知人に連れられ、黒部ダムに釣りに行く。釣りは小学生の時以来である。
雨の降りしきる中、糸を垂らす。山間に雲がたなびき、水面は滴に踊り、吾の他人影無し。
魚はいても構わぬ。いなくても構わぬ。釣れれば良し。釣れなくてもまた良し。
世俗を忘れ、自分を忘れ、静寂すら忘れる。
そんなしっとりと重みのある時間を久しぶりに感じた。
知人に連れられ、黒部ダムに釣りに行く。釣りは小学生の時以来である。
雨の降りしきる中、糸を垂らす。山間に雲がたなびき、水面は滴に踊り、吾の他人影無し。
魚はいても構わぬ。いなくても構わぬ。釣れれば良し。釣れなくてもまた良し。
世俗を忘れ、自分を忘れ、静寂すら忘れる。
そんなしっとりと重みのある時間を久しぶりに感じた。
ひとつ美ケ原の雲海を見てやろうと、真夜中に車を走らせ、午前四時に美ケ原美術館の大駐車場に。雲は上にできて下にはなかった。まあこれはこれで見ものであった。
日の出を待って下山。熟睡した後、今度は犬を連れて長峰山へ。想定以上に苦労して登ったが、頂上付近に道路が通じていることを知ってがっかりした。まあこんなものだろう。
頂上の芝生の上では、若いカップルがテントを貼って涼んでいた。
世界は一つしかないが、それを観る人は無数である。
ある人は世界を丸い、と観る。ある人は四角く観る。慈しむ人もいれば、唾を吐く人もいる。世界観は人の数だけある。同じ人でも時を経てころころと変わる。みながいつでも同じにしか世界を観なくなれば、面白くなかろう。かと言って誰ともどんな部分でも共感できなければ、なお面白くなかろう。
そこが芸術の難しいところだと思う。
蓼科山に登った。
麓から仰ぎ見れば、長いスカートの裾を広げた貴婦人のようであるが、登ってみれば、岩のゴロゴロした急登が真っ直ぐ頂上に向かって伸びているだけの、なかなかしんどい山である。知人のMさんと、私の妻と、三人でこの山に登った。Mさんは私より二回り年上で古希を過ぎているが、いまだに健脚である。何でも高校時代、登山部に所属していたらしい。ついでに毒舌の方も健在である。自分は年下であるし、軽率でもあるから、よくMさんにやり込められる。自分が書き散らしたものをその度に見てもらっているが、大概けなされる。「あれは駄目だ」と、Mさんは太い声ではっきり言う。たまに褒められることもある。
今回の山登りはこちらから声をかけた。
新緑の眩しい季節であった。日曜日なので登山客が多い。びっしりと苔むした森が、ぞろぞろ列をなして登る人間たちを黙って見送る。岩は登りにくい。登りにくいが登らなければ、何をしに来たことにもならない。青空に近いところで小鳥が、ピーッと鳴く。
岩から岩へひたすら跨ぐのもやがて飽きてくる。私はMさんに話題を振った。
「最近映画は見ていますか」
Mさんは映画好きである。
「うーん、去年はほとんど観に行ってない。これというのがなかった」
「小説はどうですか。読んでますか」
Mさんは読書家でもある。
「ああ。相変わらず乱読だ」
妻が後方に遅れ気味なので、二人とも立ち止まって振り返る。砂浜の小石ように煌めく街並みが遥か遠くに沈み、さらに遠方には、雪を被った連山が空に浮かぶ。
Mさんは帽子を取って額の汗を拭う。
「だが、SFはどうも苦手だな」
私は彼を見る。
「そうですか」
「映画でもそうだが、空を飛んだり、鉄砲玉を避けたりするのはどうも、な」
「私はそういうのも好きですけどね」
山の高いところに来て、二人の意見は食い違う。この違いは何だろうと思う。
妻が追い付くのを待って、再び登り始める。今度は私の歩みが遅れる。
この違いは何だろう。なぜ私には受け付けて、Mさんに受け付けないものがあるのか。この差は何か。年齢か。いや、Mさんの口調では、若い頃から受け付けなかったようだ。では年齢ではなく、時代か。
生きてきた時代。そういうことか。
