大峰の河童

法螺貝を習得中 

竹矢の矢羽根を探していると石宝殿、満珠・干珠、神変像に遭遇

2024年02月12日 | 日記






鷲や鷹の羽を拾い集めて竹矢を造る目的で山歩きをしている。 羽根は毎年抜け変える(換羽)と聞く、その時期に深山幽谷に分け入って拾い集める事が出来れば楽しい。
しかし、現実的には熊野道、大峰山に係わりが深い八咫烏の羽根しか落ちていないのではないかと思考しながら里山道を歩いていると、突然大きな石組みの古墳に出会った。

墳丘の土は無くなり、平らに加工した一枚岩に、更に大きな石を刳り抜いて石槨としたものを被せて玄室とした稀な形状を見ることが出来た。石宝殿古墳と称する、後期の古墳だ。 標高100m程度の尾根近くに、このような加工した巨石をうつ伏せにした築造技術に驚く。

次は少し下った所の打上神社。鳥居の扁額には高良神社と書かれている。何故、名称に違いがあるのか! 場所柄、饒速日命を祖とした私市物部氏又は武内宿禰? 或いは高良玉垂命?に深く関係者が守護した御社か?

参道脇から西方を見ると、古は河内湖と称されていた街並みの先に高層ビル群が見えた。あたかも、武内宿禰が従い、帰国時に住吉大神の化身である竜神から授けられた満珠・干珠を祀った小島を彷彿させた。 古代人が海外と交易し、文化を取り入れる際に玄界灘と瀬戸内海の海上交通に重要な役目を担った海峡。 そこを見渡す175mの小山には古くは城が築かれ、戦前は海峡の守りに高射砲陣地が築かれている。そこから周囲が見渡たすと風光明媚な景色を堪能できます。東方の周防灘に浮かぶ無人島の満珠島・干珠島は人が訪れる事のない無人島です。源平合戦の時、源氏が舟係りした小島です。
眼下の風景は大都会ですが、古社の祭神に思いを巡らすと、高良玉垂命の高良山麓を流れる筑後川で遊んだ河童仲間を思い出す。

展望台の脇には役行者堂が祀られいる。 修復記念の石碑は比較的綺麗で近年、整備された模様。護摩焚きの広場は近くには無いが月護摩祈祷などが行われているのかな?