平成26年、ご当地キャラクタ-の「なかっぱ」使用に対する規則が定められた。各地で活躍している河童達のキャラクタ-も取扱規則によって同様に宣伝活動や振興行為に規制がかけられている。 現在は何かとルール重視の生活を強いられ、自由奔放な河童活動の場がなくなったが、制限された行為には注意する。
そこで、現在の「なかっぱ」から少し離れた、他所で活躍した古代のキャラクタ-探しに旅立つ。
古代、福知山・尺岳(けやき谷や竜胆のお花畑)から流れて遠賀川に至る川沿いには河童族が活躍していた。その姿を「埴輪」で表現されていないか? 近場の古墳では見つからないので1,500年の時を経て、日本最大の「ハニワ工場」の遺跡が大河の淀川沿いによみがえった。高層マンション群に囲まれた「数棟の工房跡」や「十数基の窯跡」は公園化されていたが、河童らしき姿・形の埴輪は見っから無い。登り窯風の窯跡が一か所覆いで囲まれて現況に近い状態で保存されていた。
近くの古代資料館や古墳にも再現された大量の埴輪が有る。「なかっぱ」形状の埴輪は探すが無い。 しかし、展示物の中に写真ではあるが木棺の中に2m近くの長弓が六張り見つかったことが記録され、写っされていた。
高速道路の建設時に古墳は無くなつたが、写真に写る弓の材質は檀弓?欅弓? 漆を全体に塗った木弓で少し反りが有る。 昔の発掘技術は未熟だったと言われ、木製の遺物保存状態が心配だ。