た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

嘆き虫

2011年04月23日 | うた
 
 なんとなく逃げ道が

 あると思って生きてきた

 豊かな国というだけで

 住みよい国だと思っていた

 なんとなく逃げても

 許されると思っていた

 辛い。こんなにも辛いとは。

 食べること。

 食べるものを手に入れること。

 食べるものを手に入れるために働くこと。

 働く場所を見つけること。

 働く場所を見つけるためにそれ相応の自分になること。

 それ相応の自分になるために

 辛い思いに耐えること。

 そこに逃げ道は

 ないこと。

 

 ソレダケ知ルノニ馬鹿ダカラ

 モウ人生ヲ半分近ク費ヤシタ。


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用水路

2011年04月20日 | essay
 水路が好きである。それも昔ながらの、セメントの分厚い板で蓋をしたりしなかったりするような、農業用の用水路。子供のころ、家から学校までの四キロの道のりを、用水路のせせらぐ音を耳にしながら毎日登下校した。その頃の記憶が擦り込みのような効果を及ぼして、今でも、ちょろちょろ、さらさらという音を聞くだけで、胸の芯が温まるような心地よい気分になる。

 一か月前に引越しを済ませ、仕事場と自宅との距離が近くなった。車で通勤することもあるが、急がないときは極力自転車に乗るようにしている。さらに余裕のあるときは歩くことにしている。している、と偉そうに言いながら、歩くのは寒さを言い訳にまだ二回ばかりしか実行していない。今朝は雨上がりの気持ち良い空気だったので、鞄と弁当を手に歩いて通勤した。

 都会から少し外れた田舎である。どちらかと言えば確実に田舎である。道を一本外れると、小さな畑を周るようにしてあぜ道を歩くことになる。あぜ道には用水路がある。昨晩の雨を乗せてか、比較的元気な音を立てて澄んだ水が流れていく。散った桜の花びらを載せてくることもある。あぜにはキンランソウが咲いている。あれはキンランソウに違いない。せせらぎに先を越され、せせらぎに背中を押されるようにしながら、土と草の匂いのする道を踏みしめていく。

 私は水路が好きである。
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4月5日

2011年04月05日 | Weblog
真夜中に窓に映る自分の顔は、少し若く、少し悪魔的である。

  それは願望なのだろうか。
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