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た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

紀州への旅 (その4)

2025年05月27日 | 紀行文

 再び車に乗り込み、次の目的地、那智大社へ。

 迫り来る夕刻を尻目に、曲がりくねった坂道をひたすら車で登っていくと、お土産物屋が軒を連ねる賑やかな通りに出た。車を駐車し、徒歩で、長い階段を登る。犬は当然リュックの中である。犬も今日ばかりは、海に出たと思ったらリュックに入れられ、山に来たと思ったらリュックに入れられ、わけがわからなくなっているだろう。

 息を切らし、階段を登り切ったところに、那智大社が鎮座していた。朱色が荘厳に映える。巨木が、何百年も社を守ってきた護衛兵のように林立する。登ってきた背後を見渡せば、鬱蒼とした熊野の森と、ぽつぽつと点在する民家が日暮れ色に染まるのを俯瞰できる。よくぞここまで来たものだと、実感する。

 そこから緩やかな坂道をとぼとぼと下り、那智の滝へ。

 高低差は日本一。朱塗りの三重塔と合わせてみるその姿は、期待以上のものだった。

 遠景なので音は聞こえない。僅かずつ宵闇の滲む静謐な空気の中、一本の純白の滝が、絶壁から真っ直ぐに降り立つ。太古から、ずっとこうして流れ続けていたのだろう。人間の世界が目まぐるしく変わり、この地に現れる観光客たちも増減を繰り返しながら日々移り変わっていようが、滝はそんなことにはまったく無頓着に、己の仕事を全うし続けているのだ。それは、天と地を繋ぐ任務か。はたまた、変わり続けることは何ひとつ変わらないことだ、という逆説を、愚かな人間たちに教え諭す任務か。

 

 ───おい。そこの、ちっぽけな犬を引きつれた、ちっぽけな人間よ。お前は何のためにここに来た。

 「御身を見るために」

 ───それでちょこまかと急いでここまでたどり着いたか。して、わが身を見て、何がわかった。

 「わかりません」

 ───愚か者が。お前の人生など、この水の一塊の上から下へ落ちる長さよりも短いというに。

 

 そんな問答が頭にこだまするに任せ、私は呆然と滝を眺め続けた。手にした紐の先の犬は、すでに見飽きていた。

 

   幾春も 只一筋の 那智の滝

 

 俳句までひねり出た。これで三月の句会に間に合う。

 日は没した。車を走らせ、さらに南下。寺の中に宿泊施設があるという、一風変わった宿を目指す。

 

(つづく)

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紀州への旅 (その3)

2025年04月29日 | 紀行文

 全長25キロ、日本一長い砂浜海岸である。

 

 車を停められる場所を探し、降り立つ。ずっとハンドルを握っていたので、腕が重い。セメント堤に犬と腰かける。確かに長い。見渡す果てまで続く、長い砂浜である。薄雲がかかって日差しは柔らかい。海は穏やかである。潮風に吹かれながら水平線を眺め、ようやく旅気分が出てきた。

 御浜は蜜柑の産地である。車を走らせていると、道路の脇に、無人のミカン販売所が次々と目に飛び込む。次に出てきたら立ち寄ってみよう、と言っていたら、もう現れなくなった。御浜も通り過ぎてしまったらしい。ないと食べたくなる。しかし道の駅に立ち寄っても、普通のミカンが売ってない。後で知ったが、今年は蜜柑が記録的な不作だったのである。今回の旅はミカン特産地の和歌山に移動してからも、いわゆる普通のミカンに最後まで巡り合えなかった。こんなことなら、最初に出会った無人販売所に立ち寄ればよかった。もちろん、そこに普通の蜜柑があったかどうかは知らない。ただ、旅では寄り道はした方がいい。一歩を踏み外すことへのちょっとしたためらいが、大きなチャンスを逃すことがよくある。わかっているが、徒歩の旅と違い、車で移動すると、時間ばかり気になり、なかなか寄り道する勇気が出ないのだ。

 昼食はコンビニのサンドイッチの車中食で済ませ、ハンドルを握り続ける。二時過ぎに速玉大社に到着した。熊野三山と呼ばれる三社の、最初の一社目である。

 犬は空のリュックに入れて参拝。

 砂利の音を立てながら境内に歩を進めると、塗り立てのような鮮やかな朱色の社殿が待ち構えていた。あまりに派手な色なので、少々面喰う。思うにこの神社は、熊野古道と呼ばれる薄暗い森の参詣道を、あるいは風すさび荒波立つ海岸沿いの参詣道を、何日もかけて徒歩で踏破し、ようやく辿り着いたときに目に飛び込んでこそ、その極楽浄土のような色鮮やかさが引き立つのではないだろうか。そのときは、疲れ果てた参拝者も、ああ、ありがたやと、思わず手を合わせて拝むに違いない。そうだ。だからこんなに派手なのだ。熊野詣を車で回って済まそうという現代人的魂胆が、そもそも間違っていたのではないか。

