大峰の河童

法螺貝を習得中 

河童が宇和島城で「上棟式祭礼具の飾り矢」を見つける

2016年10月06日 | 日記
  

高知城に続き宇和島城を訪ねた。重文の天守に入ると、すぐに上棟式に使った「飾り矢」が目に付く。受付の方に尋ねたが何時・何処で使い、なぜ保存されているか?事情は不明。
現品(写真)は余り古いものではないので以前、天守を解体修理した時の物ではなく、別の建屋で使用した物を単に天守閣に運び込み保管しているだけか?

次に訪れた大洲城では再建された天守閣の上棟式(平成15年)で棟木を飾った「矢」が保存されていた。

昔より土地の形状を変更する時には土地神さんに一時借用の断りをしなければ成らない。建屋建築に際して工事中の安全祈願よりも土地の形状変更に伴う災害防止に努める方が大事であったか?

そこで、古来より降魔退散に用いる器(祭礼器具)では神弓秘箭に優る物はないと言われている弓矢を用いた。伊勢神宮や春日大社でも同様に大工方が「天と地の魔を払う飾り矢」を棟上げ式に飾り、祭礼をしている。又、寺院行事の一つ、野外の柴燈護摩でも山伏は七里四方の結界を弓矢でもって行っています。

弓矢の神秘性は古事記・日本書紀の昔から引き継がれている物で、伊勢神宮徴古館や春日大社宝物殿に奉納されていた弓矢は装飾性が高く(漆塗り加工・螺鈿装飾等)、如何にも神前に御供するに相応しい物です。

以前、見学に行った吉野川上村東川(うのかわ)の烏(からす)川(がわ)神社の弓祝式でも「桑(そう)弓(こ)蓬(ほう)矢(し)」で天地四方を清め「千破美(ちわみ)踊り」で鬼を油断させ短刀で退治するものでした。

宇和島地方では今でも上棟式祭礼具の一つに「降魔退散の飾り矢」を用いる。いまでは全国的に少なくなった民俗的行事の一つです。

仙台伊達家との関係は大坂冬の陣の結果で領主となり、天守閣前の広場で披露されていた伝統芸能の「宇和島さんさ」も仙台と関係が深いようです。静かな音色の三味線・尺八に合わせた踊り手の手つきに大変興味を惹かれた。

秀吉にかわいがられた伊達秀宗と毛利(森)勝永は夏の陣でも陣営が遠く離れており出会いはなかった?

河童が「酷道与作」で肝を冷やし、戦闘機「紫電改」に遭遇

2016年10月05日 | 日記


土佐の酷道439号線で肝を冷やし、愛媛・愛南町の「紫電改展示館」を訪れる。一昨年も農水産物の「新鮮とれたて市」に訪れた際に、立ち寄っているが写真を撮り損ねた記念館である。

戦争末期に宇和島湾(久良湾)の海底に沈んでいた機体を34年後に引き上げ、展示している日本で唯一の物だそうです。松山海軍基地から飛び立っち空中戦を繰り広げたそうです。ゼロ戦の後続機の「紫電」を改良した機体が「紫電改」と呼ばれたものです。

戦後生まれの河童にとっては戦時の遺構体験の一つに高射砲陣地での遊びがあります。高射砲の台座跡や地下2階建て構造の兵舎跡は赤れんがやコンクリ-トで頑丈に建てられていて、子供にとって珍しい遊び場でした。周囲は木造建築物が大半で、学校も木造です。もちろん自宅は木造の長屋でした。

兵舎跡は4ケ所あり、独立していた様ですが奥の通路部分で各建屋が繋がっていた。完全な地下構造で上屋部分には2m以上の土が載せられていた。子供たちは暗闇に目が成れてくると地下2階や複数の部屋を繋ぐ中央通路(長さ50m)などを探検(肝試し)して遊んでいました。

大峰山中にB-29が墜落した時の機体エンジンが洞川の資料館に展示されている。又、以前に道端(豊中)にも小型飛行機のエンジンシリンダ-部分が錆びたまま放置されていたのを見た記憶がある。バイクのエンジンに似た十数個のシリンダ-は単なる鉄の塊だった。