私が子どもの頃は、ウルトラマンがあった。仮面ライダーがあった。宇宙戦艦ヤマトがあり、ドラえもんがあり、ガンダムがあった。空想の世界で何でもできた。現実ではありえない世界に遊ぶことが、求められた。そういう環境で育った少年と、朝から家の田仕事を手伝い、暇ができたら野山を駆け巡っていた少年(Mさんはそういう幼少期を過ごしたらしい)とでは、大人になってからでも、共感の適用範囲が異なるのかも知れない。惑星が一つ破壊されるような宇宙空間での激しい戦闘に私は心打たれるが、Mさんはそんなものがピンと来ないのだ。もっと土の匂いがして、あざを作り、心の底から叫ぶものに共感を覚えるのだ。
だとすれば、芸術は、生まれ育った環境にずいぶん制限を受けることになる。難儀なことだ。
山頂付近には、五月下旬でも雪が残っていた。雪の上に立って眺める景色は、薄青い峰が幾つも折り重なり、荘重なバロック音楽を聴いているようであった。
美しいものは、誰が見ても美しい。
これもまた、当たり前の事実である。山に登るたびに、そう思う。何が美しいのかは説明しきれない。どうして山々を見ると感動するのか、小鳥のさえずりや木の葉の風に揺れる音がなぜ心地よいのか、考えれば考えるほどわからなくなる。ただ、そういうものを美しいと思える環境に自分が生まれ育った、としか言いようがない。
また環境か。ちぇっ。
妻がくさめをした。Mさんは遠くを眺めながら煙草をふかしている。
私は首を振った。
仕方ない。振り出しに戻ろう。
登山とはまた、つねにそうしたものなのだから。
料理人に万雷の拍手を!
今年の大型連休は大したものになりそうにない。新型コロナウィルスの脅威はひところより落ち着いたとはいえ、全く払拭されたわけではないし、天気も晴れたり雨だったりで不安定だとテレビは言うし、諸々の出費がかさんで懐具合は実に頼りなく、大手を振ってバカンスを満喫する勇気もなくなっているからである。
それでも気晴らしは心の健康に必要ということで、連休初日、ほぼ一年振りに海を見に行った。と言っても、本当にただ海を見た、というくらいのことである。今回は犬を連れて行った。日々飼い主につれなくされ、欲求不満の溜まっている我が家の番犬である。おかげで行動には大幅な制限がかかった。犬連れでは、食堂に入り日本海の幸に舌鼓を打つこともできない。誰もいない砂浜を選び、犬を走らせ、久々の自由に興奮した犬が日本海の荒波に脚を踏み入れようとしたところで、まさに潮時だと引き上げた。
帰途、能生の道の駅に立ち寄った。そこは大型連休らしく活気にあふれていた。ハサミを手に蟹を食べている親子連れ、大きな発泡スチロールの箱を抱えて車に戻る夫婦、威勢のいい声で観光客を呼び込む鉢巻きをした兄さんたち────。
いつしか我々夫婦も感化され、何か威勢よく買い物したい気分に駆られていた。せっかく海に来たのだ。このままでは帰れない。ふと見ると、氷を敷き詰めたケースに魚が様々並べられている。どれも一ケース千円。安い。訊くと、さばかずそのまま売るから安いのだそうだ。「新鮮だから、三枚に下ろして刺身でも食べられるよ」と言われ、夫婦ともども三枚下ろしなどしたこともないのに、さらに興奮してしまった。ユーチューブを見ながらやれば何とかなる、とお互いに言い聞かせ、結局、小さな鯛四尾、ホウボウ六尾、名も知らぬ魚二尾ほど入ったケースを買い求めてしまった。
自宅に戻ってからが災難だった。
ただでさえ素人な上に包丁が切れない。三枚に下ろすつもりがいつの間にか細切れ状態である。鱗や内臓が散乱し、手は生臭くなり、食卓に並ぶ頃にはこちらの食欲が減退してしまった。焼いてもみたし、アラ汁も作ったが、そんなに似たような魚ばかり食べられない。
今後二度と分不相応なことに手を出さない、と二人で誓い合った。
