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た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

熊に出会う

2017年08月16日 | essay

 車に乗っていると、いろんなものに出会う。中房温泉を目指しているときは、猿に出会った。猿はそれ以外にも時々出会っている。二年ほど前、両親を連れて扉温泉に立ち寄った帰り道には、鹿の親子連れに出会った。三頭いたから、親子連れだと勝手に決めつけている。友だち連れかも知れない。だいぶ昔になるが、上高地の近くでカモシカを目撃したこともある。

 先日は熊に出会った。熊に出会うのはよくよくのことと思う。そのときも温泉地を目指していたから、考えてみると、温泉を目指すと動物に遭遇していることになる。だがさらに考えなおすと、温泉地はたいてい山の中にあるので、これは当たり前のことである。温泉を目指さなかったら、そんな山奥に行く必要もない。

 その日は、行ったことのない温泉(確か雨飾温泉とかいったと思う)を、看板だけを頼りにふとした気まぐれで目指していた。やたら細い坂道を何キロも登った。大きな道路から入るところには看板があったが、途中には何もない。木の枝や小石が路面に落ちていたりして、どれほどの交通量があるのかも怪しげな山道である。本当に着くのだろうかと不安になった矢先、カーブを曲がったら、黒いものがお尻を見せて走って逃げていくのがわかった。急ブレーキをかけて見送ったが、あれは確かに熊だった。そんなに大きくなかったから、子熊かも知れない。

 熊はさすがに迫力がある。逃げるお尻だけでも十分な迫力である。同乗者一同驚嘆し、当然ながら引き返すことも検討した。熊に襲われたら車なんて一発だ、という意見が出たが、そもそも熊は車を襲うのか?という疑問も出た。確かに、もう二度と出てこないことも十分考えられる。何より、温泉には入りたい。雨飾りという陰気なんだか陽気なんだかわからない名前にも強く惹かれるものがある。ここまで来て引き返すのが悔しい。せめてひと風呂浴びて引き返したい。

 ハンドルを握るのは私だったが、結局、ギアをドライブに入れ、先に進んだ。このような浅はかな判断で、世の災害というものは起こるのだろうが、そのときは同乗者が全員浅はかだったらしく、特に異議は出なかった。

 車はこわごわと進んだ。対向車は一台もない。森はさらに奥深い。子熊が親熊を呼んできて奇襲攻撃を受けたり、熊の集団に囲まれてカツアゲされたりする想像図を同乗者同士で逞しくしながらも、こんな秘境にある温泉なんだからさぞかしいい湯だろうという希望的観測を頼りに、さらに数十分ほど山道を登った。しかし行けども行けども辿り着かない。熊に再び遭遇する恐怖でハンドルを握る手が汗ばむ。道はどんどん細くなり、車一台通るのに、両脇から茂る葉っぱが車体に当たりそうなほど狭い道になった時点で、ついに断念して下山した。

  あの先に本当に温泉があったのかどうか、今もってわからない。狐の化かす話は昔からよく聞くが、熊に化かされたのかも知れない。冷や汗だけかいて、ひと風呂も浴びられずに随分損をした。今度道端で熊に出会ったら、その先には進まずにおこうと思う。

                         


座禅

2017年07月18日 | essay

座禅の体験があるというので行ってみる。

脚をきちんと組めないから、半分だけつま先を上げて半跏趺坐というやつを組む。慣れない。こんな脚の組み方ではとても半時持たない気がする。それでもここで止めるわけにもいかない。

手で印を結ぶ。背筋を思い切り伸ばし、薄目を開ける。

鐘がチン、と鳴る。

堂内にいる四十人ばかしの参加者はみんな一斉に同じ姿勢で黙り込む。

一分。二分。五分。十分。何分経っても静かである。

警策と呼ばれる棒を持った僧侶が、背後を、しわり、しわり、と畳の音を立てながら近づき、遠のいていく。

心を無にしたいと思う。が、できない。当たり前である。たった一日の体験で心が無にできるわけはあるまい。それでもせっかくだから無にしたいと思う。無が駄目ならせめて悟りを開いたような心持ちになりたいと思う。もちろんそれも叶わない。

