た・たむ!

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みずの話

2021年09月17日 | essay

 朝事務所に出勤すると、水筒二つ提げて水を汲みに行く。
 徒歩五分もかからない場所に小さな湧水公園がある。事務所があるのは店や雑居ビルの立ち並ぶ結構賑々しい街中だが、水の湧き出るその一角だけはいつも、ふた時代くらい前のような涼しい風が通り抜けている。
 そこの水が美味しい。コーヒーでも沸かそうかと汲んだのだが、最初に一口含んだ時、あまりの美味しさに唖然とした。以来、紅茶やコーヒーにも愛用するが、大概そのまま飲んでいる。冷蔵庫もない小さな事務所だから、文字通りそのまま飲む。ぬるくても飲む。まとわりつくような滑らかさと、ふくよかな甘みがある。と、こう書けば大層な舌自慢に聞こえるが、実は味覚に関しては自信がない。何でも雰囲気が良ければ旨いと思える目出度い口である。ただ判官贔屓か、そこの湧水が、街中に数ある湧水の中でも一番旨いと思い込んでいる。
 街中に湧水が幾つもあるくらいだから、田舎の街なのだ。
 私にはそれがちょうどいい。
 水筒はスチール製。ペットボトルから注ぐときの臭みがなくていい。これも数ある思い込みの一つかも知れない。
 趣味で山に登るときも、そこの湧水を水筒二つに汲んでいく。そのまま飲む分と、沸かして調理に使う分と。本当に疲労困憊したときには、どんなジュースよりも一杯の清水が旨い。不思議である。
 職場用の水筒二本は、夏場なら一日で両方とも空になる。秋めいた今なら、二、三日かかる。出勤するとまず水筒を振ってみて、ちゃぷちゃぷ言うようであれば、鉢の花に残りを空け、歩いて汲みに行くのである。
 朝靄の漂う中、ほとんど人けのない飲み屋街を横切り、二本の水筒を片手に提げて井戸に向かう。柄杓を洗い、水筒の中身をゆすいで、水を汲み入れる。小さな水筒だから、柄杓を二回も傾ければ一杯になる。帰りは少し重くなるから両手に提げて、来た道を戻る。その繰り返しである。なんだか宗教のようだ。水筒がもっとずっと大きかったら、牛乳を運ぶハイジである。ただしハイジは観たことがない。あくまでもイメージである。


 先日、大学時代親しくした後輩たちとオンライン飲み会と言うのをやった。ところがそもそもこちらにはIT機器を使いこなせる知識がなく、画面は出るが音声は出ない、音声は出るが画面が出ない、といった体たらくで、ずいぶん後輩たちに迷惑をかけた。「時代にちゃんとついてきてくださいよ」と皮肉たっぷりの励ましをもらった。ついていけてないと、自覚している。朝の「お水取り」を日課とするようでは、到底ついていけるわけがない。
 それも仕方ないか、と思いながら、今日も水筒二つ提げて路地裏に向かう。


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