店に行き、料理を作って出してもらう、という当たり前のことが、いかにあり難いことか。今回の一件で身をもって知ることができた。だからこそ夜の暖簾をひょいとくぐりたいところだが、そこは懐の隙間風が待ったをかける。
まだ連休は後半を残す。取り敢えず金のかからない山登りをするつもりである。庭の雑草も呼んでいる。
魚たちにも謝っておこう。
マンボウマンボウで気安く飲みに行くこともできないので、必然自宅で食卓を囲む機会が増える。それならせめてちょっとだけ高価な食材を買ってみようと、近所にある味噌屋で、普段買わない高級味噌を買ってみた。
何でも千年以上前の製法で、かなり面倒な手間暇をかけて作ってあるらしい。今ではほとんど採用されない製法とか。よくある市販の味噌は一口舐めるとすぐに塩気を感じるが、これは芳醇でコクのある旨みが口の中に広がる。薫りはほとんどチーズである。もはや調味料というより一つの完成した発酵料理と言っていい。そのまま舐めても充分酒の肴になる。キュウリに付けたり、チーズ香をさらにチーズに塗ってみたりしたがやはり美味しい。味噌汁を作っても、深みが違う。
本当にいいものに、奇をてらった新しさや、能率や、大資本は要らない。時代の流れに背を向け、こつこつと、伝統を忠実に守ってきたものには、やはり凄みがある。いいなあとつくづく思う。あまり感動したので、田舎に住む両親の元にも送ってやった。後日電話で感想を聞くと、「美味しかったよ。でも、うちで作った味噌の方が美味しい気がする」との談。
とんだ手前味噌のオチがついた。
事務所の窓から向かいの建物が見える。古い造りで、一階が貸店舗で二階から上は貸店舗とアパートが混在しているらしい。名前も読めなくなったスナックの看板が二つほど掛かっている。脇の壁面を蔦が覆い、葉の落ちる冬には無数の枝が灼け焦げたような色をあらわす。
この町に雪は降らない。ただ刃物でえぐられるような寒さがある。
コロナ禍のこともあり、私の事務所を訪れる人もいない。日中は暇である。暇だから窓越しに向かいの蔦の枝を見るともなしに眺める。
ふと何かの動きが視界に入り、建物の正面に目を転じた。バブルの頃は洒落た建造物だったらしく、正面は吹き抜けで、飴色の大きなガラス窓を一階から三階までつなげた造りになっている。今はそこも空き店舗となり、何もない。ガラスの縁は白くくすみ、一部はひびが入ったのをテープで止めている。その内側に、ムクドリだろうか、黒い小さな鳥が一羽、懸命に飛び跳ねていた。
どこからどう迷いこんだのだろうか。ガラスの外に飛び出たいのか、しきりにガラスにぶつかっては落ち、落ちてはまた飛び上がり、ガラスに体当たりしている。ガラス窓から出られるはずはないのだ。むしろ来たルートを引き返すべきなのだ。しかし小さな脳ではそこに思い至らないのだろう。見ていると、だんだん体力を奪われたか、落ちてからの動きが鈍くなった。可愛そうだが、助けるすべはあるまい。あのまま力尽きて死んでしまうのだろう。ずっと見ているのも何だか辛くなり、私は窓辺を離れた。
それから半時くらい仕事に没頭したろうか。ふとまた向かいの建物を見ると、ムクドリはまだガラス窓の内側にいた。しかも、よく見ると、二羽いる。一羽が助けに来たのだろうか。気のせいか、元からいた一羽も、今は慌てず余裕を持って飛び上がったり階段にとまったりしている。やがて二羽とも奥の方へ飛んで見えなくなった。よかった。友か配偶者か知らないが、賢いムクドリに愚かなムクドリが助けられた、というところか。私は安心してデスクに戻った。
