釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

海辺と古神

2017-07-31 19:13:59 | 文化
ここ数日は曇天が続いている。今日も朝から空を雲が覆っていた。今日は室内にいるよりも外の方が風が吹いて涼しいくらいだった。職場の裏山の葛の葉がかなり広がって来た。来月には赤紫の花が見られるだろう。相変わらず今日もシジュウカラが群れでやって来た。外が涼しいせいか、今日は蝉の声も聴こえなかった。休日は久しぶりに、沿岸沿いに釜石の北になる山田町方面へ出かけた。東日本大震災で被災した地域を走ることになるが、釜石の両石地区も鵜住居地区も前回訪れた時よりもさらに復興工事が進んでいた。とは言え、まだまだ時間がかかりそうだ。震災前には沿岸部には海水浴の出来る綺麗な砂浜がたくさんあった。しかし、震災でその多くが消えてしまった。特に鵜住居川が流れ込む根浜海岸は2Kmに近い長い砂浜があった。今ではその片鱗が見られるだけになった。山田町には震災前から船越半島の荒神社のそばに砂浜のある海水浴場があった。今はやはり半島の付け根部の低地の復興工事で、砂浜への道も仮のものになっている。船越の名は全国に見られるが、その昔、半島を回る代わりに、半島の付け根で、船を陸揚げして、陸を横切って、反対の海からまた船を出していたために、船越の名が付いたものだ。帆船ではなく、手漕ぎの時代であろう。荒神社の砂浜は震災前とほとんど変わらず残されている。夏休みに入った子供達を連れた家族が幾組か来ていた。北海道ほどではないにしろ、海水温はあまり高くはないのだろう。泳ぐ人は少ない。外気温も高くはない。水は綺麗で、海底の岩も見える。少し離れたところに以前は海水で遊べる海浜公園のようなものがあったが、津波で壊されたようだ。荒神社はさほど被害を受けていないので、以前とあまり変わらない。この神社には以前からとても惹かれるものがあった。「荒神社」の名そのものもそうだが、奉納されている彩色された鉄剣に刻まれた「御祖大神 理久古円段」「正一位 荒神大明神」の文字だ。先日書いた紫波町の日本最北の式内社である志賀理和氣神社ですら852年に正五位下に叙されている。また、陸前高田の氷川神社には西宮に理訓許段神社、中宮に登奈孝志神社、東宮に衣太手神社の3社が祀られ、やはり852年に理訓許段神社・衣太手神社が従五位下に叙されている。荒神大明神の正一位の伝承は謎である。大船渡の尾崎神社も理訓許段神社とされ、式内社となっている。山田町の荒神社の理久古円段も大船渡、陸前高田の理訓許段もいずれも「りくこた」の神とされる。大船渡の尾崎神社には1200年前から伝わるイナウがあり、津波の中で被害を免れた。震災の翌年、北海道のアイヌの人たちがこの神社を訪れ、アイヌの祭祀で使われるイナウと同じものであるところから、被災を免れたイナウを前にアイヌの人たちが祭祀を執り行っている。「りくこた」の神、アイヌは何らかの関係があるのだろう。縄文時代の最後に列島にいた津保化族(つぼけぞく)の言葉が北海道のアイヌの人たちや東北の方言に残されているのではないかと考えている。
荒神社の前の砂浜