しわり、しわり、と足音。

左隣の人がやたら警策に叩かれている。僧侶が通るたびに合掌して警策を請求している。せっかく体験に来たのだから、たくさん叩かれた方が得だ位に思っているのかも知れない。

右隣の女も落ち着かない。腹筋が弱いのか、背筋を伸ばしては猫背に戻り、また背筋を伸ばしては猫背に戻っている。この女こそ叩かれるべきである。合掌して隣をお願いしますとでも言ってみようか。もちろんそんなわけにはいかない。

一向に心が落ち着かない。坊主は毎日こんなことをしているのだろうか。

鐘がチン、チン、と二回鳴る。

終了の合図である。

脚のしびれだけが残った。

 


怪しい病気

2017年06月30日 | essay

 朝起きて、まぶたの上が痒い。

 さては虫に刺されたかと、適当に掻きながら過ごしていたが、二、三日経っても腫れがひかない。それどころか広がりを見せている。家人に勧められ、皮膚科に行った。聞くと、市内でも有名な皮膚科らしい。確かに有名だけあって、待合室は人でごった返していた。老人もいれば、女子高校生もいる。子どもを抱えた奥さんもいれば、中年男性もいる。私である。おそらく市内中の皮膚に問題を抱えた人たちが集まってきているのだろう。

 二時間待ってようやく診察室に通された。綺麗な女医さんが一目見て、「あ、これは帯状疱疹ですね」と言う。脇に立っている看護師も、おお、帯状疱疹ですか、といったしたり顔で頷いている。私一人狐につままれた顔で、「帯状疱疹って何ですか」と訊き返した。恥ずかしながら、この歳になるまでその四字熟語を聞いたことがなかった。聞いても耳に残らなかったのかも知れない。女医さんは、あなたは帯状疱疹も知らないで今まで生きてきたのですか、といった微妙な間を置いたあと、丁寧に症状を説明してくれた。おまけに隣の看護師がさっとパンフレットを差し出してくれた。帯状疱疹とは何かを書いた漫画入りのパンフレットである。どうも、それなりに名の通った病気らしい。「痛かったでしょう」と言われたので、「いや、そんなに」と言い返したが、「相当痛いはずですけど」とまともに取り合ってもらえなかった。自分は本当にその帯状疱疹なのか? やっぱり虫刺されじゃないのか? という一抹の疑念が残る。

 感染の恐れがないと聞いて一安心する。疲労がいけないらしい。たしかに最近疲れていた。いや、いつでも疲労していると言っても過言でない。パンフレットには、しっかり休息するようにと書いてあるが、それができる身分であれば、帯状疱疹にはならないだろう。

 薬が高いんですよ、と脅されて、薬局に行ったら、確かに高かい。念のため、「ジェネリックはないんですか?」と聞くと、その老薬剤師は、「ジェネリックはあることはありますが、帯状疱疹だけはねえ」と言う。隣にいた奥さんも、「帯状疱疹だけはよした方がねえ」と同じことを繰り返す。よほど重い病気らしい。

 薬を買ってお金を払ったとき、老薬剤師が「いつから発症しているんです?」と訊いてきた。「先週の半ばくらいですか」と答えたら、「え、そんなに前!」と驚き、ドリフターズのコントのようにとほほ、と腰の砕ける仕草までした。よくよく人を脅すことの好きな老人である。先週だったら命にかかわるとでも言うのか。「帰ったらすぐお薬を飲んでくださいね。帰ったらすぐですよ」と彼は私の背中に向かって何度も念を押した。

 家に帰り、家人に報告すると、老薬剤師以上に驚かれた。知り合いに話してもみな、「帯状疱疹!」と嘆き、同情してくれる。なぜ周りがそんなに騒ぎ立てるのか、ちっともわからない。まぶたの上が痒いだけである。それでも同情されること自体はそんなに嫌いではない。帯状疱疹という名前が、まるで軍隊の号令のように仰々しくて、その上薬が高価なので、何となく威厳を得た様な誤解までしている。

 薬を飲んで数日になるが、効いてきたような、いま一つのような感覚である。痒みがおさまったと言えばおさまった。やっぱり虫刺されじゃなかったのか、あの綺麗な女医さんは綺麗なだけに誤診したんじゃないか、と再び勘繰り始めている。


