大峰の河童

法螺貝を習得中 

河童の創作民話 「鬼坂の河童」

2014年05月14日 | 日記
昔々の話です。上村には神様が放った天羽羽矢が飛んでいた、矢田の矢落神社に落ちた3本の矢は村の上空を横切った。弓の弭に留まる鵄が住む。このような大昔の伝説が上村にたくさん伝わっています。昔から村の真ん中には上津鳥見路に沿って流れる富雄川にはたくさんの鳥たちが住んで居て、狩場に成っていました。地位の高い役人が上村の狩場に来て白鳥などを弓矢で射て、狩をして腕前を競っていました。

ある日、弓矢の腕前が下手な役人がたくさんの家来を連れてやってきました。さあ大変です、空を飛ぶ鳥を狙った矢が間違えて何時、岸辺に飛んでくるか心配です。付近の川で遊んでいた河童たちは急いで富雄川に流れる寺谷川を上り「鬼ヶ坂」に隠れます。

その日、役人が帰って行った後に沢山の弓や矢が残されていました。白鳥や鴨などの獲物が取れなくて、弓矢を捨てていった様です。普段、河童たちは弓矢で遊ぶことはしません。しかし、今日は川で楽しく遊んでいた途中を邪魔されました。落ちでいる弓矢で「鬼ヶ坂」から遠くに見える鬼取の村に向かって弓矢を射て遊んでみました。

矢が飛んで落ちる途中にはたくさんの村人が働いています。大変危ないので矢田の行者山で修行していた山伏が河童たちの弓矢を取り上げ、塚に埋めてしまいました。それからは上村の空には矢が飛び駆る事が無い平和な村に成ったそうです。弓矢を埋めた「鬼ヶ坂」を弓塚と言い、山伏は西村の行者と言われているそうです。田畑では石の鏃が見つかっています。

河童の創作民話「行基さんの相撲禁止」

2014年05月12日 | 日記
昔々の話です。清流の生駒川の南はずれに「まぐわ淵」と呼ばれる奇岩景勝の地があります。早瀬は曲りくねり川のあちこちに深い淵があり、鮎が沢山泳いでいました。

ここに住む河童たちは奈良の大仏を造るために遠く九州の八幡さんの指示で働きに来た河童達です。
大きな大仏の造営現場では沢山の人々が働いています。行基さんに従って沢山の大人たちは何日も何日も大仏さんの造営に働いています。昼間は里の大人たちが働き、夜は河童の大人たちが働き大仏さまを作っています。

子供たちは毎日、川岸の大きな岩場の上で相撲を取って遊んでいます。取り組みが進んで熱戦になり河童たちが両足を踏ん張ると、土俵の岩が崩れて川に落ちました。次の日も、次の日も相撲を取っていると足元の岩が崩れて川に落ちました。

ある夏の日、大雨が降ってきました。何日も降り続く大雨は「まぐわ淵」に流れ込みます。しかし、河童たちが川に落とした大きな岩に流れが塞がれ下流に水が流れません。川の水があふれて付近の村の家や田畑が水に浸かり、鮎たちも死んでしまい大変な事に成りました。行基さん達は大仏殿完成後も各地の池や河川の土木工事に手を取られ生駒川を綺麗に直すことが出来ません。それで行基さんは河童たちに「まぐわ淵」で相撲を取ることを禁止されました。

その後、何年も何年もたった後の事です。竜田の殿様にお願いして村の人々が総出で「まぐわ淵」の大きな岩を取りのぞき、改修工事が行われました。水の流れは良くなり田畑が水に浸かることも少なくなくなりましたが鮎は今でも生駒川に登ってくることはありません。鮎のいない川には今では河童も住んで居ません。

河童の創作民話「河童の相撲大会」

2014年05月10日 | 日記
生駒山の東麓には淀川に流れる天の川と大和川に流れる生駒川があります。 
昔の事です、天の川と生駒川のどちらの川が沢山の水を称えて、たくさんの田畑を潤しているか相撲を取り、勝負する事に成り成りました。
相撲の土俵は二つの川の上流にある「お松の宮」に作り、神主に行司をお願いしました。 

 今年は雨が少なく、北の村も南の村も水田に引く水が少なく、お百姓さん達は困っていました。そこで、川の強さを決める相撲大会を聞きつけたお百姓さん達は自分達の村を流れる川の代表者に勝ってもらいたいと思いました。川の水量が増えるとお米が沢山作れます。
そこで、相撲大会に出場する河童たちの力付けに、お餅をたくさん作り川岸にお供えをした。相撲の勝負の日まで、何日も何日も、お餅を作っては川岸に持ち寄り、お供えをしました。河童たちはお餅をたくさん食べて、村の会所にある力石を持ち上げ、稽古に励みました。

いよいよ、相撲の試合の当日が来ましたが今日も朝から大変、暑い日です。神社の境内では応援の村人や見物の人で賑わっています。しかし、勝負の時間が来ても相撲を取る河童力士が現れません。試合会場の付近は天の川と生駒川の分水嶺です。旱で川に流れ込む水が無く河童たちは試合会場にたどり着くことが出来ません。河童たちの頭の皿には水飢饉で水がなく、歩くことが出来ません。

この話を聞きつけた、旅の山伏が二つの川の真ん中の高い広場で雨乞いの祈祷を行うと、石清水が涌いてきて小さな滝が出来ました。又、旅の僧が修行中に持ち歩いていた杖を突き刺すと池に水が涌いてきました。 しかし、何時までたっても此処の山里は雨が少なく、ふたつの川は繋がりません。相撲大会も開かれず、今でも天の川は北に流れ、生駒川は南に流れています。水が少ない、小さな川が分水嶺となり国境が出来ています。