荒神社に奉納された鉄剣

荒神社境内に咲いていた藪萱草

歴史が刻まれた紫波町

2017-07-29 19:18:00 | 歴史
空港のある花巻市の北に隣接する紫波町は北上川を挟むように川の東西に広がり、東は北上山地、西は奥羽山脈に連なる。平野と丘陵地が広がり、りんごやぶどうなどの果樹と牛や豚の畜産、稲作が中心の町だ。かっては紫波町の北は、志波城趾のある盛岡を含め全域が「紫波」であった。農畜産が主の町であるところから、町内には多くの産直や果物の直販所がある。1333年の鎌倉幕府の倒幕に出た足利尊氏に越前・若狭・越中守護であった斯波(しば)氏(尾張足利氏)4代当主斯波高経の長男、斯波家長が1335年に奥州管領任ぜられ、斯波館を拠点とした。現在、紫波町に残る郡山城、別名高水寺城を後に拠点とした高水寺斯波氏はこの斯波家長の末裔とされる。斯波高経の同母弟で、兄弟でやはり倒幕に従った弟の斯波家兼(しば いえかね)は、倒幕の勲功により、1354年、若狭守護から奥州管領の任を得る。現在、紫波町日詰中新田として地名の残る中新田城を拠点とした。以来、斯波氏が奥州管領職を世襲する。「紫波」の地名はこの「斯波」氏から由来するとする説もあるが、この地は平安末期には奥州藤原氏の分家である樋爪氏が治めており、現在、紫波町日詰の地名が残されている。また、町内には最北の式内社である志賀理和気神社があり、「志和」由来とする説もある。1588年に南部信直によって斯波氏は滅ぼされる。和田家文書に紫波について書かれた記事がある。「奥州紫波の郷に怪奇なる古傳、今に遺りぬ。此の地は奥州の旅宿をなせるは、早池嶺山石神を東に参道あり、西には和賀嶽金山ありて、山師の宿と曰ふありぬ。古きより安倍一族の隱し金山、その東西にありて、山道に関を以て閉ぎけるも、倭人の錢買、能くただら衆をして横流しあり、産馬の牧ありければ、その種馬を得んとて密買も横行せり。」康平元年(1058年)に源氏の間者が馬100頭を盗み取ろうとして、見つかり、斬首された。すると、その斬首された地に「頭は馬頭にして、體は人間なる幽靈」が出没するようになる。安倍三郎と矢巾次郎が「淨法寺傳来の寶剣」で、この幽霊を退治した。切られた幽霊はたちまち「三尾になる白狐」と変じた。二人は狐を焼き払い、遺骨を埋めたが、「此の狐を退治してより安倍一族の武運なく、康平五年厨川の合戦を末期に一族滅亡せりと曰ふ。安東氏の代にこの狐骨を中山に葬して供養、以来隆盛す。」とある。
くちなし

中央集権と地方の衰退

2017-07-28 19:14:50 | 社会
江戸時代が300年近く維持出来たのは鎖国と幕藩体制による。この幕藩体制では現在の米国の合衆国制度以上に藩の自治、地方自治が認められていた。しかし、明治維新により、一気に強力な中央集権体制に変えられてしまった。百姓の長男として生まれた伊藤博文は親が養子となった関係で、身分が足軽になった。吉田松陰の松下村塾に入門はしたものの、身分が低いため、塾の建物の外で、講義を聴いていた。それでも塾生との間に知己を得て、次第に倒幕運動に入って行った。1859年の安政の大獄で師である吉田松陰が斬首された時に遺体を引き取ったのは伊藤博文であった。1863年に渡英した1年間で英語を習得し、見聞を広めた。維新後の1882年には憲法調査のため渡欧し、ベルリン大学やウィーン大学で憲法や行政を学び、帰国後に内閣制度を創設し、大日本帝国憲法制定に大きく関与している。当時の先進地域である欧州は帝国主義の中央集権国家であった。日本を早急に近代化するためにそうした先進国の政治制度や軍隊・教育制度を積極的に取り入れた。これにより確かに日本は欧米列強に追いつき、対外進出するまでになった。公家で太政大臣であった三条実美を抑えて、英語を解する伊藤博文が初代内閣総理大臣に44歳で抜擢された。内閣制度が制定されて現在まで、最も若い宰相である。伊藤は4度総理大臣を務めた後、1905年に初代韓国統監となったが、国際協調を重視し、朝鮮の自治を当初主張していた。4年後に朝鮮で独立運動が盛んになることを見て、日本政府の主張する併合に傾かざるを得なくなる。しかし、朝鮮の自治を考えていた伊藤が1909年に安重根に暗殺されることになる。ただ、この暗殺には多くの疑問が残されてはいる。現在の日本は少子高齢化が世界でも最も早く進み、そのため、特に地方の疲弊が止まらない。メディアで取りざたされている疑惑問題も地方の疲弊や名ばかりの地方自治と大いに関係ある。中央集権では地方は「交付金」や「補助金」を通じて、中央の下請けと成り果てざるを得ない。中央主導の「地方再生」などはそもそもの矛盾でしかない。米国も中国も地方政府の独立がある程度認められている。かっての日本でも封建制度下ではあったが、強力な地方自治が営まれていた。
向日葵