鹿沢温泉

2017年06月19日 | essay

 朝からの曇り空の下、当初予定していた渓谷行きを断念し、漠然と軽井沢を目指して車を走らせる。白糸の滝を見物し、古物商を冷やかし、帰路に就く。ひと風呂浴びてさっぱりしたくなり、地図のみで知る群馬は鹿沢温泉を目指してハンドルを切り、北上する。

 時刻ははや夕暮れ時。奥座敷にスキー場まで抱える山道は、勾配がかなり急である。あとどれだけ走れば辿り着くかもわからない。不安に襲われる。それでも走り続ける。鹿沢温泉は、私にとってほぼ一年越しの宿願なのだから。

 一見、無味乾燥で中性的に描かれた地図も、じっと眺めていると、何かしら訴えてくる箇所がある。鹿沢温泉はそんな存在だった。一年ほど前から、地図を見るたびにそこが気になって仕方なかった。実は数か月前にも行くチャンスがあったが、遠いということと、他に温泉はいくらでもあるという理由などから、見送った経緯があった。今回を逃せば、次はいつかわからない。もう再び目指さないかも知れない。私はハンドルを強く握り、レーシングゲームのような難所をひたすらに登った。

 スキー場を越え、下り坂に変わったところで、その目的地に辿り着いた。新しい建物と納屋のように古く見える建物が併設してある。温泉はその納屋みたいな方らしい。

 五百円を払って中に入る。

 狭い簀の子板を踏み鳴らせば、男湯の紺の暖簾と女湯の薄紅の暖簾。全てが長い年月を耐えてきた、慎ましい風格を湛えている。何かとても懐かしい感覚を覚えながら浴室に降り立つ。

 湯気が高い天井までもうもうと立ち昇り、窓から差し込む光も淡い。ちょっと洞窟に迷い込んだような錯覚を覚える。半分朽ちたような外観の湯船。そこを溢れかえる白濁の湯。そうだ、昔の温泉はみんなこんな感じだった。余分な装飾は一切なし。露天もなければ、下手をすると洗い場すらない。だがそれでよかったのだ。なぜなら、温泉につかりに来たのだから。素敵な景色を眺めたり、リッチな気分に浸りに来たのではない。温泉を求めて来たのだ。いにしえから受け継がれた信頼に足る泉質の湯が溢れていれば、それで十分なのだ。

 湯は鉄分や塩分を含むらしく、じんじんと体に浸み込んできた。思わずうなり声をあげて四肢を伸ばす、そういう類の湯だった。最高だ。なんだ、やっぱり最高とはこんなところにあったんだ。そう思いながら、私は何度も湯で顔を洗った。

 

 

注:写真は白糸の滝。なお、帰宅後調べてみると、鹿沢は千年以上の歴史ある温泉と判明した。気になっていたのなら前もってこういうことを調べておかなければいけない。肝心の鹿沢温泉の写真がないのもいけない。

 

 


ワイン巡り

2017年06月13日 | essay

 先日、美ケ原温泉旅館組合主催のワイン巡りとやらに顔を出した。千五百円で、旅館を六軒回り、それぞれにワイン一杯とつまみをいただくというものである。これに参加賞のつもりか箸までついてくるから、随分お得である。地元の温泉宿なんて普段利用する機会がないから、門の内側をあれこれ覗けるだけでも面白い。つまみもそれぞれの宿が趣向を凝らしていて、これまた面白い。旅館と旅館の間をけっこう歩くが、ほろ酔い加減だと路地を抜ける風も心地よく、これはまたこれで気持ちよい。そんなに楽しいものともつゆ知らず、夕方残り一時間くらいになってから参加したので、元を取ろうと慌てて歩いて汗を掻いたのだけは後悔した。

 カメラを忘れたので、写真はない。腕時計まで忘れたので、時間がわからなくて困った。気楽なものである。だが参加している面々を見ると、みんな似た様な気楽な人種であった。そのような人種を呼ぶ催しものであったと言える。