パソコンを見つめながら、ふと、果たして自分はどちらに近いだろう、と考えた。やみくもにガラスにぶつかって体力を消耗する方か。仲間を助けに颯爽と現れる方か。残念ながら前者の可能性が高いか、と苦笑を漏らしながらキーを叩いた。この閉塞感に満ちた世の中で、打開する方策もわからず、ただただ毎日同じことをして過ごしている。自分だけではない。今、コロナの北風に晒されて、世の中の大半の人がちぢこまって足踏みしている状態かも知れない。そして、そこを救いに現れる賢いムクドリのような人間は、本当にごく少数なのだろう。だから彼らは歴史に残り、英雄視されるのだろう。英雄になれない小市民である自分たちは、いつまでもガラスにぶつかりながら、年を取り、やがてちょっとあきらめ気味に死んでいくのだろう。
そんなことを考えた。
自分の考えていることも嫌になり、デスクから立ちあがり、窓辺に近づき、向かいの建物を再度見上げて、驚いた。あの二羽がまた戻っているではないか。しかもまるで、そこを自分たちの棲みかと決めたかのように、平然と。
どういうことなのだろう。二羽とも出口を見失ったのか。それとも、あとから来た一羽は出口を知っているが、元の一羽と共にそこに留まることに決めたのか。二月初旬の外は寒い。廃屋のような建物ではあるが、あの二羽にしてみたら十分快適なねぐらなのかもしれない。元からいた一羽も、もうガラスにぶつかろうともせず、ちょんちょんと飛び跳ねている。
私は腕を組んだ。
あんなところでも、住めば都、ということか。そう思わせる存在が身近にいればいい、ということか。まあ良かったじゃないか。
何か釈然としない思いを抱きながらも、私は窓辺を離れ、仕事も忙しくなったので、ムクドリのことは忘れてしまった。
ところが、これで事は終わらなかった。
翌朝、事務所の鍵を開けて中に入り、暖房を入れてから窓辺に近づいてみて唖然とした。
昨日のムクドリが、また窓にぶち当たっているではないか。しかも一羽で。昨日より元気がないように見えるが、飛んではぶつかって落ち、また飛び上がる、の繰り返しは同じである。私はほとんど憤慨に近い感情を覚えた。どういうことだ。もう一羽は、去っていったのか。だとすれば、なぜお前は残ったのだ。
私は想像した。ひょっとして、後から来た一羽は、ここから出ようと奴を説得したのだが、奴の方からその誘いを断ったのではないか。頑迷だから。現状を打開するのに別なルートがある、ということをついに理解できなかったから。だが、この閉塞した環境も決して愉快なわけではなく、やっぱり脱出したくて、だからこうやってガラスにぶつかり続けているのではないか。
なんと愚かな存在なのだ。お前は。
あまりに頭に来たので、私は事務所を出て道路を渡り、向かいの建物に入った。入るのは初めてである。チラシが埃と同じ色になって床に散らばっている。建物全体から妙な臭いがする。セメントの階段を上がってみたが、やはり正面の吹き抜けの部屋に辿り着くことはできなかった。最初からわかっていたことだ。あの愚かな鳥を救うことはしょせん無理なのだ。
私は一人きりの事務所に戻った。
ストーブの上で薬缶が湯気を立てる。それでも寒いので、私は外套を着たままパソコンに向かっている。
あれから、向かいの建物はなるべく見ないようにしている。何だか、自分を見ているような気がしてどうにも嫌なのだ。
ムクドリはあそこでいつか死ぬだろう。仲間は助けに来ないだろう。
死骸を誰が片付けるんだろうな、と、そんなことを思った。
新年早々、尾籠(びろう)な話で恐縮だが、脱糞について書こうと思う。
これにはやはり勇気が要る。脱糞、と熟語にすることで多少紛らわそうとしているものの、この単語を出すことで、本稿の品位を著しく貶(おとし)める危険があるには間違いないからである。
それでも私は脱糞について書く。ずっと、書きたかったからだ。
私はよく脱糞する。普通の人の倍くらいの頻度で厠(かわや)へ駈け込んでいるのではないかと思う。ああ今も、こうして「厠」なんぞ古めかしい言葉を使うことで、さも高尚な話であるかのように見せかける魂胆が見え見えであるが、それでいいのである。実際、下(しも)の話だからといって喜んでしているわけではない。私は小学生ではない。真剣に、脱糞の魅力と不思議について語りたいのである。