気候と健康

2017-07-27 19:12:55 | 文化
三陸の漁場が豊かな理由の一つに暖流と寒流の双方が流れることだ。それらの海流のおかげで、天候も三陸沿岸部では内陸と異なる。夏は内陸よりも気温が低く、時には山背で寒く感じることさえある。冬は反対に沿岸部が暖かく、雪もほとんど積もらない。釜石の夏の朝は避暑地そのものでもある。清々しい風が吹き、近くからはウグイスの声が聴こえて来る。今月初めに飼っていた犬が死んだために、朝夕の犬の散歩がなくなったが、代わりに、日曜以外は毎朝30分ほど早足で歩いている。早い時間なので、とても涼しく、高原にいるような錯覚さえしてしまう。それでもウォーキングの半ばになると汗が出始めてしまうが。甲子川の流れやカジカガエルの声を聴きながら歩くと、心まで洗い流される。日中の職場の裏山ではヒグラシやニンニンゼミが鳴き、ウグイスの声が聴こえて来る。今日は日中の最高気温も26度で、日陰だと涼しい風が吹き、全く暑さを感じなかった。夕方には、仕事帰りに通る市街地の幹線道路は山のそばを走っており、やはりヒグラシの甲高いが物悲しい声が響いて来る。夜も晴天の日はたくさんの星が見え、やはり涼しい風が吹き、学生時代に長野県の高原地帯で合宿した時を思い出させる。加齢とともに自分の健康にますます気を付けるようになったが、この釜石の気候は植物や動物たちにいいだけではなく、人間にもとてもいいように思う。体にあまり無理を強いることがない。以前は植物など全く気にも止めなかった。しかし、釜石の植物が以前いた他の地域と違って、あまりにも長く咲くこと、また、たくさん咲く花の種類があることに驚かされた。人の健康維持には過度なストレスではなく、適度なストレスが必要だ。釜石の気候は、その意味でも暑さ、寒さが適度なストレスの範囲で止まっている。市街地のすぐそばまで山が迫っていて、排煙する工場もほとんどなく、空気もとても綺麗で、気持ちがいい。面積の広い岩手県では車がなければ移動に不便で、どうしても普段は車に乗ることが多い。それだけに、自分で意識して、運動に心がける必要がある。適度な筋力は体力だけでなく、免疫力にも関係して来る。足の動きは脳や心臓の働きとも関係しているとも言われる。気候を含めた釜石の自然は、加齢とともにますます健康維持には不可欠なものなのかも知れない。
庭で芳香を放つ山百合

中央銀行の資産購入

2017-07-26 19:10:22 | 経済
日本は1990年代初頭のバブル崩壊後から、欧米は2008年のリーマンショック後から中央銀行が債券や株式を購入するようになった。今年に入って5月までだけでも世界の主要中央銀行、スイス国立銀行、イングランド銀行、日本銀国、中国人民銀行、欧州中央銀国、米国連邦準備銀行(FRB)の債券や株式などの金融資産は1兆5000億ドルにもなる。2011年から2016年の5年間に総額7兆ドルの金融資産を購入している。2008年のリーマンショック以前には中央銀行の資産は3兆5000億ドルであったが、今や15兆ドルに拡大している。世界の国内総生産GDPの38%になる。米国ではGDPは過去10年間平均年率でわずか1.33%しか増えていないのに、株価は空前の急上昇で、企業は収益の100倍以上の株価で取引を行っており、収益の200倍以上の株価で取引を行っている企業まである。日本では日経平均株価を構成する225銘柄のうち200社で、日本銀行が保有率上位10位内の大株主となっている。世界の主要中央銀行が揃って、巨大な金融資産を買い入れる状態は歴史上初めてのことである。金融資産を買い入れると言うことは、中央銀行が買い入れ時に、その分の紙幣を増刷していることになる。中央銀行がゼロ金利と金融資産買い入れを続けなければ、金融経済が維持出来ない状態になっている。米国は中央銀行が印刷した紙幣により、株式が史上最高値を更新し続けている。一見すると金融経済は盛況のようだが、一方で、各種債務も膨大になっている。昨年10月、国際通貨基金IMFは財政モニター報告を公表し、政府や非金融会社、家計が抱える2015年の総債務残高が名目ベースで152兆ドル(約1京5640兆円)と今世紀初めの2倍余りに達し、まだ増え続けていると指摘した。世界のGDPの225%に相当する過去最大の水準で、約3分の2が民間部門の債務で、残りは公的債務で世界のGDPの85%と、今世紀初めの70%未満から増加している。IMFは経済成長の鈍化が債務圧縮を妨げ、過剰債務が景気減速を悪化させるという悪循環に陥っていると分析している。米国では2008年9月の金融崩壊から現在までに家計の負債は米国GDPのほぼ80%にもなっている。特に大学教育の為に4400万人以上の米国人が学費ローン負債を1.3兆ドル以上抱えている。20年前には学生の負債総額は、300億ドル以下でしかなかった。学生の負債の増加の原因は州立大学の学費の急増にある。米国の家計の負債は学費ローンに止まらず、住宅ローン、自動車ローン、クレジットカード債務を合わせて、12兆ドルを超えている。米国国債も20兆ドルをわずかに下回るだけの巨額に達している。日米ともに大都市の中心地の地価や住宅価格が過去最高となってもいる。中央銀行の金融資産買取りは、資産価格の途方もないバブルを生み出した。政府や家計の負債が増加している中で。先陣を切って、米国FRBは保有する金融資産を縮小しようとしている。ゼロ金利政策もすでに抜け出して、何度かわずかずつ金利を上げ始めてもいる。しかし、判断を誤れば、歴史上かってない凄まじい金融崩壊へと至り、悲劇的な終焉を迎えることになる。その崩壊のきっかけは単に中央銀行の操作にあるだけではないところが怖いところだ。
時計草