菜園

2017年06月11日 | essay

 一大決心をして家庭菜園を始めた。ただし半畳ばかりの小さな畑である。猫の額と言ったら猫が怒りそうなほど狭い庭なので、とれる面積もそれがせいぜいである。それでも気分だけはいっぱしの農家気取りで、何を植えるかでさんざん悩んだ。選んだのは、ミニトマトときゅうりとピーマン。場所もないのに欲張ったものである。しかも苗を買い付ける段になって、ふとした気まぐれで種から育苗器で育てることになった。まったく素人の浅はかさである。経験をしていない者ほど、「どうせやるなら本格的に」などと意気込んでいきなり高難度に挑戦し、失敗するのである。兼業農業である実家の母に電話で報告したら、馬鹿にされた。そんなことをする農家はいないのだそうだ。

 それでも種は同居する義母の献身的な水やりのおかげでちゃんと発芽し、地植えも無事終え、現在、なかなかに立派な姿を見せている。きゅうりは花も咲いた。そのことを実家の母に報告したら、苗から育てたきゅうりはすでに収穫を始めているとのこと。「ま、せいぜいがんばってください」と冷やかされた。

 実がなるかどうかはまだわからない。実家の母の冷笑も気になるところである。それでも、はや充分に楽しませてもらっている。


南木曽より妻籠まで

2017年06月02日 | essay

 JRの南木曽駅から妻籠宿までを歩く。妻籠から馬籠までのコースほど人気がないのか、単に平日のせいなのか、行けども行けども人とすれ違わない。風が心地よい。山肌に沿って石畳が連なる。街道脇の家々はつつましく庭木を剪定し、寂寞(じゃくまく)たる竹林が物思いを誘う。

 背に汗が滲み始める。だんだんと、忘れかけていた時間の流れを思い出す。

 

 一軒家の前で立ち止まった。

 妙な石膏像が窓からこちらを覗いている。思わず覗き返していたら、奥から人が出てきた。聞くと、芸術家の先生の実家とか。出てきたのは、先生のお母さんであった。なるほど、こういう場所で制作活動をしたら、せせこましい世の中を睥睨(へいげい)するような作品ができるかも知れない。

 家を辞して、さらに街道を行く。

 なだらかな坂をいくつか登り、沢を二つほど渡る。石段を下ったら、妻籠宿に辿り着いた。蕎麦屋がある。土産物屋がある。買い物袋を提げた観光客があちらこちらを指さしている。

 いつの間にか、いつもの時間に戻っていた。

 

 蕎麦屋で蕎麦を食い、朴葉(ほおば)巻きを買って、帰路に就いた。

 


彦根城!

2017年05月29日 | essay

 所用で大阪へ。松本から往復十時間、車の日帰りはなかなか体にこたえる。行けども行けども防音壁に覆われた変わり映えのない風景を走っていると、タイムマシンに乗せられたような、時間と空間の感覚を失ったような、妙な気分になる。こういうときに油断が生じて事故を起こすのだと慌ててハンドルを握り締める。しばらくするとまた意識が遠のく。その繰り返しだが、さすがにただ行って帰るだけでは詰まらないし、同乗者も詰まらないと不平を言うので、仕方なく、帰路、彦根に立ち寄る。

 彦根についてあらかじめ下調べをしていたわけではなかった。彦根インターチェンジを降りれば、そこには彦根城があるだろうくらいの場当たり的な寄り道であった。すでに夕刻。日は低い。仮に城に辿り着けたとしても、果たして中に入れるかどうかすら怪しかった。

 だが観光客の消えた彦根城は、雄大かつ荘厳な遺跡となって、我々を迎え入れてくれた。大名一行が通れそうなほど幅広の石畳。徳川幕府に歯向かおうとする者の心を挫くに余りある幾重もの頑丈な城壁。夕日を浴びて燦然と輝く白壁。そして、城の背後に広大なスケールで横たわる、靄の立ちこめた幽玄なる琵琶湖。

 それは言葉を失う美しさであった。我々は圧倒された。ひこにゃんには会えなかったが、そんなことはどうでもよかった。

 時を告げる鐘の音が、城中から眼下に広がる街並みへ、低く、長く、鳴り響く。

 我々は城を後にし、現実に戻るために車に乗りこんだ。

 深夜に松本着。

 