話を戻そう。私は頻繁に脱糞する。もし人類を便秘気味と下痢気味に大別するなら、私は間違いなく後者の部類に含まれる。食べ物に含まれる添加物、体調の加減、精神的な緊張などで、いとも簡単に便が緩む。繊細なのである。四十を過ぎ、五十に手が届く年齢となり、面の皮だけは相応に厚くなったが、胃腸はいたいけな少女並みなのだ。あるいはただ胃腸が弱いだけかも知れない。
そのせいか、私の脱糞には勢いがある。いたって健康な時でもそうだ。まるで食べたものをそっくりそのまま下水溝への置き土産とするかのように、大量である。思わず便器の中を二度見するほどである。そして、脱糞後の爽快感は、これがまた驚くほどに素敵なのだ。ああ、出した、という達成感。トイレを出て仕事に戻っても、しばらく心の中は脱糞の心地よさに浸っている。
その余韻がほぼ小一時間続くこともある。その上回数が多い。一日に何度でも便座に座ることができる。座るたび、排便する。そしてその都度、快感に浸るわけである。そもそも糞意を覚えてから、便座に辿り着くまでに約半時。脱糞してのちに余韻に浸るのが小一時間。それを日に何度か繰り返すわけだから、そう考えると、実は一日の大部分を脱糞について考えながら過ごしているのではないか。そんな事実を眼前にし、私ははっし、と膝を打った。
脱糞は人生そのものではないか。
人間の欲望というものは数知れず存在する。食欲、性欲、金銭欲などが、中でも好んで語られるところだ。それらについて掘り下げた文芸作品や映画、ドラマは数知れず。だが、排泄欲───そういう呼称があるか否かはともかく───排泄欲は、食欲や性欲などより、実は上位に存在する欲求なのではないか。誤解しないでほしいが、私は別に、脱糞に性感を覚えているわけではない。性的倒錯者ではない。私は単純に、トイレの大は気持ちがいい、と言っているのである。それも、とても気持ちがいい、と。ほとんど、生きる意味にまで近づくほどの、深い感慨をそれは日々、我々にもたらしてくれているのではないか。
こんなことを考えるのは私だけだろうか。いや、そんなことはあるまい。誰しも、心の奥底ではそう思っているのだが、恥ずかしいから口に出さないだけに違いない。私も書いていて恥ずかしい。それでも、もう一段階、この考察を推し進めずにはいられない。
なぜ、脱糞はこれほどまでに快感なのか。
食欲のように、体に取り入れる行為より、体から吐き出す行為の方が快楽の度合いが高いのだとしたら、それはどういうことか。得ることより失うことが幸せだとしたら。もしそうだとすれば、それが意味することは何か。もしかして我々は、そもそも間違ったものを摂取しているのではないだろうか。あるいは、間違ったほど大量に。本来は食べてはいけないものを、食べてはいけないほど多く取り入れているので、その結果排泄行為に、かくも解放感を覚えるのではないか。
私以外の人はどうなのだろうか。さらに、人間以外の生き物は。想像は果てしなく広がる。我が家には飼い犬がいるが、犬にとっても、脱糞行為は是が非でも叶えたい行為である。キャンキャン吠えて散歩を催促するのはそのせいだ。奴が脱糞後、快感に浸っているかどうかはわからない。すぐに散歩の続きをねだってリードを引っ張るので、あまり感慨深く思っていないのかも知れない。
だが、排泄が極めて大事な行為であることには変わりない。
もしかして、と思う。生き物の中でも、我々人間を含む動物は、植物のように自分で栄養を作ることが出来ない。やむを得ず他の植物や動物など自分以外の生命をむさぼり食うしかない。その慙愧(ざんき)の念が、排泄行為の快感さにつながっているのではないか。古代よりずっと、獣や人間たちは、そうやって、口に入れたものを出すことで、贖罪(しょくざい)行為に似た安堵感を得ているのではないか。