仮想通貨と紙幣

2017-07-25 19:14:03 | 社会
貨幣は取引の仲介手段として使われて来た。しかし、現在は口座から口座へ実際の貨幣の異動なく、電子的な手続きも可能だ。無論、その根拠としての貨幣の存在がなければならないが。1990年代から仮想通貨の概念が登場し、今ではビットコインBitcoin、リップルRipple、イーサリアムEthereumなどが仮想通貨として、実際に使われているが、投機の対象ともなっている。ドルが基軸通貨として弱体化して来ており、資産を退避させる目的でも仮想通貨が注目された。しかし、現在のところ、禁止はされないが、どの政府も自国の通貨としては考えていない。ただロシアは政府としてもイーサリアムには注目しているようだ。一方、インドやEUでは高額紙幣が廃止されている。高額紙幣は闇取引などに利用されると言うのが廃止の理由だ。要するに政府が把握出来ないお金の動きになるからだ。世界的にゼロ金利になってから、銀行に預けないで、家庭にため置かれた紙幣としても利用されるようになっている。先進国では銀行から現金で引き出すのにも制限がかけられている。自分の預金でありながら、自由な引き出しが出来なくなっている。米国では3000ドル以上の引き出しは全て政府に報告される。個人で利用している銀行では50万円までしか、一度に引き出せない。こうした制限に銀行の窓口で苦情を言ったところ、警察官まで呼ばれたと言う話まであるようだ。いずれ流布されるマイナンバー制はお金の流れが政府に全て把握される事態となる。こうした事態に、さらに紙幣や硬貨を廃止し、仮想通貨が採用されれば、政府の把握は完璧になる。すでに人はデジタル支払いにJRやスーパーで慣れて来ている。ネットではもう長くカード支払いが定着もしている。近い将来に、デジタル通貨が採用され、国民の経済活動が全て政府に把握されることになるだろう。国民監視のシステムは出来上がりつつある。デジタル通貨の採用は脱税防止だけではなく、新たな課税にも容易に利用され得る。日本では民間銀行トップの三菱東京UFJ銀行が積極的に仮想通貨の開発に取り組んでいる。一度流れ始めた水は、容易には流れを止めることが出来ない。
アキアカネ 秋になると赤くなる