桜さくら

2017年04月20日 | essay

 この季節になると、毎年のように感心することが二つある。一つは、日本全国の桜の多さ。ニュースを観ると、桜便りばかりである。日本中が桜の木で埋め尽くされたような感を持つ。近所も然り。犬の散歩でもしようかと路地を歩けば、滑り台一つだけの小さな公園にも一本見事な桜が咲いていたりする。寺にあり、学校にあり、川岸にあり、墓場にある。植えた先人たちは実にご苦労様なことである。

 もう一つは、桜を愛でる日本人の多さ。桜があるところでは大抵誰かが花見の宴を開いている。敷物を広げるまでいかなくとも、近所に住む老人、仕事をさぼった道路工事夫、犬に引き摺られて散歩する住民など、どこでも誰かが、桜を見上げている。珍しくもないのに写真まで撮っていたりする。

 かく言う私も、今年も幾度か花見をした。

 先週末は電車とバスを乗り継ぎ、高遠の桜を見に行った。城址公園行のバスがほとんど外国人で占められていることに驚いた。聞くと彼らは日本人の桜を愛でる習慣が面白くて、わざわざそれを見に来るのだそうだ。こうなると、花を愛でる日本人を愛でる行為になり、ややこしいことになる。まあ日本人も案外、それに似た動機なのかも知れない。つまり自分たちが国民行事のようにこぞって桜を楽しむその姿を見て楽しむために、あちこちの公園へと向かうわけである。

 高遠は酒蔵で試飲ができる。それを心ゆくまで味わいたくて電車にしたのだ。行きの車内で飲み、城址で飲み、下山して酒蔵で飲み、連れと二人、ふらふらになって帰った。

 また昨日は、遊び仲間の男三人で、アルプス公園で花見をした。仲間の一人が寿司職人で、やたら豪勢な弁当を差し入れるのが何よりこの会の特権である。寿司を頬張り、そよ風にさざめく桜を見上げると、これ以上の贅沢はない気がしてくる。ただ惜しむらくは花が五分咲きで、そよ風がときおり北風に変わって肌寒かった。夕方から仕事のある私は、今回はノンアルコールビール。しかし私を除く二人は、へべれけに酩酊して桜が二重にも三重にも見えたことだろう。

 花と言えば桜を意味するようになったのは、いつ頃だろうかと、一人がつぶやいた。おそらく、桜と酒との相性に人々が気付き始めた頃に違いない。

 

 

     夢を出て  また夢に入る  花のみち 

 

 


合宿

2017年03月27日 | essay

 

 合宿、というのは実に蠱惑的(こわくてき)な響きを持つ言葉である。年齢を重ねるごとにその言葉の持つ若々しさが目にまぶしくなる。理由は単純で、歳を取ると合宿する機会がなくなるからである。合宿とはもちろん、仲間と共に日暮れまでへとへとになって球を追いかけたり、大浴槽ではしゃいだり、夜更けに枕投げをして叱られたりする、あれである。入口が禁欲的で、ゴールが開放的という、何とも理想的な上昇曲線を描いた一大イベントである。そういう体験への郷愁を、大人になっても大人になれない小僧たちは、心のどこかに諦めきれないで抱えている。だから人生の半ばを過ぎても、合宿という言葉を耳にするだけで、まるで、幼い頃何度も使った補虫網を何十年かぶりに再び手にし、裾をたくしあげて森に向かうような、わくわくどきどきとした高揚感が募るのである。

 ということで、人生の半ばをとうに過ぎたスキー仲間三人は、自分たちのことをスキー部と称してはばからず、年に一度、互いの仕事の都合を何とかやりくりして、一泊限りの「スキー合宿」を敢行するのである。

 先日、そんなスキー合宿に行ってきた。日程としてはただ滑っては飲み、飲んでは滑り、宿に帰っても飲むという、切磋琢磨とは程遠く、人生の半ば過ぎの輩にはいたって相応しいものであった。

 来年もまたやるらしい。「合宿」という看板だけが多少世間体をはばかられるが、まあ、それも降ろさないでやるのだろう。