そんなことを考えながら水を流し、私は今日もベルトを締めるのである。
昼下がりの街に出る。
風は冷たい。トレンチコートのポケットに両手を突っ込み、うつむき加減に歩く。
夜の街をそぞろ歩くことが絶えて無くなったので、仕事合間に出かける昼間の散歩が、最近ではほとんど唯一の自由時間である。寒くても歩く。何かないかと思いながら歩く。通りからは枯葉も姿を消し、空っ風だけが車のエンジン音と排気ガスを掬いあげながら駆け抜けてゆく。歩く人も少ない。
最近何人か死んだ。ずっと身近にいた人もいれば、一度会ったきりの人もいる。仕事は忙しい。年末でなおのこと忙しい。例年通りだ。毎日できること(それはつまり決まりきったことだが)をして、できないことがもう一方の見えない机の上に積み上がっていく。背後から死者にじっと見つめられている気がする。何か、おそらくもっと大事なことをしなければいけないはずだが、それが何なのかわからない。それを考える余裕すらない。
どうにも心が落ち着かない。喫茶店に入って珈琲でも飲もう。
太鼓橋を渡りながら、赤い欄干越しに女鳥羽川を眺め下ろしたら、自分の心と同じ色をしていた。
行く手におきな堂が見えた。そうだ、おきな堂に入ろう。
久しぶりに木製のドアを押した。ランチの時間の洋食屋だが、喫茶だけでも許されるだろうか。
店内は空いていた。高い天井、古びた革張りのソファー、角のすり減ったテーブル。昔と変わらない時間が流れている。
窓辺の席に座り、珈琲を注文する。三百円。こんなに安かったろうか?
運ばれてきた珈琲を口に含み、背もたれに身を沈める。
美味しい。これで十分だ。
窓辺から差しこむ弱い日差しをぼんやりと見つめながら、今日これからしなければいけない事務処理のことを考える。いや、仕事なんて考えるのをよそう。そのために来たんだから。じゃあ何を考える? できていないこと。旅がしたい。愉快に飲み歩きたい。いろんな人に会いたい────本当にそれがしたいのか?
毎日を、もう少し丁寧に過ごしたい。
仕事も。ほら、また仕事のことだ。何だか、心を解放するのが下手になった。若い頃よりずっと。
珈琲をもう一杯注文する。ついでにセットで甘いものでも食べてみようか。普段、滅多にしないことだ。デザートなんて頼むくらいだったら、もっと高価な食事をするか、もっと飲みに使いたい。そんなせせこましい根性になったのは、やはり懐の寒さによるものかも知れない。そういうところから変えてみなければ。値段も手ごろなことだし。
デザートは幾つかの候補から選ぶことができた。レアチーズケーキを、と口にしてから、別の文字が目に入った。
「すみません。パンナコッタって何でしたっけ」
店員はわずかに身を屈め、イタリアのプリンで、牛乳だけでできているものです、と説明した。「パイナップルのシロップが上にかかっています」
注文を終え、再び背もたれに身を沈めた。
二人連れの客が現れ、奥の席に通された。一人客が席を立った。
イタリアのプリンはあっさりして、シロップが利いていた。珈琲に合うかどうかはわからないが、誰かに優しく慰められた味がした。
二杯目の珈琲を、一杯目よりも時間をかけて飲んだ。
これを飲み終わっても、結局、心が完全に解放されることはないだろう。ぼんやりとした落ち着きどころの無さは依然として残るだろう。そういう予感がした。試みに眼鏡を外してみたが、同じことだ。ものがはっきり見え過ぎるせいかと思ったのだが。完全に日常から解き放たれるのは、今日も、明日も、これからもずっと、なし得ないことなのだろう。
無理なんだ。仕方がない。年齢もあるだろうし、いろんな出来事が積み重なり過ぎた。冬の景色もいけないのかも知れない。
