大峰の河童

法螺貝を習得中 

河童の創作民話 「モチ川の河童」

2014年04月28日 | 日記
 昔、奈良の都造りが始まると生駒山の麓では須恵器の食器作りが始まりました。
都で働く人達が食べ物や水を飲む、お皿やお椀が沢山必要です。山の斜面に穴を掘り、粘土で作ったお皿やお椀を周辺の雑木や薪を燃やして焼きます。煙突からは黒い煙がもうもうと出てきます、たくさんの燃えカスは川に流します。

 昔のモチ川は大変綺麗な川で、初夏にホタルが乱舞する山奥の小川です。ヤマメや鮎が沢山住んでいました。ある、暑い夏の日です。食器を作る人たちは仕事で汚れた身体をモチ川に入って洗っていました。
すると、岩陰から大きな声で「川を汚すな」「鮎を返せ」「ホタルが住む川に戻せ」の大合唱がします。
大きな声に驚いた人たちは作業小屋に急いで逃げ帰りました。

 次の日、いつもの通り食器を焼いた残りカスを川に捨てました。
そして、汚れた体を洗っていた時です、今日も岩陰から大きな声がします。「川を汚すな」「鮎を返せ」「ホタルが住む川に戻せ」の大合唱です。
しかし、須恵器の食器を焼く仕事を止めるわけにはいきません。都の人達の食器が沢山・沢山、必要です。
ところが数年後、都が京都に移ってしまうと、須恵器を作る人たちも京都に移って行きました。

 今、大雨でオオフジ池の堤が決壊してモチ川周辺の様子は随分、変わっていますが上流には「ナカクラの湧水」があります。
中流には須恵器を焼いていた「金毘羅の釜跡」や「長命寺の釜跡」があり、大きな声を出して「綺麗な川に戻せ」と言っていた河童たちは長命寺の本堂裏の水天宮に祀られています。
下流の川底には磨崖仏もあります。しかし、今も川は汚れたままです。夏のホタルや鮎は戻ってきていません。

河童の木弓製作

2014年04月21日 | 日記


「木弓の材料」
材料の山桜は年初めに「鬼打ち式」を見学した時に行事で残った材料を役員さんから一本、貰い受けました。長さ2m16cm、根元の径が36mm、枝先の直径が24mmで少し、曲っています。

「鬼打ち式」の行事。
此処の集落では男衆が総掛かりで「鬼打ち式」の行事に使う弓や矢、的を当日作ります。 弓は山から切り出した数本の山桜が準備されていました。その中から適当な弾力を見極め、10分程度で2本の弓を作ってしまった。手慣れた作業です。
弓弭は弦輪を作って懸ける和弓の方法でない。木の両端に軽く溝を彫り、弦を巻き付けて解けないように結んだ簡単なものです。弦は麻ひもを細く縄撚りを施したもの。矢はすす竹で羽は厚紙、わざと筈を加工せずに弦から外れやすくしています。
弓の中央を握り、矢は素手で半分も引き分けずに7~8m先の鬼と書かれた大的に役員や見学者が交互に射る行事でした。

「手作り」の木弓
貰い受けた山桜から春日大社保存の国宝級槻弓の作成が目標! しかし、材料が曲り・短いので今回は簡単に加工して、遊戯用とする。
根元の太い方だけを鉈と小刀で削り、弓弭だけは丁寧に加工した。並寸の弦を張って肩入れを試みる。引き分けは軽く感じられるが矢尺いっぱい、会では大変強く感じられる。弓力は16キロくらいある? 矢擦籐の替りに葛の蔓を半分に裂いて代用品としたが矢擦り部分が少し分厚いので的前に抜ける様な気がする。握り皮は普通の皮をする。