体育委員に任命された。
体育委員というのは、誰もが任命されるのを嫌がることで有名な地域の役職である。何をするかは定かでないが、とにかく嫌がられていることだけはよく知られているという、その存在自体が不気味な役職である。誰も成り手がないということで、最後は組長から達筆の手紙まで送りつけられ、どちらかというとその達筆ぶりに圧倒されて、引き受けることとなった。なってみると、実際にすることと言えば、球技大会などの最中、ひたすら腕を組んで選手たちを見守るくらいのことである。あまり建設的とは言えないが、ひどく苦痛とも言えない。
先日の日曜日は軟式野球を見守った。曇りという予報を見事に裏切った炎天下、山の緑と田畑に囲まれた球場で、白球が飛んだり跳ねたりするのを丸一日眺めていた。確か出場資格に三十歳以上無制限という規定があり、どこのチームも多彩な年齢層の寄せ集めである。若者たちは打つわ投げるわ、年寄りたちは落とすわ空振りするわで、なかなか世代間のバランスを取るのが難しい。こちらも眺めているだけでなく、ときどき拍手をする。ゲームが緊迫すると控えめな檄(げき)を飛ばすこともある。点差が開きすぎると別の体育委員と雑談する。
試合を眺めながら、ふと幼い記憶をよみがえらせた。正確に言えば、その当時の記憶はない。幼い私の映る一枚の写真に対する記憶である。ようやく立ち上がることの出来たくらいの私が、開いた窓に手をかけ、じっと外を眺めている。その背中を収めたモノクロ写真である。当時、私の家族は教員だった父親の赴任先で、教員住宅に住んでいた。住宅は校庭に面しており、校庭で野球部が練習するのを、幼い私は飽きもせずにずっと眺めていたという。後年母親からその写真を見せられたとき、当然物心つく前の話だが、ああ、確かに自分は、あの頃そんなことをしていたに違いない、という感覚を覚えた。実際そんなことをしていた気にまでなった。自分という人間は、結局、ぼーっと何だかよくわからないものを眺めているのが一番性に合っているんじゃないか。
そんなことを試合中に思い出したのは、試合の展開そのものよりも、グラウンドの奥の、外野選手がポツンポツンとしか見えない、だだっ広い空間に自分の目が行っているときであった。球の飛んでこない芝生に陽はさんさんと注ぎ、球場の向こうの木立からはセミの大合唱がゆく夏を惜しむかのように鳴り響いていた。
気がつけば、私の視線はいつもそこへ戻っていた。
自分の出ない試合の、それも球の跳んでこない茫漠とした広がりをひたすら眺めやる。何だか自分の人生の縮図を思い知らされたようでもあり、それはそれで気楽な人生ではないかと開き直る自分もいた。
快音が聞こえ、慌てて拍手をする。
体育委員としてのその日の任務は夕方五時まで続き、ビールをしこたま飲まされて終わりを告げた。
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