大峰の河童

法螺貝を習得中 

即身仏になる入定塚を初めて見ました。

2010年07月30日 | 日記
滝祭りの準備のお手伝いで、朝の内は墓地の草刈を行いました。 ほら貝の教室で、時々ここまで(墓地)登ってきては、山々や谷を利用して貝の音だしをしている場所です。 
地形的に山彦が良く、気に入っている練習場所です。

近くにヒノキ林と真竹林や矢竹があり、季節の行事で使用する段木等を採取する場所でもあり、何度か墓地の近くまで訪れていました。

草刈や落ち葉の掃き掃除をしていて、風変わりな、平たい石板に気づきました。 上部の石板は半畳強の大きさです。 厚みは30cmも無い様に見えます。 入定して座す空間が外から見ることが出来ます。 中を覗き見る穴は空気穴よりも多少大きく感じます。 数日は多少の食料や水、または薬などを外部から供給していたのでしょうか?

最後に入定されたのは何時ごろの時代? その石組の穴でどの様な身分の方が即身仏に成られたか? 入定塚の事を教えてくれた方も、今では知る手立てが無い模様でした。

真夏の大峰奥駈道から帰ってきたが水補給が上手に好き、河童の体重に変化なし。

2010年07月26日 | 日記
前鬼・小仲坊で5リッターの水を満タンにし、二ッ岩過ぎた沢でも補充して太古ノ辻から再度、奥駈道に分け入る。 晴天が続いているので、下山するまでの水が補給できなかった事を考え、共有水1リッターも含んで歩く。

石楠花岳、天狗岳、奥守岳、地蔵岳、般若岳、涅槃岳、証誠無漏岳(24日13時52分通過)、阿須迦利岳等名のある峰を次から次に喘ぎながら進む。

持経ノ宿に到着すると、すぐに平治の宿に分宿する5名の方に水を分配して送り出す。 東方の雷鳴が近づいてきているので早速し、水場に向かう。 さすが、持経の水場は水が豊富だ、パイプから沢水が吹き出ている。 去年は水場に向かっている途中に雷雨に遭い、泥水を飲む事に成ったが、今回はパラパラの降雨で済んだ。 今回の山行では、一度もカッパは使用せず。
 
平治ノ宿の水質は悪いので、分宿者用の水を持って、出発。 転法輪岳、倶利迦羅岳、行仙岳の急坂を登る。 行仙宿で小屋や奥駈け道を整備している「新宮山彦ぐるーぷ」の方が3m近い丸太を横歩きで荷揚げ作業中に遭遇。 尾根道には真新しいベンチが出来上がっていた。 途中、玉岡氏に出会い、感謝の念を抱きながら山彦グループの補給路である赤い梯子に下山。

新客1名、女性2名、合計13名、持経ノ宿まで丸一日、人に会わず。 

瀧祭りの用具に蟇目鏑矢を急遽作成。

2010年07月22日 | 日記
週末に行く奥駈けから帰るとすぐ、瀧祭りのお手伝いが控えている。 その瀧祭りで一度、試みに、山中に向けて蟇目鏑を遠くまで飛ばしてみたい。 そのために回収不可能となってもよい安価な蟇目鏑が必要。 また、短時間で作れる材料は紙製が一番、目的に合致している。 (桐製は一個が¥100.-程度掛かる。) 

瀧祭りでは一射だけの試みであるが、5個作ることにした。 本体の蟇目鏑は画用紙。(10枚 98.-) 箆は作成中の竹矢を使用。 羽は色紙。 筈は箆の末を加工し、竹筈にする。 後は若干のセロテープ・木工ボンド・竹串・木片少量とカシュー塗料。 画用紙1枚で本体一個が出来上がり、作業時間1日半。

奥駈けは前鬼から行仙岳までの水場の無い尾根道が今週の行程。 45リッターのリックを新調して3リッターの水を持ち、河童の皿に補給しながら真夏の遊び場に挑戦。

梅雨明けで竹弓や竹矢は一安心。

2010年07月21日 | 日記
梅雨空が一気に明け、夏本番。 カビの発生と虫食いを心配していたが、完全に防ぐことが出来た。 加工過程の竹弓と竹矢を安心して陽のあたる場所に出す。

