た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

『海』

2018年07月27日 | 短編

 日本海さま

 

 久しぶりにあなたにお会いしたくてやってきました。どうしても海が見たくなることがあるんです。

 あなたは相変わらずですね。何て言うか、広々というか、静かというか、勝手気ままというか、まるでうちの会社の上司が二日酔いしたときみたいに、憮然としておいでですね。私、あなたのそういう傍若無人なところが好きです。うちの上司は大っ嫌いですけど。器の大きさが違います。

 海に向かって手紙を書くのは、私初めてですわ。だって私、海に一人で来て、退屈ですもの。座るところがないから浜茶屋に入ったんですけど、女の一人客って珍しいらしく、随分変な目で見られてます。この人、入水自殺するんじゃないかくらいに思われているんでしょう。ま、そう思われても仕方ないし、実際しても構わないくらいの気持ちはあるんですけど。でも、こんな馬鹿みたいに明るい海岸では死ねませんわ。周りを見渡しても馬鹿面ばっかりですもの。

 私の隣にいる若者たちなんて、入れ墨を入れた腕をこんがり焼いて、まるで焼け出された仏像みたいな恰好でにやにやしてるんだから、あのままもっとこんがり焼いて炭にでもした方が誰かの役に立ちますわ。

 お昼時のせいでしょうけど、子どもたちはまた、どうしてラーメンばっかり啜ってるんでしょう。こういう浜茶屋のラーメンが美味しいわけないじゃないですか。自分の顔の倍ほどもある碗に顔を埋めて、ずるずる啜ってるけど、結局最後は残して親に叱られてるんだから、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。

 そんな中で私一人、黙々とあなたに手紙を書いてたりするもんだから、ちょくちょく茶屋のおばさんたちが遠巻きに覗きに来たりします。ワンピースなんか着てるし、到底海で泳ぎそうにないし、これで手紙を書き終えてから波打ち際にでも歩いていけば、いよいよ警察に連絡されそうですわ。そんな風に想像するとちょっと愉快です。ほんとに入水してやろうかしら。みんな大騒ぎになるわよね。すぐ助けられそうだから、そこが難しいところだけど。

 もしここでうまく死ねたら、あの人、泣いてくれるかしら。泣かないでしょうね。今幸せなんだから。ちょっと暗い顔をしてみせて、「聡子らしい死に方だな」なんてうそぶいて、勝手に納得するんでしょうね。男なんてそんなもんよ。会社にも知らされるかしら。深田課長が聞いたら、「真面目すぎるのも困ったもんだ」って言うわね、絶対。あの人の口癖なんだから。「君は真面目すぎるからだよ。たまには飲みに付き合いなさい」って。死んだら飲みにも付き合えませんよ。私が独り身になったからって、独り身になったからって、何よ。寂しさを紛らすために飲んで好きでもない男に抱かれたりなんか、私はしませんよ。失礼よ。やだ私、風で砂が目に入ったのかしら。

 ねえ海さん、あなたって、いろんな汚いものを全部引き受けてるでしょう。川から、船から、海岸から。工場の排水とか、ゴミとか、変な死体とか、あそこでラーメン啜っている子たちが海の中でしたおしっことか。あの子たち絶対おしっこしてるわよ。そんな風にね、汚いものを毎日毎日どしどしと受け入れてるのに、どうしてあなたは、いつも平気なの。平気かどうか知らないけど、平気に見えるのはどうしてなの。

 そよ風が心地いいわ。

 さ、手もくたびれてきたし、そろそろペンを置いて、波打ち際に歩いていこうかしら。怪しまれるかな。こんな泣き腫らした目で女一人波打ち際に向かっていったら、どう考えても怪しまれるかな。でも、海さん、安心して。私ここじゃ死なない。私の穢れた体であなたを汚したりしない。ただ、ちょっとあなたに触ってみたくなったの。あんまりあなたが平然として美しいから、そういうあなたに素足を浸したくなったの。

 ねえ。海さん。

 お願いだから、私を洗って。

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早朝の名古屋駅にて

2018年07月18日 | 断片

 夜行バスはさすがに寝苦しく、寝たのか寝てないのか判然としない頭で、私はぼんやりと駅構内にある喫茶店の一隅に腰かけていた。昨日、博多で知人の結婚式の披露宴と二次会を終え、その足で夜行バスに乗りこみ、十一時間かけて名古屋に着いたところだ。これから特急に乗り換えて松本まで戻り、帰れば早速本日の仕事に取り掛からなければならない。スケジュールがハードというほどでもないが、非日常から無理やり、ひと息つく間もなく日常に連れ戻されるという感はある。

