大峰の河童

法螺貝を習得中 

何処に行った、古代の大豪族和邇の臣一族(その2)

2010年09月21日 | 日記
和邇一族の本拠地にある東大寺山古墳からは「魏志倭人伝」の記述と合致する「卑弥呼の刀」と言う謎の鉄刀を始め、夥しい数の武器・武具が出土した。 全長140mの前方後円墳はT教団の施設内にあった。

この鉄刀には稲荷山古墳から出土の鉄刀の金象嵌よりも純度の高い純金で「中平囗囗五月丙午造作囗囗百練清剛上応星宿囗囗囗囗」の24の銘文が刻まれている。
(中平囗年五月に銘文の入った刀を作る。百回鍛えた立派な刀は天上では星座の神々のお役に立ち、地上では災いを払う。)

近くの巻向地区から卑弥呼の館ではないかと注目を集めている建物跡や大量の桃の種が発掘されている。 邪馬台国の女王・卑弥呼が後漢王朝から下賜された同年代の鉄刀が和邇一族の本拠地の4世紀後半の古墳に埋蔵された謎?

和爾下神社(上社)は前方後円墳の後円部分に社殿があり、古くは弓の名人「日子国夫玖命」や和邇氏の氏族祖神を祀っていたが、今では大巳貴命・素盞鳴神・稲田姫が祭神。

境内に多数の末社があるが、和爾氏の同族の一人・柿本人麻呂の遺髪を生めた墓だといわれる歌塚が近くの極楽寺・先代住職の手で整備されている。 歌塚には沢山の蛙の石像があるが、これは単に先代住職が蛙好きだったので、飾りに塚の周辺に置いただけだ。
明治になって廃寺になった旧柿下寺の宝物は極楽寺が保存している模様。

以前、和爾氏のライバル関係にある葛城氏のテトリーである新庄町柿本を訪れた時に参拝した立派な古社のことを思い出す。 何故か、「歌聖」人麻呂を祭神に柿本神社がある。

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