狼と犬

2017-07-24 19:09:01 | 科学
人の遺伝子異常の病気の一つにウィリアムズ症候群と言われる病気がある。以前は2万人に一人とされたが、近年の研究では7500人に一人と言われる。ウィリアムズ症候群では軽度ないし中度の精神遅滞が見られることが多いが、一方で、いくつかの分野で非凡な才能を発揮し、豊かな情感をもち,多弁で社交性が高い傾向がある。ところで、犬は1万年以上前に狼から進化したが、そうした進化を米国のプリンストン大学のブリジット・フォン ホルトBridgett vonHoldt助教が研究している。3年前からイヌとオオカミの社会的行動の遺伝的基盤を調べている。同じような環境で育てられても、犬と狼では人に対する「社交性」が異なっている。犬は人をよく見ていて、その指示や命令によく従う。実験で、工夫しないと開けられない箱の中にソーセージのかけらを入れ、この箱を開けられるように犬と狼を訓練した。よく知る人がいる場合、知らない人がいる場合、人がいない場合という3つの状況で犬と狼それぞれに箱を開けさせた。その結果、いずれの場合も狼が犬よりもずっと良い成績を収めた。これは狼が人への関心を犬ほど持たないことによって、箱を開けることに専念したからであった。犬は箱を開ける能力で狼に劣るわけではなかったが、人に関心を持つため、制限時間内に箱を開けられなかった。7年ほど前に同助教は米国オレゴン州立大学のモニク・ユーデルMonique Udell氏との共同研究で、犬と狼の遺伝子を調べ、犬が家畜化される過程である遺伝子に変化が生じたことを発見した。この遺伝子は人でもウィリアムズ症候群の関連遺伝子であった。犬ではこの遺伝子の近くにある他の2つの遺伝子にも変異があった。これらの遺伝子の変異が狼から犬への進化をもたらせた。歴史的にはおそらく、突然変異により、ある狼が人に対して、社交的になり、人に懐いて、人とともに生活するようになって行ったのだろう。ちょうど1年ほど前に、北上市で行われた有機栽培のイベントで、100%純粋の狼を3頭見たが、確かにのんびりとしていたが、犬のように自分から人によって来るようなところはなかった。子供が体を撫でててもされるがままで、まるで無関心であった。これまで何頭か大型犬を飼って来たが、ともかく狼の大きさには驚かされた。特に頭は巨大と言っていい。遺伝子の解析が容易になって来ると、動物や人の進化や病気もより明らかになって来る。
八重咲きになる明日香百合

腸内細菌と進化

2017-07-22 19:15:29 | 科学
人は機能の異なるいくつもの種類の細胞からなる多細胞生物である。その人の腸には単細胞生物である腸内細菌がいる。腸内細菌の数は人の細胞の数よりずっと多い。人の細胞の数は60兆個と言われ、腸内細菌は100兆個と言われる。腸内細菌の大半は空気を嫌う、嫌気性菌である。ただよく知られる大腸菌は空気中でも生きられる。腸内細菌の大きさは直径で、人の細胞の10分の1から50分の1と小さい。生まれたての赤ちゃんには腸内細菌がいないが、生まれた後に、口から飲み物や食べ物を介して、増えて行く。消化管は人の体の中を貫通する唯一の空洞だ。言ってみれば、体の中に外界が入り込んでいる。従って、その外界が異なると、腸の中の細菌も異なって来る。3年前の米国テキサス大学の大規模な腸内細菌の研究では、腸内細菌の種類は野生のゴリラやボノボ、チンパンジーなどの類人猿の平均が85種類なのに対して、ベネゼラの熱帯雨林に住む人では70種類、マラウィの田舎に住む人では60種類、米国人では55種類と言う結果になった。ちなみに別の研究では日本人が75種類に対して、カナダ人では66種類であった。これらの結果は現在の食の環境とともに、生物の進化にも腸内細菌が関連していることを示している。植物性の食物が多いほど、腸内細菌の種類が多くなっている。一方、動物性脂肪が多いほど種類は少なくなる。2年前には、科学誌Natureに、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の研究者たちが魚類と甲殻類を餌とするヒゲクジラ類の腸内微生物叢が陸生草食動物の腸内微生物叢に類似しているという報告を発表した。ヒゲクジラ類は、ウシやカバと近縁の陸生草食動物の祖先から進化したと言われる海生肉食動物である。多くの生物には腸内細菌が共生しており、外界から取り込んだ食物を腸内細菌が体内に吸収しやすい形に変えてくれている。世界中に分布する海中の海綿に、人と腸の関係を原始的な形で見ることが出来る。最も古い多細胞生物の一つである海綿は、表面に数多くの孔を持ち、ここから水と食物を取り込んでいる。体内を通り抜ける水の中から有機物微粒子や微生物を捕らえて、それを食べている。海綿にも大量の細菌が共生していて、全体積の 40%にもなる海綿もある。腸内細菌は消化・吸収を助けるだけでなく、免疫にも大いに関係しており、人の健康を維持するためにはとても重要な存在だ。地球上に生命が誕生した頃に存在した単細胞生物がその後の多くの生物に共生することで、生物は進化して来た。
甲子川の河川敷に咲いた合歓の木の花

