大峰の河童

法螺貝を習得中 

古道「庄兵ヱ道」

2010年02月27日 | 日記
古道「庄兵衛道」は消滅しかかっている古道を現在に復活させる為、丹念に現地探索を試み、整備した記録です。

回峯修行の道筋と重なる所があり、簡単に山伏も歩く「庄兵衛道」を紹介します。

出発地:近鉄ケーブル線、梅屋敷駅の下から岩屋の滝へ行く細い道が基点。石標が在る。
路地のような細い道を南方向へ行くと道幅が広がり、自動車が通行できるアスファルト道になる。更に真っ直ぐ、東側の遠方良し。
直進すると、東側に犬を沢山飼っている家に突き当たる。しかし、強引に直進。
これより、雑木林の古道に足を踏み入れる。かすかに踏み跡をたどるとガレ沢に出会う。
更に南進して棚田跡?住宅開発跡?を通り、二つ目の小さなガレ沢を東に50m急坂を下る。教弘寺の境内北側に辿り着く。
 
(ここまでで三分の一の行程です。教弘寺・鶴林寺・西畑墓地・石原川の渡河地点・藤尾の古池の
 上部に在る石標迄の中間部分と後半は後日紹介します。) 

矢羽根・鏃と筈等の準備

2010年02月24日 | 日記
弓具店に行き、鏃や筈等の小物を購入し、矢羽根を注文してきました。
(小物部品の準備を整え、本格的に成って来た。)

鏃は箆の直径に合わせてサイズが違い、筈も内径で数種類有ります。試験的に各サイズを少量づつ購入。
銘木で作られたギリ粉入れは値段が張る。手持ちの縞黒檀・枇杷・櫨・桜等で一度、作る決意。
胴衣の袴を見て、指導者の下で手縫いも可能か?。(河童が裁縫をしている絵は想像しがたい!。)

今まで、気にし無かったが帰りの電車から弓具を持ちホームに立つ年配の方を見かける。 




郷土史を学ぶ

2010年02月21日 | 日記
河童の郷土話では有りません。
里に住む方たちと、歴史や文化を調査・研究している月例の勉強会です。 

第一講演:柳田國男氏が生まれた里の出身者が、戦中・戦後の農村共同体の生活経験談。
第二講演:近代村落に於けるコミニケーション。 明治の村是調査誌発刊や愛郷新聞の発行実態。

聴講後:
当地は領主(旗本)が違っていた近隣の村が合併し、町・市に発展して行った。 その過程で、多数の人々が外部から新興住宅地に居を構えた。 郷土史の捉え方には新旧住民の中でお互いに整理が!。
民話の河童物語は土地(地形)に係る話が多いいが、土地に縛られない山伏の行動も調査勉強要。

河童の竹取物語

2010年02月20日 | 日記
矢竹を50本採って来ました。 箆作成用です。

1年ものや古竹は沢山あります。なかなか2年、3年ものが有りませ。
2時間かけて、太さや節数を計りながら選別しながら切り出しました。 
(竹の切り出しは鋸より挟みの方が易い。 来年の採取に備え、無駄な古竹を伐採整理。)

初めて矯めすには、古竹は硬すぎる様です。 これで、100本の竹を準備しました。
一組の箆を作ることが目標。 早速、日干し開始。

法螺貝の練習がてら、山道を歩いていると時々、羽根が落ちているので集めています。
矢羽が出来ないかな?。 鳶の羽根が混ざっている嫌疑もあります。 

河童の弓具

2010年02月17日 | 日記
今日、注文していた弽が届きました。

何故、水掻きのある河童が弽(ゆがけ)を購入したか?。カケは一生ものと教わり、購入を決意。

山添村・弽工房の方が指のサイズを採寸。他の人より親指が大きいようです。勿論、その時は水掻きを隠していました。
今後の予定は、箙・弦巻や麻弦の作成を考え始めています。

法螺貝を吹きながら生駒山を歩き回り松脂(ギリ粉)を探したが、大きな松ぼっくりの大王松は見っけました。

河童が茶粥を食す

2010年02月15日 | 日記
河童が茶粥を食べた場所は鬼取町。(店名=鬼の茶屋)

役の行者が鬼(前鬼・後鬼)を捕まえたといわれている生駒市の町名です。

奈良や和歌山では昔から茶粥が食され、山伏も修行中は良く粥を食べます。
干した大根の付け出しや漬物(数種類)が大変美味しく漬かっていました。 

生駒山の東山麓にあり、奈良盆地・京都木津方面が一望できる高台です。大峰、山上が遠望できました。
庄兵衛道(宝山寺と千光寺を結ぶ古道)の脇にあり、暗がり峠道からは少しだけ、北に外れています。