でも、多分、人生とはそういうものなのだろう。
珈琲カップを空にし、外した眼鏡を掛けた。コートを羽織り、レシートを摘まみ上げた。
仕事に戻ろう。
席を立った。
約束の常念。
二年前、友人と挑戦しながら、途中で昼寝までする友人のマイペースぶりに翻弄され、また積雪も災いし、山頂からニ百メートル下の常念乗越で断念。しかし常念小屋で一夜を過ごし迎えた朝焼けは、息を呑むほど素晴らしかった。一方で、山頂を踏破していないという思いはずっと引きずっていた。その頂きを、いよいよ極めるのか。しかし今回は夫婦登山。しかも日程に余裕がなく、日帰りである。無理はできない。今回も、乗越で引き返すとするか。
出立まで曖昧な気持ちを決めかねていた。それが結果的に、とんでもない苦労と教訓を我々に与えることになる。
登りはそれでも順調だった。乗越には予定通り四時間で到着。初めて見る景色に妻も感動ひとしおである。槍ヶ岳が近い。空が青い。テーブルに腰かけ、ソーセージを焼き、おにぎりを食べ、ラーメンを作り、紅茶を沸かして飲んだ。満腹になると、シートを広げて昼寝までした。
起きたら昼過ぎ。当初はそのまま下山するつもりだったが、体力の回復と共に、それでも山頂まで、という欲が首をもたげてきた。私としては、二年前からの夢を果たせることになる。ここで登りきってしまっては、もう常念に来る楽しみが無くなってしまうのではという寂しさもある。妻は行く気でいる。私は迷った。
時間的にはぎりぎりである。順調にいけば、夕方五時、日の入り前には駐車場に着く。なんとかなるか。そんな甘い見込みで、我々は山頂を目指した。
意外と時間をかけたが、それでも登頂成功。心地よい風が汗を散らす。地球が丸い。標高二千六百から眺める景色は、やはり格別だった。来てよかった、と心から思った。
さあ下山である。ここからが試練であった。もともと体調が万全とは言えない妻が、一気にペースを落とした。足が痛み、頭痛もするらしい。気ばかり焦るが、何しろアプローチの長い常念である。気がつけば、予定の五時はとっくに過ぎていた。行き交う登山者はいない。行けども曲がれども、森の中である。
日の入り前、夕焼けが濃くて妙に景色が明るく見えることがある。まさにその状態になった。森の木立が燃えるように鮮明に見える。不思議だ、と思っていると、突如、大地が揺れた。後日、新聞で槍ヶ岳の落石を知ることになる、長野岐阜の県境で起きた地震である。が、そのときは、それが果たして地震なのか判然としなかった。何しろ山中で揺れを感じるのは初めてである。しばらく歩いていると、また揺れた。木立が首を振るのを確認したから、今度は地震だとはっきりわかった。正直、怖かった。だが、我々には立ち止まる猶予すらない。
ついに日が暮れた。森の中は文字通り真っ暗である。私は念のためヘッドライトを持っていたが、うかつなことに、照明器具はそれ一つであった。私がライトをつけて前を歩くと、妻の足下が見えない。妻の足下を照らすと、前が見えない。ジレンマの中、私がある程度先を急いでから立ち止まって振り返り、妻の行く手を照らす、という方法が一番効率がいいことに気付いた。
「あ、月がきれい」
妻の言葉に空を見上げると、満月が、煌々と夜空に浮かんでいる。周りに街燈もビルもないところで見ると、月はこんなに大きいんだ、と思った。
折しも、中秋の名月を翌々日に控えた晩であった。
妻の疲労は激しかった。途中、嘔吐感を覚えて立ち止まることすらあった。食べたくない、と言うのを無理やり甘いものを口に含ませ、荷物は全部私が担ぎ、なおも登山口を目指した。
闇の中でも、一、二度揺れを感じた。