「失われた30年」は政府と企業の間違った方針が招いた

2017-07-21 19:18:36 | 経済
企業は消費が見込まれれば、生産設備を更新して、生産量を増やそうとする。また勤労者は所得上昇が見込まれれば消費を増やそうとする。こうした条件が揃えば、GDP(国内総生産)は増加する。日本では1991年までGDPが順調に伸びて来た。1991年のGDPは実質で417兆円であった。しかし、以後はGDPの伸びが鈍化する。昨年のGDPは521兆円であり、100兆円増えるのに25年もかかっている計算になる。政府はバブル崩壊直後の1992年から公債の発行を増やして行った。それまではむしろ発行額を減らして来ており、1991年はわずか6.7兆円である。それが1992年には9.5兆円に増え、以後増え続け、1998年にはついに34兆円になり、その後も毎年30兆円前後を発行して来た。そして2010年には40兆円となった。現在までその傾向が続いている。今や一般政府(国・地方自治体・社会保障基金)の債務は1307兆円にもなる。1992年から2016年までの25年分の国だけの債務は791.3兆円である。これだけ国が借金したにもかかわらず、GDPはその間に100兆円しか増えていない。1999年には年収が300万以下の人は33.15%であったが、その後は毎年のように増え続け、2009年からは毎年40%を超えるようになった。年収300万は一般に結婚の境界線と言われる。年収300万以下の人が増えれば、結婚出来ない人が増えることにもなる。中間層の減少をも意味し、消費が減少する原因でもある。日本は世界に先駆けて、バブル崩壊後に政府の借金を増やすことで、景気の刺激策をとった。欧米は2008年のリーマンショック後に金融機関を救済するために同じく政府借金を増やして行った。しかし、いずれも効果を上げられないで来ている。ギリシャやローマも衰退の原因は中間層の減少による経済崩壊である。企業は需要が見込めないために生産設備の更新を行わず、コスト削減と自社株買いで利益を上げようとした。容易なコスト削減は人件費を減らすことである。しかし、結果的に、企業のそうした行動がさらに消費の減少を招く。日本の「失われた30年」は政府と企業の間違った方針が招いたものだ。いずれやって来る経済崩壊では、いずれの国も政府が大きな借金を抱えているために、これまで経験のない凄まじい経済状態をもたらすことになる。
夾竹桃

2017-07-20 19:13:19 | 自然
内陸ではすでに30度を超える日があるが、沿岸部の釜石では今までのところは25度を超えても30度になることはなかった。朝夕は清々しいほどの風が吹き、朝には近くの甲子川でオオヨシキリが甲高く鳴く。夕方はカジカガエルやヒグラシの声が聴こえて来る。釜石は避暑地そのものだ。しかし、その釜石も週末からは30度に達しそうだ。百合や夾竹桃、凌霄花、カンナ、バラなどの夏の花が咲き、紫陽花もまだ咲いている。東北の初夏は花の季節でもある。少し前まで栗の長い花が見られていたと思うと、もう緑のイガグリがたくさんなっている。職場の裏山の何本かのクルミの木にも緑のクルミが見られるようになった。そのクルミの木の一本にリスが巣を作っている。周囲の木々の葉が茂るためか、最近はリスの姿を見ない。シジュウカラやイソヒヨドリなどの小鳥たちは毎日のようにやって来る。今朝は職場に隣接する醤油工場の敷地に裏山から降りて来た若い鹿1頭を見かけた。2〜3日前にも、多分同じ鹿だと思うが、やはり来ていた。工場からの音を警戒してか、しばらくして、また裏山に消えて行った。最近は週末の休みには売られている山野草を見るためによく産直巡りをしている。途中の山間部の道路には、必ずと言っていいほど轢かれたタヌキを見かける。タヌキは猫以上に車のライトに照らされると、その場にうずくまってしまう。それが命取りになる。猿や狐は比較的機敏に道路を横断してしまうが。夏は動物たちの活動も活発になる。それだけ動物を見かける機会も多くなる。ただ今のところはクマの出没は少ないようだ。昨年は一時、職場の裏山に毎晩出没し、職員を不安がらせた。やはりクルミが目的だったのかも知れない。何年か前には裏山のクルミの木に子グマが上っているのを見かけた。たいていは子グマの側には親グマがいるので、姿は見なかったが、おそらくその時も親グマが近くにいたのだろう。子供の頃は夏は毎年瀬戸内海に面した砂浜で海水浴をしていた。緑の島が点在する穏やかな瀬戸内海だ。空は青く、真っ白な入道雲が見えていた。東北でも入道雲は見るが、気のせいか四国の入道雲の方がずっと大きく見えたように思う。それでも東北で入道雲を見るのが一番夏を感じてしまう。いつも見かけると、「夏の雲だ」と心の中で言ってしまう。
醤油工場の敷地に入り込んだ鹿