 結婚式というのは、それがどんなものであれ、何かしら教訓的である。式場を後にする出席者各々にじっくりと考えさせるものがある。結婚とは何か。自分の結婚とは何だったのか。などなど。私自身は己の色褪せた日常のことを考えながら、駅のコンコースを行き交う人ごみを、見るともなしに眺めていた。珈琲はとっくに飲み終えていたが、電車までまだ時間があった。

 色褪せた日常、か。たしか誰かの歌にあった言葉だ。言い得て妙だ。と、この歳になってつくづく思う。

 テーブルに両肘を突き、背中を丸める。

 華やかさとは何か。何をすれば人はそれなりに華やかな人生を送れるのか。結婚式然り、華やかな式典の大部分は、虚飾である。しかし虚飾すら纏(まと)えない日々は、干からびた蛙の死骸のように虚しい。

 私はからっぽのマグカップを傾けた。先ほどからもう何度かそんなことを繰り返している。多少心がざわつき始めたのかも知れない。

 心を落ち着かせるため、私は深呼吸をして、窓ガラスの向こうに視線を戻した。

 通勤するサラリーマン。通学する女子高生。お互い手をひき合うようにして歩く二人の老婆。また女子高生。女子高生。サラリーマンの集団。リュックを背負いきょろきょろしながら歩く青年。パンパンに膨らんだ買い物袋を三つくらい手にした女。

 だんだん彼らの顔からピントが外れて行き、誰もがぼんやりとした輪郭になった。輪郭だけになってもなお、彼らは行き来し続けた。たくさん通るときもあれば、空(す)くときもある。一列に並んで行進しているように見えるときもある。

 ふつふつと、愉快な気分が湧いてきた。

 店内を流れる軽めのジャズに、まるで、窓ガラスの向こうを行き交う彼らが歩調を合せているような錯覚が、私を襲った。行ったり、来たり。大勢行ったり。数名来たり。俯いたり、前を向いたり、ほんのいっとき立ち止まったり。床は白いタイル張りである。しかしその白いタイルに人知れず鍵盤が隠されているのだ。その鍵盤の上を彼らが行き交うことで、一つの軽快な音楽を奏でているのだ。

 なんだ、と私は思った。みんな、揃ってそんなことをしてたんだ。私は笑いたくなる衝動をこらえた。そうか。そういうことか。一人一人は自覚していないけど、ここは、そういう場所だったんだ。

 鍵盤の上を、人々が行き交う。それぞれのリズムと音階で。一見ばらばらなようだけど、それらが複雑に交差し合い、調和をもたらし、止むことのない音楽となる。

 それが日常なのだ。

 私は立ち上がった。マグカップを返却口に戻し、トランクを引いて店の外に出た。そろそろ電車の入ってくる時刻である。睡眠不足で朦朧としている自分がわかる。だからこそ変なことも思いつくのだろう。しかし案外意識は明晰だ。いずれにせよ、戻らなければならない。私が戻りたいと思っている場所へ。脚は少々重くとも、歩けないほどじゃない。いつだって、人は自分の意志で歩くのだ。

 さあ、私もあの上を、歩いていこう。 

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習作(部分②)

2018年07月13日 | 断片

 「何でこんなことをした」

 低いだみ声が、取調室の隅々までを揺さぶった。「答えろ。何でこんなことをした」

 俊希は俯いて歯を食いしばり、何一つ答えずにいようと何度目かの決意をした。取り調べは八時間にわたり続いていた。頭は朦朧として一つの事をまともに考えられなくなっていた。ひどく疲れを感じ、じっと座っているだけでも体中が軋んだ。何一つ答えずにいようと決意したばかりなのに、むしろ立て板に水のごとくまくし立ててこいつら無能な捜査官たちををけむに巻いてやろうかという気がむらむらと起きてきた。とにかく、彼は無性に腹が立って仕方なかった。

 「喉が渇きました」

 「何?」

 「喉が渇きました」

 「そうか。喉が渇いたか。喉が渇いたろうな。おい、水を持ってきてやれ」

 紙コップに水がさざ波を立てて運ばれてきた。

 捜査官は、もたらされた水入りの紙コップを自分の側に置かせた。微笑みをわざと強張らせたような表情をして、彼は口を開いた。

 「水を飲みたいだろう。そうだよな。俺も喉が渇いたよ。お互い疲れたよな、何時間もこんなことやってちゃ。なあ、何で今回のようなことをしようとしたか言ってくれれば、休憩にして、お互い喉を潤そうじゃないか」

