謎めいたタイトルに引かれ、和邇氏の本拠地と伝えられている櫟本を訪ねました。
古代、和邇一族は7名の天皇に9名の后妃を出している。
(応神天皇=2名、反正天皇=2名、雄略天皇=1名、仁賢天皇=1名、継体天皇=1名、欽明天皇=1名、敏達天皇=1名)
和邇一族以外の氏族では葛城氏が4天皇に4名、蘇我氏が6天皇に9名の后妃を出し、皇室と婚姻関係を結ぶ3大氏族を形成していた。
このように時の天皇と深く結びついていた和邇一族の遠祖、弓の名人「彦国葺」が那羅山で武埴安彦を討伐したとき、武埴安彦の妻吾田媛を大阪で討つたと言われる五十狭彦命を祭神とする子授けの「楢神社」を訪れる。
子が授かると楢(奈良)の字をもらう信仰がある境内には八代目市川団十郎が奉納した井戸の井筒がある。 その前面の石面には枡三つ重ねの紋章が刻まれ、横面に「ならの葉の広き恵みの神ぞとは この実益井をくみてこそ知れ」の歌があり、この井戸は子供を授かる霊水と言われる。
このことを、神社役員の方が成田屋に長文の手紙を書き送ると当代から丁寧に、返信があった由。 若しかすると、南座の九月公演で「義経千本桜」を演じている海老蔵が麻央と参拝し、男子が授かると一躍有名となり参拝者が急激に増えるのか? 今は訪れる人も居ない静かな、小さな社でした。