 そんなことを考えながら参拝した。

 社殿では折しも、結婚式が執り行われていた。

 

 再び車に乗り込み、次の目的地、那智大社へ。

 

(つづく)

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紀州への旅 (その2)

2025年04月16日 | 紀行文

 三月十四日未明、二人と一匹を載せた乗用車は信州松本の地を出発した。

 

 中央自動車道を南下し、小牧で東名に乗り換える。さらに名古屋近辺で、こまごました自動車道を何度も乗り換える。これが実にややこしい。案の定、左折すべき分岐点をやり過ごす不安に駆られ、慎重になった挙句、予定より手前の分岐点で左折してしまった。気づけば違う高速に乗っている。仕方ないから名も知らぬICを降りて、管理棟に入り、書類上の手続をして引き返した。このときは、係の人に過剰なまでにきびきびと、懇切丁寧に対応していただいた。まるで自衛隊の出動要請を受けたかのようであった。ETCカードでの高速の乗り降りが一般化した現在、こういう人たちはすることがなくなり、たまに私みたいな方向音痴が現れるのを手ぐすね引いて待っているのかも知れない。

 それにしても私の方向音痴は治らない。よくも治らないものだと自分でも思う。これが徒歩の旅で道に迷うなら、思いもかけない出会いと発見につながることもあるが、高速道路上だと単なる時間の浪費である。わかっている。わかっているけど道に迷う。

 そもそも、信州から紀州は当たり前であるが遠い。さらに途上、「名古屋大都市圏」が、関所の悪代官のようにでん、と鎮座して待ち受ける。道路を蜘蛛の巣のように張り巡らせ、どれを選べばいいのか新参ドライバーたちを迷わせ、結局どこを通っても渋滞でイライラさせる仕組みだ。私など迷ってばかりである。ナビを見ても迷う。迷うからとナビを消すと、なおさら迷う。助手席の妻はさっきから私の不機嫌を察して、何も喋らない。それもまた癪に障る。まったく、ハンドルを叩きたくなるような思いに駆られながらも、なんとか昼過ぎには熊野古道伊勢路、三重県の七里御浜にたどり着いた。

 

 

 全長25キロ、日本一長い砂浜海岸である。

 

(つづく)

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紀州への旅 (その1)

2025年04月10日 | 紀行文

 熊野古道というところは、若いころは、その存在すら知らなかった。

 社会人になったかならないか、経済的にははなはだ曖昧だった頃、今からもう二十年くらい前になるが、友人がかの地に行ってきたことを聞いた。しかもそこで運命の人と出会えたという。結局その人と結婚するに至った。その一部始終を聞いて以来、「熊野」は私にとって、パワースポットなどという名前が流行る以前から、何か強力なエネルギーを発散している神秘的な場所となった。

 とはいえ、何度かの引っ越しを経ても、日本のどの位置からも和歌山は遠いので、なかなか宿願を果たせずにいた。それがこの春、ついに熊野詣を敢行する運びに。既婚者なので結婚相手を見つけるわけにはいかないが、それでも何か素敵な発見があるかも知れない。同行者はいつも通り、妻と犬。有体に言えば、犬を連れていける圏内で旅行先を物色し、熊野が選ばれたのである。犬をどこへも預けられないと、なかなか苦労する。

 それでも半年くらいまえから旅の計画を念入りに練り、熊野古道の本やらパンフレットまで取り寄せて研究した。行き当たりばったりの我々夫婦としては珍しく用意周到だったのである。

 

 三月十四日未明、二人と一匹を載せた乗用車は信州松本の地を出発した。

(つづく)

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佐渡へ渡る!(その8)

2025年01月13日 | 紀行文

 佐渡の旅二日目、最終日。汽船の出向は夕方なので、まだ充分時間がある。午前中、近くの相川という古い町並みを散策したが、それでもまだ十分時間が余っている。天気は快晴。我々は、佐渡島を一周することに決意した。