塩ビ管の中に竹を入れ、シロアリ駆除剤を投入した事で「チビタケナガシンクイムシ」の
食害を防いだ。 同時に湿気も防ぐことが出来て、カビの発生は無い。

写真の手前の竹は旧家の解体現場から貰った古竹です。 100年以上経った農村の庄屋屋敷の屋根裏に使われていた竹です。 弓の内竹に使えないか、ネットで検索中。

矢竹の作製過程で石荒い、竹荒い、トクサ磨きを手持ちのオービタルサンダーを使ってみると作業が捗った。 週末、河童の遊び場から帰ってから、本格的に紙やすりの番手を変えながらサンダー作業を行う予定。 輸入する竹製の破魔矢はグランダーで磨きをかけている模様なので、素人は手抜きに電動工具を使いながら完成を目指す。

河童とみかん大福

2010年07月18日 | 日記
斎藤清氏の作品鑑賞を目的に花園ラクビー場に近接する市民美術センターへ。 東花園駅ラクビー場前の和菓子屋さんで、みかん大福を購入しました。 以前、愛媛県今治市のタオル美術館で版画タオルを鑑賞した帰り道、定休日のため買えなかったみかん大福を今回は購入、食す事が出来ました。 小さなみかんが一つ、丸ごと大福の中に入っていました。

近代版画展ではメイーンの作品の他に、数点の棟方志功氏の版画の中に「愛染河伯の柵」が出展されていた。 はじめは、どこに河童が描かれているか、目を凝らして確認しなければ成らない小作品ですが、久々に河童仲間に出会った気になりました。

さらに足を伸ばし、司馬遼太郎記念館で膨大な蔵書の中にある河童関係の資料を探すが確認できずに帰路につく。

奥駈けから帰って矢竹を削り、中火の作業を終え、竹が箆になりました。

2010年07月14日 | 日記
 
100本の矢竹の荒矯めは余りにも時間が掛かりすぎた。 2度目の荒矯めは夏の遊び場(大峰・奥駈け)から帰ってきて再開した。 これからの作業は判らない箇所を調べながら行っていくので矯めの数を少なくすることにした。 取りあえず、節揃いが整っている中から3組を選りだし、次の工程に進む。

2度目の荒矯めし: 初の矯め状況は手元から射付節までを強く矯めすぎ、遠いい羽中節付近は逆に弱い傾向が出ている。 細い部位はすぐに火が入るために、熱する時間の加減が難しく弱く成った。

削り : 手元に2本の切り出しを持っていたので比べて験してみると、刃が鋭角の小刀
が使いよい。 竹の表面のケイサン層を削り、導管はなるべく削らずに残した。
ただ、節の付近は瘤のように微妙に盛り上がっており、荒砥石も使って真円
に削る。

中火 : 削りを行った矢竹は微妙な力加減が必要と考え、新たな矯め木を作る。 溝を反対にして鋭角に作った矯め木は指先での微調整が荒矯め時よりも可能となった。

次の作業は石洗いや仕上げ磨きとなるが、砂の粒子の大きさやトクサの使い方をネットで検索中。

考古学付属博物館に展示している木弓を見てきました。

2010年07月09日 | 日記
常設展示物の中に古墳から発掘した数本の木弓が展示されています。 木弓の木の種類は表示されていませんが中には真弓の木も有りそうです。

展示物の木弓は見た目で150cmぐらいです。 意外と長さが短く感じました。 古代の日本人の身長が160cm程度とすると、長弓とはいえません。
ただ、真弓の木で弓を作るとして節のない(枝分かれがしていない)部分で200cm以上の幹を確保するのは非常に難しいと思われます。 河童は奥駈け中や里山探索時に真弓の木を捜していますが、200cmより高い木を未だ、捜し出していません。 弓の途中に節が有ると破損率が高いので、発掘された弓の長さが実用的か?

今では、手製の竹弓と木弓の2張を作り、一手分の削りをしている竹矢で的前に立ち、早く的中率を比べて見たいと各工程の作業方法を調べています。 その時は、麻弦も手作りの計画。

博物館の隣にある弓道場で大会が開催されていました。 一度に9名が行射できる広い道場です。 見学中に4射皆中の方が数名いましたが、その中にアメリカ人の青年が居ました。