 「そういう・・・暴力は許されているんですか」

 「暴力? 何が暴力だ」

 「水を飲ませないのも立派な暴力じゃないですか。拷問ですよ。日本の法律じゃ、拷問は禁止されているんじゃないですか」

 机を叩き割りそうな勢いで、捜査官の拳が振り下ろされた。俊希はびくっと身震いした。

 「ふざけるな。お前は九人に切りつけてそのうち三人を殺してるんだよ。三人殺したんだぞ。お前とは何のかかわりもないし、お前に恨まれる筋なんていっこもない人たちばかりだ。みんなお前に刺されたときにゃ、喉の渇きなんてもんじゃあない、とんでもない苦しみにもがき苦しんだろうよ。喉が渇いただと? ふざけるな。自分がタガーナイフで刺されたらどれだけ苦しいか想像してみろ。え? 想像してみろよ。それとも何か。お前はお前に刺された人たちが苦しむなんてことを想像してなかったのか?」

 俊希はひどく青ざめたが、努めて無感動に答えた。「想像してました」

 「じゃあ何でこんなことやったんだ。言え。言ってみろ。人が苦しむさまを見たかったのか」

 「苦しみなんて主観的なものだ」

 「なんだと?」

 捜査官は思わず立ち上がった。俊希自身、自分の発した言葉があまりに冷淡なことに驚いていた。部屋の隅にいた記録係の捜査官も手を止めて彼らを見つめた。狭い取り調べ室に汗の出るような緊張が走った。

 「苦しみなんて主観的なもんでしょう。誰がどれだけ苦しんだか、どうしてあなたにわかるんですか」

 唇が震えるのを自覚しながら、俊希は精一杯嘲るように言ってのけた。

 捜査官が彼の襟首をつかんだ。鋼鉄で出来た様な固い拳だった。

 「俺がお前に教えてやろうか。どれだけの苦しみかってことを」

 ぼくだって、苦しんできたんだ、と、喉元まで言葉が出かかったが、呑み込んだ。自分を主語にして語り始めると、涙が出るかも知れないと、彼は思った。それはまずい。

 「やっぱり暴力だ」

 「何?」

 「暴力だ。これは暴力でしょう。裁判で訴えますよ」

 襟を掴む拳が緩んだ。その手が紙コップを激しく払い、紙コップは壁に当たって変形し、水が壁を滴り落ちた。

 捜査官は椅子の音を立てて背を向け、取調室を出て行った。出て行きざま、低いだみ声で捨て台詞を残した。

 「九人の人生分苦しめ」

 

 

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雑感

2018年07月09日 | 断片

 犬は散歩に連れて行ってもらえるとわかるたびに、これ以上ないほど喜びはしゃぐ。昨日の散歩だって大したものではなかったし、一昨日だってそうだ。そして明日だって、どうせ昨日や今日と同じように散歩に連れて行ってもらえるのだ。何もそんなに喜びはしゃがなくてもいいだろうと人間である私は思ってしまう。

 だがもし人間も、こんな風に毎日の決まりきった行いに喜びを感じられたら。そうなったら、どうだろう。ひょっとして、百年も生きようと思わなくても済むのかも知れない。

 人間には記憶力がある。ちょっとした批判能力もある。それが人間を退屈させているのでなければいいが。

 犬が立ち止まるので振り返ったら、北アルプスが雲の上にそびえていた。

 

 

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習作(部分①)

2018年07月03日 | 断片

 拘置所の窓は小さい。おまけに錆びついた鉄格子が幅を利かせているから、そこから入る光はほとんど用をなさない。ただ、まだわずかでもこの世と繋がっていることに気付かされる。繋がっていてもどうせ戻れない「娑婆」なのだから、むしろそんな思わせぶりな繋がり方など無い方がましである。まったく窓のない独居房であれば、潔く人間を辞めてモグラにでもなろうものだ。

 自分は人を殺したのだから、何にならされても文句は言えない。できれば、市中引き回しの上磔のような最期を遂げたい。ここは、あまりにも考え事をする時間が多い。

 部屋の隅を見遣ると、漆喰がその凹凸に汚れを溜めて、抽象絵画のように見えてくる。もっとじっと見つめていると、やがて人間の顔に見えてくる。どれもこれも怒っている。自分が手を下した人たちの顔かも知れない。実際どんな顔だったか、よく覚えていない。

 自分は手際よく次々と人を殺めたから、逆にこうしてじっくりと時間をかけてなぶり殺されるのだ。こうなることは罪を犯す前から覚悟の上だった。これが社会という名を背負った連中のやり口だからだ。ろくでもない奴らだ。窓が小さすぎて、あんまり息ができない。壁と壁に囲まれていると、胸が押しつぶされそうになる。どうせ死刑なら、市中引き回しの上磔のように、賑やかにやって欲しい。

 自分はすでに、存在を奪われた。命を奪われるには、あともう少し時間がかかるらしい。

 

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