 佐渡は外周およそ200キロメートル。六時間もあれば一周することができる。ただ、何しろ完全には観光地化していない島なので、途中でガソリンや飲食料の補給が心もとない。ガソリンスタンドとコンビニ(島に二軒あるらしい)に立ち寄り最低限の準備をして、長距離ドライブに出立した。

 左手に海を見ながら西海岸をひた走る。

 長い道のりである。ときどき、こんな狭い道を?とか、こんな急カーブを?といった疑問符をフロントガラスに投げかけたくなる場面もあったが、大抵は運転しやすい道だった。なにより対向車が少ない。ここから先にまだ人が住んでいるのか不安になるほどである。森だけがどこでも道路を海に押し出さんばかりの勢いで茂っている。佐渡は本当に自然豊かな田舎なのだ。

 ちなみに、今回の旅用に、カーステレオで流すCDを二枚仕入れた。CDというところが昭和か。それでよい。そのうち、セリーヌディオンのベストアルバムは、佐渡の大自然ととてもよく調和した。我々はタイタニック号の帆先で両腕を広げるように、佐渡のオーシャンロードを疾走した(日本海はオーシャンに入らないだろうが)。

 昼過ぎ、最北端に到達。

 大野亀という山の脇を通り、二ツ亀という、海の中から突起した山にたどり着く。どちらの山も、写真で見るよりもずっとスケールが大きかった。二ツ亀は蛇行する細長い砂浜によって佐渡島とつながっている。遠くから見下ろすと美しい形をしていた。あまり近づくと、打ち寄せたゴミに辟易するが。

 石段に柴犬と我々二人座り込み、しばし海と二ツ亀を眺める。思えば遠くへ来たものだ。犬は、いったいどこまで連れていかれるのだろうと思ったことだろう。

 帰路は東側の海岸を南下。

 もっと海の幸を食べたいという妻の主張に押され、両津港で寿司屋を探す。幸い、『魚秀』という素敵な構えの寿司屋がすぐ見つかった。二人前をテイクアウトし、港の空き地に持参の折りたたみ椅子を出して食す。

 港に停泊する船を望み、潮風に当たりながら食べる寿司は旨かった。人が見れば相当な変人と思われたろうが、構わなかった。旅は、人を大胆にする。

 小木港に帰着。出航までまだ小一時間ある。車を走らせ、近くの宿根木と呼ばれる古い町並みを覗きに行った。ここが、駆け足で見て回るにはもったいないほど風情があった。江戸時代、回船業で栄えた頃の建物や石畳の小路が、そのまま保存されているらしい。だがいかんせん、我々にはじっくり見て回る時間がない。

 海に出ると、たらい舟の発着場があった。妻が船酔いするので我々は遠慮したが、乗っている観光客を見物できた。岩礁の間をゆったりと航行し、岸から見る分にも充分面白い。夕焼け空の下、バスを待つ他の観光客とともに、波止場に腰を下ろし、飛来するかもめや、去り行くたらい舟や、穏やかな海を眺めていると、やがて旅の終わるちょっとした切なさとともに、この旅が充実していたことをしみじみと感じた。

 いい旅だった。いい島だった。

 またいつか来よう。

(おわり)

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佐渡へ渡る!(その7)

2024年11月27日 | 紀行文

 日本海に面した岸壁に建つ、いかにも海辺の民宿。そこで我々一行は、久しぶりに帰郷した親族の一員のように、実に温かく迎え入れてもらえた。よかったらうちの使っていない犬小屋使って、という感じである。この宿で一泊する間に、私は、この島の住民の特性というものをはっきり意識した。細かいことにこだわらない。おおらかで、壁を作らず、親近感が強い。聞けば佐渡島は、雪深い新潟の一部に属しながら、冬も雪は少なく、気候は一年を通して過ごしやすいという。自然豊かで、寒い地方と暖かい地方の両方の植生がある。「佐渡島にはすべてが揃っている」とある人は言う。その豊かさが、独特の島民性を形作っているのかも知れない。我々としては、佐渡と聞けばすぐに金山を連想するが、実際の佐渡には「金(きん)」よりももっと貴重な自然環境があり、そういう意味では満ち足りており、だからこそ島民は今一つ「金(かね)」にこだわっていなかったりする。そこが一番の、佐渡の魅力なのだ。

 適当な推論をした。

 先に述べたように、民宿では心温まるもてなしを受けた。珍しい海産物も食べたし、犬もかわいがってもらった。それなのに我が駄犬ときたら、慣れない場所のせいか、興奮気味でいろいろ粗相をしてしまった。が、それに対しても嫌な顔一つせず、「犬はこんなものだから」と何事もないように接していただいた。島民の寛大さを目の当たりにした。お礼の言葉もない。

