大峰の河童

法螺貝を習得中 

河童の勉強会、「武士の給料は?」

2010年11月22日 | 日記
今月の勉強会は「貨幣の歴史と貨幣制度」について。 副題が「武士の給料はどれ程であったか?」

歴史書(小説など)を読む上で、その当時の収入や支出が如何程か?  歴史を学ぶ時、金銭にまつわる事項が判らず、不勉強なまま先に進んでいた。 

平城遷都1300年祭で歴史資料館に展示している中に「矢を作る工人1名・太刀を作る工人2名に支給する米三升を受領」の木簡を見っける。 昨年から竹弓や竹矢を手作り中の河童の目には奈良時代の工人達の給金が気に掛かった。

士族の出目と違う我が家は先祖代々百姓ゆえ長州征伐に行くことも無く、戦で亡くなったのは小早川軍に敗れた遠先祖が居るぐらいで、今大戦でも戦死者は居ない。
叉、早くから月給取りに成ったので、戦後の農地改革時「不在地主で農地を売却した。」と言う話も聞いていない。 土地持ちではない日々の暮らしに追われる庶民には一反の田んぼからの米の収穫量の知識が無い。 

史実を知る際に経済的問題を飛ばしてしまうと判らなくなる。 今後は金銭感覚を磨こう。

(勉強会の資料)
一、「和同開珎」が鋳造された奈良時代の銭1文が穀6升、または役務の日当に相当。
一、一反の田んぼから米一石(150kg)を収穫。 一人の年間消費量が一石。
一、江戸時代中ごろに「すそば」が一杯16文。 約400円 一文=\25.-
一、庶民の年間生活費が10両。 約100万円   一両=\10万
一、200石取の無役の武士は年収約900万円  1石=4.5万円で計算。
一、明治政府は1両を1円の新貨幣と交換。
一、寛永通宝(江戸時代に鋳造)は昭和28年末まで通用可能であった。 

吉野へ頭巾購入がてら、もみじ狩り

2010年11月18日 | 日記
回峰行で枯れ枝が頭部に落下した際、プラスティクの頭巾にヒビが入った。 一度は手作りを考えたが蔵王権現開帳に合わせて、吉野行きとなる。

途中、道の駅に寄り地元生産のジャガイモを購入。 何時もの事だが北海道産に比べ美味ジャガイモをゲット。 駐車場には平日にもかかわらずバスが何台か駐車している。

吉野の護寺院にお参りして蔵王堂へ向かう。 国内最大級の秘仏の開帳と紅葉狩りで普段は静かな境内が参詣者・観光客で賑わっていた。 未だ、色好きが青いモミジの木が沢山あったので頭巾購入後、西行庵まで車で登ってみた。

金峰神社付近は流石に紅葉の盛りでハイカーや写真撮影の人たちが、ここまで登ってきていた。 しかし、あいにく小雨が振り出し展望台でのスケッチを断念して、ドライブ登山は回峰行で下山。

カラス天狗の鬼瓦とドクロの蟇股

2010年11月14日 | 日記


手伝いに行っていた寺宝展が終了しました。  遠方からもたくさんの方が平城遷都1300年祭の記念行事で26年ぶりに開催された展示品を見にこられた。

展示品に関する事は勉強不足で説明が出来ませんでした。 そこで、こちらから会話の機会を造り色んな事を教わりました。 展示品が手の届く近さでじっくり鑑賞でき、写真撮影可に驚かれた方が何人か居ました。

話の中で、元興寺の屋根裏の木組に話が及んだときに、蟇股の事を教えて頂きました。 後日、改めて山寺の境内を探索してみました。 それが、今回掲載した写真です。 蟇股のドクロの目には蜂が巣を造り、かえって迫力がある。 

今日は法螺貝の教室日です。 早速、練習していた教室仲間にも所在を知らせました。

篆刻印、「大峰河童」を作成準備

2010年11月04日 | 日記
以前、木刀でも作るつもりで枇杷の木を拾って保管していました。 枇杷の木は粘りが強く、矢竹を矯める「矯木」に使った残りの切れ端を印材にする。 ちょっと、乾燥が足りないか?ひび割れの恐れを抱く。

篆刻を思い立ったのは版画教室に通っていて、毎年、教室の皆さんで翌年のカレンダーを作成しています。 新米の河童も、くじ引きで担当の月を割り当てられハガキ・サイズの絵と曜日・数字の版画が完成したが、何かが物足りない。 作品完成の喜びを表す、落款印が在りません。

これから製作する版画の作品に「引首印」、「関防印」、「押脚印」、「落款印・姓名印・雅号印」など多数の印が必要となる。 週末から山寺で平城遷都1300年を記念した寺宝展があり、その手伝にいきます。 展示場所が交通の便の余り良いところではないので見学者が途切れた時の時間潰しに、篆刻を彫ります。

印の刻み方は「白文印」と「朱文印」に分かれています。 昔の中国では印を紙に押す以外、泥に押していたそうです。 白文で作られた文字が泥に押されて固まっている印影を「封泥」といそうです。 この「封泥」は今で言う鍵、封(封印)の役目をしていたものです。 

魏から邪馬台国の卑弥呼に多数の宝物が送られた。 その時に宝物を入れていた外装の「封泥」が見つかれば古代の謎が一機に解明されるほどの遺物です。