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新年度の各地の教室の御案内動画を撮影しました。
こんなことが自分の会社で自由自在に…科学技術の進歩と社員のワザの進歩ですね。
使っているのは大げさなビデオ機材ではなくて、普通のNIKONの一眼レフです。
西村先生は緊張していたようで、「もう一回お願いします」…「あともう一回いいですか」と何回も繰り返して、そして撮影完了。お見事でしたよ。きっと名作。
次に八幡桜宮教室の廣瀬先生。黒板も使っての説明でした。こちらはすんなりと完了。
その次に野洲教室・佐伯先生。「テキストを持ったらどうかな」と提案したのは私でありまして、これが非常にヨロシイと思いましたが、どうだろうか。
以上、PR動画3編の撮影が完了したのです。いずれおうみ進学プラザのホームページで公開されます。
写真は撮影風景。
そして個別指導WithUのようす。
ものすごい量の仕事に取り組む事務センター。
卒業記念のスポーツタオルを御紹介。デザインは美術担当の久末先生です。そして、モデルは…受け取ってからのお楽しみ。知っている先生かも。
後段は「うどん県でうどん探求の旅」です。
金毘羅山の長い長い石段を尽誠学園の野球部員が走っていた。これは強くなりますね。
私、5食連続でうどんを食べました。ビジネスホテルの朝食にもうどんがあったのです。
タクシーの運転手さんに聞くと、「昼食は、うどんを食べる」とのこと。
さすが「うどん県」です。
「連絡船うどん」の解説。
岡山県の宇野港と香川県の高松港を結んでいたのは国鉄の宇高連絡船。北に青函連絡船(青森駅から函館駅へ)があり、名曲「津軽海峡冬景色」で歌われた。西には宇高連絡船があって、しかし名曲は作られなかったなあ。瀬戸内海を渡るのどかな船旅。
「北へ帰る人の群れ」じゃなくて、岡山県から南の四国へ渡る人。「誰も無口で」じゃなくて、西日本人は一般的におしゃべり。「海鳴りだけを聞いていた」と…瀬戸内海は穏やかで、鳴りそうもないか。
宇高連絡船、よく乗りました。乗ると必ずデッキに上がって、売店のうどんを食べます。瀬戸内海を眺めながら食べるうどんは美味しかった。
瀬戸大橋ができて、宇高連絡船は廃止。「あの連絡船のうどんが懐かしい」という声を受けて、高松駅の構内に「連絡船うどん」が復活。駅の外からでも食べに行ける構造です。
1,値上がりしていた。そりゃそうか。30年も経ってますから。
2,こんなに立派なうどん、豪勢な具だったかなあ。日本のうどんの質が上がったのですね。具も進化している。
3,そして、やっぱり美味しかった。しかし、連絡船で瀬戸内海を眺めながら食べたうどんは、もっと質素ながら、もっと美味しかったような…記憶の美化でしょうか。
香川県高松市のうどんは、美味しくて安い。普通に食べたら300円前後でした。
また行きたいです。