 話によれば、夜になると、犬が三頭くらいどこからともなくやってくるという。一応どこの飼い犬かは見当がついているらしいが、こうなるとほとんど野犬である。佐渡の犬は伸び伸びと育っているのだ。

 翌朝、自家製の佐渡米のお土産までいただき、宿を後にした。

(つづく)

 

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佐渡へ渡る!(その6)

2024年11月07日 | 紀行文

 海岸に出る。日は少し西に傾いている。潮風が心地よい。

 そこは「千畳敷」と呼ばれ、海面すれすれの平らな岩場からなる浅瀬が広がっていた。「万畳敷」も別な場所にあるらしいが、とりあえず「千」で充分である。小さな防波堤に橋が架かって遊歩道になっており、防波堤の先端では、階段を降りてくるぶしまで潮水に浸りながら浅瀬を歩くことができる。犬はついて来るのを嫌がった。幼いころ、近くの川で無理やり水遊びをさせたことを、いまだに根に持っているらしい。油断すれば海に放り込まれるとでも思っているのだろう。

 海水にサンダル履きの足を浸ける。温いさざ波を感じながら腰に手を当て、大海原を眺める。眺めているうちに、自分の生きてきた半生もそんなに悪くないか、という気持ちになってきた。海は人を楽天的にさせる作用があるのか。それは私だけなのか。毎日毎日、情緒も感動もなくあくせく働いて日銭を稼いでいるが、ま、たまにこんな景色を眺められるなら、それはそれでいいか、と思ってしまう。海を見て、このま まではいかん、と思ったら、それはよほどこのままではいけない状況なのだろう。

 遊歩道で、釣り糸を手に歩く地元民とすれ違った。それも二度。聞けばタコを釣るらしい。二度とも二人組で、一度目は親子、二度目は夫婦だった。テグスの先におもちゃみたいな疑似餌をつけ、手に持ったまま垂らして、針に引っ掛けて釣るらしい。そんなので釣れるのだろうか、と思ってしまう。サンダルに短パン半そでの軽装で、ちょっと散歩がてら夕餉のおかずを仕入れに来た、という感じである。

 宿にチェックインするまでにはまだ少し時間がある。少し車を走らせ、高台にある陶器のお店に立ち寄った。旅の記念に手頃な値段の皿を買い求めてから、来た道を戻り、宿へ。

 

 民宿『たきもと』。それが旅程一日目の終着点だ。

(つづく)

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佐渡へ渡る!(その5)

2024年11月01日 | 紀行文

 そこは開放感に溢れていた。芝に覆われた広大な空き地に足を踏み入れれば、いつもより大きな空が出迎えてくれる。右手には廃墟となった浮遊選鉱場が見える。かつては、金を浮かせて採集する巨大な施設だったらしいが、今はその形骸を残したまま緑に覆われている。文明が滅びた後に自然に占拠されたようでもあるし、自然が文明の傷を優しく包んで癒してくれているようでもある。

 左手には小川が通っており、その向こうには喫茶店。テラス席に男二人が腰かけて談笑している。一日中でものんびりできそうな雰囲気だ。もっと奥、切り立った山の斜面には円形競技場のような、面白い形の廃墟が、これも緑を被って佇んでいる。

 とにかく緑が多い。天空の城ラピュタのような、と形容されたりしている。私はその映画をしっかりと観ていないが、多年にわたる戦闘のための城が朽ち、草花に覆われてむしろ以前より美しく変容した場面を断片的に覚えている。確かに、美しい。というより、気持ちいい。両手両足を思いっきり広げたくなる。妻にカメラを向けると、バレエダンサーのようなポーズを取って見せた。その技量はともかく、気持ちは伝わった。犬にカメラを向けると、普通だった。犬にはこのスケールの大きさは伝わらないかもしれない。

 説明書きを読むと、明治に建てられたものゆえ、江戸時代の遺物である金山を中心とした世界遺産からは外されたとか。

 しかしここの方が、ずっと良かった。

 

 

 

 幾度も振り返りながら、再び車へ。

(つづく)

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佐渡へ渡る!(その4)

