敗戦の日に
と、言い直すべきなのだろうか。
だが、未来を鑑みるに、やはり「終戦の日」の方が良いのではなかろうか。
1945/8/15 正午に流れた玉音放送。
その現代語訳がこちらです。
http://weemo.jp/s/96afd465
御言葉の一言一言を噛み締めるように読みました。
私が産まれた頃は「高度経済成長」と言う、世界でも類を見ない発展のさなかでした。
新幹線が開通し、高速道路が出来たのもこの頃。
しかし、一方では初詣などに行くと、参道の傍らに傷痍軍人の姿(その後、本当の傷痍軍人じゃ無いと知りました)。
小学生の時に沖縄が返還されました。
子供には「沖縄海洋博」の言葉の方が魅力的で、「返還」がどういう事かよく判ってはいませんでした。
当時の子供向けの雑誌には、沖縄では車が右側通行から左側通行に変わった。と、言った事が書かれていたと思います。
今にして思えば、戦勝国の統治下に置かれたのが沖縄だけだったのは物凄い事だったのだと思います。
先祖代々沖縄に住まう方にとっては屈辱の20数年だったとは思います。
しかし、終戦後に旧ソ連がいきなり南下してきていたことを思うと、北海道や北日本がソ連に割譲されていた可能性もあったわけです。
そして本州も幾つかの地域に分けられ、戦勝国の統治下にあった可能性もあったのです。
そう、ドイツが東と西に別れてしまったように。
今、日本がこうして独立を保っていられるのも、当時の方々のご尽力の賜物。
その有難さを今一度理解しなければいけないのかもしれません。
今年の冬、「永遠の0」という映画が公開されます。
零戦や特攻隊のお話です。
特攻隊と言うと神風特攻隊ばかりに目が向きがちですが、
回天、桜花、伏竜。まだ一般の方には知られていない特攻隊もあったのです。
そして、南方戦線で補給を絶たれ、まさに泥水を啜って生還された方。
満州からソ連の侵略に怯えつつ引き揚げていらした方々。
この戦争では兵士は勿論、大勢の民間人も傷ついてしまったのです。
ただ、南アジアを植民地支配から解放した事だけは誇るべき事だと思います。
太平洋戦争がなんであったのか。
そろそろ冷静に見つめる時なのではないのでしょうか。
その日から68年。
人間で言えば一世代に当たるぐらい。
まだ、68年しか経ってないのですから。