大峰の河童

法螺貝を習得中 

山上の戸閉めから帰ってきました。

2010年09月23日 | 日記


河童の棲家同様、今年の山上戸閉式も気温が高めでした。 今年、河童の山上参りは一回だけ雨であったが、後の3回は心地よい山行きでした。
鍵渡し式の挨拶にも異常気温の話がありましたが、山開き期間中の参拝者数は? 役講の方に伺うと、「本日は天候悪化の予報のせいか!参拝者が少ない。」「「年々参加者が減少気味。」とのこと。

河童は登り3時間半、下り3時間の計画で夜間に登頂するが、前後10名程度の方と抜きつ、抜かれつ、法螺貝の練習を兼ねてゆるりと。 役講の方は日中に登るを、規則にしているが新客の方でも前後のライトと月明かりで今年は登山道の危険箇所が判明でき、深夜の式参加(秘仏参拝・見学?)が可能?

本堂前・広場で騎馬を組んで鍵の披露をされる役講の方々も高めの気温に、汗があふれた事でしょう。 本堂内では蝋燭の提灯を持った警備役の当番役の案内で参拝。 警備役の方から声をかけられるが、暗闇に目が慣れていなくて挨拶に礼を欠いた。

足元が明るくなるまで宿坊・龍泉寺にて時を過ごすが、空模様も気に係り、未だ明け切らぬ中を下山。 洞川温泉の各旅館は戸開けと戸閉めに入浴無料を実施しているが恩恵に与かることも無く、河童の棲家に帰り、一眠り。


何処に行った、古代の大豪族和邇の臣一族(その2)

2010年09月21日 | 日記
和邇一族の本拠地にある東大寺山古墳からは「魏志倭人伝」の記述と合致する「卑弥呼の刀」と言う謎の鉄刀を始め、夥しい数の武器・武具が出土した。 全長140mの前方後円墳はT教団の施設内にあった。

この鉄刀には稲荷山古墳から出土の鉄刀の金象嵌よりも純度の高い純金で「中平囗囗五月丙午造作囗囗百練清剛上応星宿囗囗囗囗」の24の銘文が刻まれている。
(中平囗年五月に銘文の入った刀を作る。百回鍛えた立派な刀は天上では星座の神々のお役に立ち、地上では災いを払う。)

近くの巻向地区から卑弥呼の館ではないかと注目を集めている建物跡や大量の桃の種が発掘されている。 邪馬台国の女王・卑弥呼が後漢王朝から下賜された同年代の鉄刀が和邇一族の本拠地の4世紀後半の古墳に埋蔵された謎?

和爾下神社(上社)は前方後円墳の後円部分に社殿があり、古くは弓の名人「日子国夫玖命」や和邇氏の氏族祖神を祀っていたが、今では大巳貴命・素盞鳴神・稲田姫が祭神。

境内に多数の末社があるが、和爾氏の同族の一人・柿本人麻呂の遺髪を生めた墓だといわれる歌塚が近くの極楽寺・先代住職の手で整備されている。 歌塚には沢山の蛙の石像があるが、これは単に先代住職が蛙好きだったので、飾りに塚の周辺に置いただけだ。
明治になって廃寺になった旧柿下寺の宝物は極楽寺が保存している模様。

以前、和爾氏のライバル関係にある葛城氏のテトリーである新庄町柿本を訪れた時に参拝した立派な古社のことを思い出す。 何故か、「歌聖」人麻呂を祭神に柿本神社がある。

何処に行った、古代の大豪族ワニの臣一族

2010年09月20日 | 日記

謎めいたタイトルに引かれ、和邇氏の本拠地と伝えられている櫟本を訪ねました。
古代、和邇一族は7名の天皇に9名の后妃を出している。
(応神天皇=2名、反正天皇=2名、雄略天皇=1名、仁賢天皇=1名、継体天皇=1名、欽明天皇=1名、敏達天皇=1名)
和邇一族以外の氏族では葛城氏が4天皇に4名、蘇我氏が6天皇に9名の后妃を出し、皇室と婚姻関係を結ぶ3大氏族を形成していた。

このように時の天皇と深く結びついていた和邇一族の遠祖、弓の名人「彦国葺」が那羅山で武埴安彦を討伐したとき、武埴安彦の妻吾田媛を大阪で討つたと言われる五十狭彦命を祭神とする子授けの「楢神社」を訪れる。

子が授かると楢(奈良)の字をもらう信仰がある境内には八代目市川団十郎が奉納した井戸の井筒がある。 その前面の石面には枡三つ重ねの紋章が刻まれ、横面に「ならの葉の広き恵みの神ぞとは この実益井をくみてこそ知れ」の歌があり、この井戸は子供を授かる霊水と言われる。
 
このことを、神社役員の方が成田屋に長文の手紙を書き送ると当代から丁寧に、返信があった由。 若しかすると、南座の九月公演で「義経千本桜」を演じている海老蔵が麻央と参拝し、男子が授かると一躍有名となり参拝者が急激に増えるのか? 今は訪れる人も居ない静かな、小さな社でした。

今日は法螺貝の教室に出席。

2010年09月12日 | 日記
毎年、9月の法螺貝教室は空手塾の合宿と重なって賑やかな境内です。 法螺貝の生徒は練習の邪魔をせぬように、音だし練習よりも講話(雑談)が中心となりました。 

日ごろお城の本丸、博物館裏で練習している方: 
練習場所の周囲(前方)が開けていて、山彦のように音が跳ね返らない為、法螺の調子を掴みにくい。 しかし、音は森之宮まで届いている。

当山派と本山派の両方を経験(教室)されている方: 
早道はどちらか一つを先に修練すること。 一派の道中貝を基本に乙・甲が出来ると、次は突然、ゆり音が出る。 中途半端な譜で変な癖が付くと、後々まで悪い癖音が抜けなくなる。

院主の講話:
何処で法螺を立てても、同じ気持ちで無ければならない。 奥駈けでの法螺は良い修練の場所である。 苦しい時、気が弱っている時、叉、雨の時など平時と異なるときにこそ、同じ音が出せるように。

河童のお気に入り、立螺の場所は一本茶屋で休息を取り、小屋を出てから五番関の尾根に向かって、山彦を最大限に利用出来る場所。 次はお助け水までと元気が出ます。 法螺の音が聞こえている方も一緒に元気が出れば! 月末の戸閉めにもお気に入りの場所で立螺? 来月の教室は昇級試験。

「ポポー」の実が沢山、実りました。

2010年09月11日 | 日記
カタログにプリンの成る木と表現されているポポーの苗木を2本、植えてから10年が経ちました。 果実が成りだして3年目ですが、今年は沢山の花が咲き、沢山の実を付けています。

最初の年は、いつ、どのように収穫すれば良いか?判らず落果させ、虫に食われてしまいました。 昨年は、実にネットを架けたので数個のポポーを収穫することが出来、カタログに表現されている味覚を味わいました。

昨日、今までの経験を生かし、早めにネットを架けに木の下に行くと、すでに実が3個、落ちて、辺りには完熟した「ポポー」独特の香りが漂っています。 

完熟果実の良い香りは如何に表現すると正確に伝わるか? 甘い味覚は何と表現すれば判って貰えるか? また、プリンのような食感は? やはり、物は試し、一度、幻の果実「ポポー」を食べないと納得できないでしょう。

握り拳より大きい実を写真に取りました。 今年、2本で大小50個以上、収穫できそうですが、直ぐに痛むので旬は1~2週間しか楽しむことが出来ません。