2024年10月28日 | 紀行文

 昼頃に史跡佐渡金山に到着。

 大きな看板に広い駐車場。チケット売り場に法被を着た案内人。さすがに一大観光地という観がある。が、車も人も意外と少ない。夏休みが終わった後とは言え、世界遺産に登録された割には寂しい。佐渡は宣伝の仕方が下手なのか、そもそもあまり宣伝する気がないのか。私は案外後者ではなかろうかと推測した。

 空にしたリュックに犬を入れ、首だけ出させて、坑道に入る。数年前の冬、同じやり方で、リフトに乗って一滑りだけスキーをしたことがある。犬を連れて旅行していたのだが、スキー場を見るとどうしてもスキーがしたくなったのだ。今回も、犬の方でも心得たものか、リュックに入ると案外大人しく首を出している。歩かないだけ楽だとでも思っているのかも知れない。

 天井から吊るすライトに照らされた坑道は、採掘作業を再現したリアルな人形たちが機械仕掛けで同じ動作を繰り返して、賑やかしい。当時の労働者たちの様子がよく伺える。ただ、例えば松代大本営跡の地下壕を巡った時に感じたような、何もないが故の想像力をかき立てられる不気味な静けさ、といったものと比較して、あとに残る印象が物足りない。情報が入るが、感動が少ないのである。ここは観光開発における実に微妙で難しいところだと思う。世界遺産となればなおさらだ。観光客に何を価値として見せるか、の問題である。いろいろ用意しなければ客は退屈する。しかし用意しすぎると客はうんざりする。あるがまま、遺産として残っているがままを見せるのが一番かも知れないが、それでは維持に必要な金が落ちてこない。

 坑道を出たところにある売店で、犬をリュックから出し、人間は金箔ソフトを買って食べた。ソフトとしては充分美味しかった。金箔ソフトなどと名乗るから、金箔が足らない、などと言った不平も出るのである。

 金山跡を出て車を少し走らせたところに、北沢浮遊選鉱場という遺跡がある。当初から目的地の一つだったが、実はそこへ行くにも標識が見当たらず、一度通り過ぎてしまった。己の方向音痴を棚に上げて言えば、観光ルートの案内板が乏しい。佐渡金山のようなスポットは飾り立てるが、それ以外はあまり観光客目線で整備されていないようである。やはりそれだけこの島は、全体として、観光地化する気がないのだ。ありのままでいたいのだ。と肯定的に捉えれば、そう言えなくもない。

 その選鉱場で、今回の旅一番の感動に出会うことになる。

 

(つづく)

※ひどいピンボケである。

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佐渡へ渡る!(その3)

2024年10月15日 | 紀行文

 私はやたら道を外れたがる。そのくせ重度の方向音痴なので、道に迷ってばかりいる。この時も早く海岸が見たいがあまり、海に近づきそうな脇道へと不意にハンドルを切ってしまった。

 その道は、本当に何もない道であった。家など一軒も見当たらない。畑すらない。ただただ放置された茂みが続く。分厚い緑に圧倒されそうである。ひょっと恐竜が道に飛び出しても、さして違和感のない風景であった。佐渡の素顔をいきなり見せつけられた気がした。

 佐渡は想像以上に「島」だった。

 ようやく海に出たが、殺風景で、まったく人気のない海である。海岸線はすぐに行き止まりとなった。仕方なく、別な山道を通って正規のルートへ。時間のロスである。助手席は文句の一つも言いたいところだろうが、毎度のことなので黙っている。私は心の中で一人反省した。途中で道路工事の人に出会い、道を尋ねなければ、二日間、ただただ道に迷って終わったかも知れない。

 道路がようやく湾に出たところで、おしゃれなカフェの看板が目に留まった。

 旅のガイドブックにも載っている店である。よく手入れされた芝生や生け垣が見え、若者の行列ができている。そこだけ熱海かバリ島かと見まがうような洗練された空気が漂っていた。妻の機嫌も取らねばならず、立ち寄ることに。しばらく待たされた後、犬同伴でも入れるデッキに陣取ってパスタを食べた。

 海を一望できる高台に位置するが、海辺の田舎じみた部分は客の目に入らないよう、巧妙な高さで生け垣が植えられている。だから海原と遠景の対岸しか見えない。よくできている。よくできているが、なぜか落ち着かなかった。さきほど迷い込んだ鬱蒼とした森こそが、佐渡の素顔じゃないのかという声が頭の片隅に響いていた。

 妻は満足してオニオンスープを啜っている。犬はここが目的地かとうたた寝の準備に入っている。私は彼らを促し、再び車に乗り込んだ。

(つづく)

 

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