徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

お通夜出席 そして 不登校について

2010-02-18 05:17:13 | 知人・友人・赤の他人
知人のお父様がお亡くなりになった。
享年60歳と言うことは、今の世の中ではまだまだお若い。
癌と言うことで、本人はもちろん、
ご家族の方も色々大変だったことでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。

昨日は、また、別の知人からちょっとした相談があった。
お子様が、学校へ行きたくないと言い始めているらしい。

まだ、渋々でも学校に行ける状態と言うことで、
今のうちに何とかなればいいのだが。
お電話でも話したけれど、
不登校になってしまうケースは、
当たり前だが、人によって原因はいろいろ。
いじめがある場合もあれば、
人間関係の悩みもある。
ケースによっては病気(精神面)の場合もある。
人から見れば、怠けているように見えるところが、
不登校の難しいところ。
我が娘も、あるいは人伝に聞いた場合も、
不登校になる場合、
本人も学校に行けないことを苦しく、
そして悪いことと言うイメージを持っている。
結果的に逃避になるのだけれど、
その心の葛藤は、例え親でも見えてこない。
だから、みんなが学校から帰ってしまう夕方。
行かなければと言う心の葛藤から解放された時、
本人は結構素に戻る。その晴々した様子は、
「そんな元気なら学校行けよ」という親のストレスにもつながる。
もちろん、色々なケースがあり、
色々な親子関係があり、
原因が親にある場合もあるとは、先生から言われた。
我が家も原因の一部は私にもあったと、今は思っている。

例えば「自由にさせる」「放任主義」と、
「無視」、「無関心」は表裏一体。
子どもに優しくても、夫婦仲が悪ければ、
子どもにはストレスになる。
「いい子」になることを強制していなくても、
子どもが「そうしなければいけない」と感じていれば、
結局ストレスになる。
我の強い友達が、行動に口出しすることがストレスになる。
嫌と言えない性格。
嫌と言ったら、嫌われると言う強迫観念。
人間関係に疲れる。
友達には干渉して欲しくないのに、
実際にほおっておかれたら無視されていると孤独感を味わう?
今まで信頼していた人が、
「あなたの味方だよ」と説明するつもりで誰かの悪口を言うのを聞き、
私も陰であんな風に言われているのだろうと、人間不信に陥る。

ここまで書いたことが、
すべて我が娘に当てはまっているわけではなく、
原因として考えられるホンの一部を書いたけれど、
たった一つのトリガーで人は変調をきたす。
他人から見て「そんな些細なこと」と言うことが、
本人にとっては耐えられない。
いくらでもあること。
たいていの人は、自分の中で処理できるのだが、
処理できないことをいくら怒っても、
解決にはならない。
成長の過程で耐性を身につけて行くしかないのだが。
感受性が強いと言えるのだろうなあきっと。
感受性が鈍い私には心配ないのかもしれないが・・・・

急がないこと。
強制しないこと。
話し合うことは大切かも知れないが、
私にはどう話し合えばいいかはわからない。
多分今でも出来ないのだろう。
駄目な父親だから私は。

でも、保健室でもなんでも、
学校に行けるなら、行った方がいい。
これは奥様の感想。
奥様は静岡で不登校にも詳しい、
K先生の門下に入って、
色々教えを受けたり、
実際に子どもを浜松の病院に連れて行ったり、
その努力には頭が下がる。
私よりよっぽど真剣に子どもと向き合っていた。
なるようになるさと言ういい加減な私が、
子どものかたくなな心を萎えさせ、反抗を分散させ、
奥様の真摯な努力が子どもにも伝わった。
私は勝手にそう思っている。

相変わらずまとまりがないが。

親自身が、周りが見えなくなること。
思いつめると、結論が一つしかないように思えてしまう。

今していることが悪いことと感じると、
なかなか、抜け出せない。
生き方は一つでない事。
回り道は失敗でないこと。
世間の常識、あるいは、俗に言う普通の生き方が、
決して幸せとは限らないこと。
自分に適した生き方が、世間から見たら外れているとしても、
それは悪いことではないこと。
いつでもやり直しは出来ること。

私が感じていることである。

ちなみに過去の記事です。
ツインAが高校を退学した時の日記です。
コメント
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