法螺貝の練習日

2010年02月15日 | 日記
今年、初めての法螺貝教室。 

今日の出席生徒は5名。日頃の練習成果を相互に確認。 先生(院主)は本日不在。
吹螺師の方から指導を受けて午前・午後各2時間、練習します。
未だ、揺りが巧く出来ません。 甲音、乙音の部分は良く谷間に木霊す様に成りました。

いつものことです。沢山のハイカーが練習風景を覗き込むようにして通り過ぎていきます。

やじり

2010年02月13日 | 日記
岐阜県の峰一合遺跡付近で拾った下呂石(流紋石)があります。小さく剥がされた破片で古代は石の鏃等を作った石です。 いつか石鏃作りに挑戦。

天照大御神が高天原にて男装し、背には千本、腰には五百本の矢を携えて須佐之男命を迎えたという。 胡祿(やなぐい)を含め何十キロの重量装備に成るか計算中?。

夫婦河童は福の神

2010年02月12日 | 日記
[ある邑の民話]

昔々ある村に 働き者の ごろべえ が おったと
日の出る前から 夜の遅くまで 毎日毎日 せっせ せっせ
ある日 川で馬を洗って ぼんやり一服 「おら どうして子が出来ねえかな。」
村人は たねなしごろべえとバカにする
ふと 向こう岸を見ると 二匹の河童 ちょこんと坐っておったと その姿をしばらーく見ていて
「わかった! おらかかあのいたこと 忘れていた。」
その夜から せっせこ せっせこ 十月十日が たったと。
仲良く せにゃー子はできん
働くばかりじゃー子はできん
夫婦河童は福の神だったとさ。

ラジオウォーク

2010年02月11日 | 日記
毎日放送が企画する、ラジオウォークに参加して来ました。

建築中に2度、見学した平城旧跡の大極殿は仮屋根が取り外されています。
前回歩いた時と逆周りのコースでした。

鳴石

2010年02月10日 | 日記
鳴川村の方から鳴石を貰いました。拳大の、形の良い鳴石です。 振ると(コトコト)と鳴ります。
地中で鉄分が凝固したもの。磁石は引き付け無い。その昔、破損した鳴石を行基皿と称していた。

機会があれば一度、正倉院の宝物「禹餘粮」と見比べたい。

真弓(木弓)

2010年02月10日 | 日記
福井県小浜市の若狭歴史民俗資料館に展示する縄文時代の木弓を見てきました。

木の種類はニシキギ属と標示されていたので、真弓の木を削り弓作製を計画中。
真弓の木を探しに、野山を駆け巡る。
魏志倭人伝に記載されている木弓(真弓)は如何にして加工されたか? 鉄製の刃物が無い時代に
石器ナイフで木弓を作製。合戦用に大量に何本作った?

河童の竹弓矢造り 「計画準備」

2010年02月10日 | 日記
竹弓の作製を準備中。

少年時の遊びを思い出しています。近所の子供たち数十名が自作の弓と矢を作製し、源平合戦に興じた思い出。小さい時は肥後守(小刀)一本を持ち小学校の裏山で色んな遊びに明け暮れていました。

[只今、準備中の主な材料]
真竹を切り出して、目通りの部分で九つの節を軒下に並べています。 (弓の外竹は七節)

側木は櫨の木を銘木店で板材を購入。

ニベは絵画用の膠を使用予定。

矢竹は数十本を乾燥中。 昨年、矯め作業を試みる。

河童の手作り弓具、「蟇目鏑矢」

2010年02月10日 | 日記
蟇目鏑矢の作成
京都の上賀茂神社で「武射神事」を見学しました。 その際に遠目で蟇目鏑矢を初めて見て構造に興味が湧き、自作して見ました。
まずは、蟇目鏑の単体を紙で十数個作成。 サイズや蟇目の形状を変えて作成し、鳴るか試しました。 弓で飛ばす事が出来ないので、車の窓から外に出し、車のスピードを変えてチャレンジ。

只今、良く鳴る形状を桐材で大小十数個成形。 微妙な目の形状で鳴り方が違い、試作品を弓道競技者にお譲りする。

山伏が歩いた庄兵衛道

2010年02月10日 | 日記
山中の古道「庄兵衛道」を探索しました。

山には沢山のハイキング道がありますが宝山寺と鳴川千光寺までの「庄兵衛道」の存在を知る方は希だと思います。
幻の古道の復活を計る行程記事を参考にして、単独探索に挑戦しました。全行程中に宝山寺や千光寺への道を指し示す石の道標を10個見つけました。

「庄兵衛道」は江戸時代の初期に整備され、山伏も歩いた道。最近は山伏が歩か無くなり、消えかかっている古道です。