さすがにもうすぐ着くはずだろう、と思ったのはどれくらい前か。まだ着かない。このまま無限に歩き続けなければならないのか。ひょっとして道を間違えたのではないか、と考えるのも恐怖だった。ライトを前方、後方に振らなければならないから、しっかり周囲を把握できていない。さっきから登山道を示す赤い布が全く見当たらないのも気がかりである。だが、それを妻に話せば、ただでさえ衰弱している彼女をさらに追い詰めるだろう。
我々夫婦は無言のまま、暗い山中を歩き続けた。
登山口からほど近い場所にある祠を見つけたときは、どんなに救われた気がしたか。普段入れない額の硬貨を投げ入れ、道中の無事を感謝し、自分たちの見込みの甘さを心からお詫びした。
登山口に辿り着いたのは、七時だった。我々はしばし、ベンチに座りこんで呆然とした。くたくただった。
結局、我々は道に迷ったわけでもなく、帰還に成功した。しかし痛烈に反省しなければならなかった。山はまさに何が起こるかわからない。その不確定要素も考慮に入れ、入念な準備と、余裕をもった山行計画を練らなければならない。昼寝してからついでに山頂を目指すなんて、もってのほかである。
天罰は、翌日からの拷問のような筋肉痛でちゃんと与えられた。数日間、我々夫婦はいわば「感電した蟹」状態だった。
常念は終わった。常念は、やはり偉大な山だった。こんな目に遭っても、数年後、また登りたくなるのかも知れない。
そんな気がしている。
朝事務所に出勤すると、水筒二つ提げて水を汲みに行く。
徒歩五分もかからない場所に小さな湧水公園がある。事務所があるのは店や雑居ビルの立ち並ぶ結構賑々しい街中だが、水の湧き出るその一角だけはいつも、ふた時代くらい前のような涼しい風が通り抜けている。
そこの水が美味しい。コーヒーでも沸かそうかと汲んだのだが、最初に一口含んだ時、あまりの美味しさに唖然とした。以来、紅茶やコーヒーにも愛用するが、大概そのまま飲んでいる。冷蔵庫もない小さな事務所だから、文字通りそのまま飲む。ぬるくても飲む。まとわりつくような滑らかさと、ふくよかな甘みがある。と、こう書けば大層な舌自慢に聞こえるが、実は味覚に関しては自信がない。何でも雰囲気が良ければ旨いと思える目出度い口である。ただ判官贔屓か、そこの湧水が、街中に数ある湧水の中でも一番旨いと思い込んでいる。
街中に湧水が幾つもあるくらいだから、田舎の街なのだ。
私にはそれがちょうどいい。
水筒はスチール製。ペットボトルから注ぐときの臭みがなくていい。これも数ある思い込みの一つかも知れない。
趣味で山に登るときも、そこの湧水を水筒二つに汲んでいく。そのまま飲む分と、沸かして調理に使う分と。本当に疲労困憊したときには、どんなジュースよりも一杯の清水が旨い。不思議である。
職場用の水筒二本は、夏場なら一日で両方とも空になる。秋めいた今なら、二、三日かかる。出勤するとまず水筒を振ってみて、ちゃぷちゃぷ言うようであれば、鉢の花に残りを空け、歩いて汲みに行くのである。
朝靄の漂う中、ほとんど人けのない飲み屋街を横切り、二本の水筒を片手に提げて井戸に向かう。柄杓を洗い、水筒の中身をゆすいで、水を汲み入れる。小さな水筒だから、柄杓を二回も傾ければ一杯になる。帰りは少し重くなるから両手に提げて、来た道を戻る。その繰り返しである。なんだか宗教のようだ。水筒がもっとずっと大きかったら、牛乳を運ぶハイジである。ただしハイジは観たことがない。あくまでもイメージである。
先日、大学時代親しくした後輩たちとオンライン飲み会と言うのをやった。ところがそもそもこちらにはIT機器を使いこなせる知識がなく、画面は出るが音声は出ない、音声は出るが画面が出ない、といった体たらくで、ずいぶん後輩たちに迷惑をかけた。「時代にちゃんとついてきてくださいよ」と皮肉たっぷりの励ましをもらった。ついていけてないと、自覚している。朝の「お水取り」を日課とするようでは、到底ついていけるわけがない。
それも仕方ないか、と思いながら、今日も水筒二つ提げて路地裏に向かう。