人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

2014年度中古文学会春季大会感想(2日目)

2014-06-10 11:36:22 | 学会レポ
昨日の続きで、中古文学会の感想。
今日は二日目の感想を書きます。

この日も天気は相変わらず。
カバンの持ち手がボロボロになってしまうというトラブル発生。
雑貨屋さんで買った安価なものでしたが、一泊から二泊くらいの旅行にはちょうどいい大きさのカバンで、まだ本体は無事だったのでショックです。

二日目は、午前2本、午後4本の計6本の研究発表。
発表2本ごとに休憩が入ります。
これまでは発表2本が終わってから質疑応答をするかたちでしたが、今回から発表1本ごとに質疑応答する方法に。

1本目は
長谷川範彰「「我が恋は」ではじまる和歌について」
「我が恋は」からはじまる和歌をとりあげ、そのなかでとくに藤原俊忠「我が恋はあまの苅藻に乱れつつかわく時なき浪の下草」の評価の変遷に着目し、日常詠から題詠へ、という11世紀から12世紀への和歌の変化のなかに位置づけます。
「我が恋は」ではじまる歌が、「○○とかけて○○ととく、その心は」という謎かけの形式であるという先行研究を踏まえ、(A)景物、(B)直接的な説明として、(『古今』から『詞花集』まで)AB型、BA型、BB型、(『千載集』『新古今』)AA型、AB型、BA型、AA型、B+A型(一体化したもの)に分類します。
AA型に分類されたものは(A+B)(B+A)型ではないかと質疑応答でも出てたんですが、分類の仕方にちょっと??という点はあったものの、分かりやすい発表でした。
ちょっと疑問に思ったのは、「俊忠朝臣家歌合」の判詞にある「波の下草」と「海人の苅藻」が「おなじもの」ではないか→歌の「病」ではないか、という部分の「おなじもの」と、
『古来風躰抄』「同じ心二所詠むことは、宗と避るべき」云々の、「同じ心」が、同じものを指すのか、ということ。
それから感想で、直接的な説明のない和歌が出てきた、というのは、(和歌表現に厚みが出てきてそれをみんな知ってることが前提となるので)説明的な表現を嫌う、ということかもなあ…と。
これ、私が小説の書き方本なんかの「説明するな描写しろ」と似てるなあ、と思って気になっている、『無名抄』の、俊成の「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」に対する、
「彼の歌は、「身にしみて」と云ふ腰の句のいみじう無念に覚ゆるなり。これ程になりぬる歌は、景気をいひ流して、たゞ空に身にしみけんかしと思はせたるこそ、心にくくも優にも侍れ。いみじういひもて行きて、歌の詮とすべきふしをさはといひ現したれば、むげにこと浅くなりぬる」
という評価にあらわれるような価値観と関係があるかもなあ、と。

2本目は、
高橋秀子「『うつほ物語』俊蔭女の回想の歌」
俊蔭女の過去を回想する歌に着目し、その意味づけを行う発表でしたが、正直ちょっとポイントがよく分からなかった。
あまりうまく発表を構造化できてない印象でした。
例えば過去の回想も琴の伝授も縦軸の時間軸の上にあると思うのですが、過去を回想するという、現在→過去の方向性と、琴の伝授という、過去→現在→未来という方向性がどう関わるのか、とか。
俊蔭と俊蔭女との父娘関係を俊蔭女と仲忠との母息子関係と対立させて、最後に犬宮が入ってきたらどうなるかとか(先行研究ありそうだけど)。
何かのとっかかりを見つけて構造化していかないと何が問題なのかよく分からない発表になってしまう。
いろんなことたくさん言っていたのですが、どこに持っていきたいのかがかえってよく分からなくなりました。
よく頑張っていて決して印象は悪くないんですが。

午後の1本目の発表は、
舟見一哉「藤原清輔の『伊勢物語』研究について―勘物の機能―」
文部科学省の方らしくて、さすが(?)発表上手でした。
教科書調査官って何する仕事なのかしら??
本文異同は示すものの校訂しない、ポイントだけ示して解釈に深入りしないなど、
藤原清輔の『伊勢物語』勘物の形式に着目して、その機能を明らかにしたもの。
歌学の集合体をつくることで、『続詞花集』を編纂するような外への効力、六条藤家が和歌の家として続いてゆくような内への効力を持った、と結論づけます。
質疑応答で明らかになったんですが、誰でも見れる「勘物」では問題点だけ、続きは「別紙注」や『奥義抄』でしか見ることができない、という二段構えにすることで、知への志向や権威づけを行った…という。
結構えげつない話のような。

午後2本目は、
吉見健夫「「若紫」の色彩表現―和歌、『伊勢物語』初段、『源氏物語』若紫巻への展開ー」
なぜ和歌の上で単なる「紫草」ではなく「若紫」の根が求められるのかを考察した発表で、「若紫」の根で染めると、成長した紫草の古根で染めるのとはまた違う色合いになるのではないか、藤の花の色合いになるのではないか→藤壺から若紫へ、ということで、趣旨としてはよく分かる発表でした。
…が、うーん、そういうこと言えるのかなぁ…(言えるのであればもうすでにそういう論が出ていそうなものだけど)??という感じ。
今回かなりインパクトの強い質問者の方がいらして、わざわざ若紫の根と紫草の古根とを採って持ってきて、滔々と…。
司会の先生もベル鳴らしてかなり強硬にとめてました…。

休憩を挟んで午後3本目。
布村浩一「『源氏物語』における『高唐賦』引用―その作中機能について―」
浮舟の雨の出てくる和歌に注目し、『高唐賦』引用から葵上と関連づけるものでしたが…
申し訳ないんですが、緊張のせいかしょっちゅう声が裏返ったせいでたいへん聞きづらくて、ほとんどまともに聞けませんでした。
質疑応答のときに○○という趣旨でよろしいでしょうか、という確認をなさっている方がいて、ちゃんと聞けててすごい、と思ってしまった…。
ピンポイントで葵上…絵にかきたるものの姫君のやう、と、浮舟…人形として登場、との関連づけをしてたのは気になったかな。

午後4本目は
高橋亨「小野通女筆バイエルン本『源氏物語』をめぐる和文古典学」
いつもの高橋先生の調子で、たいへん楽しそうでした(笑)。
画像の表示を担当された青木さんもお疲れさまです。
小野通女筆バイエルン本『源氏物語』の紹介で、こんな素敵な本があるからみなさん若い方研究してね、という感じで締めくくられました。

今回、はじめての試みで、「交流広場」というフリースペースを設けていました。
理系の学会なんかだと、ポスター発表したりするんでしょうけど、中古では研究会の紹介や、博論要旨、論文抜き刷りの展示・配布ができるとのこと。
私もまあ営業せねばなーと思って申し込んでいたのですが(博論要旨と論文抜き刷りの配布)、感想としてはもうちょっと本屋さんに近い場所のほうがよかったかな、と。
休憩室のなかとか。そのほうが人が来るので。
あと、今回博論要旨を配布してた人は私のほかにもう一人しかいなかったのですが、もうちょっとまとめてたくさんあったほうがよかったかな、と。
博論書いたけどまだ本にしてない人は他にもいっぱいいると思うので。
一人一机もいらないので、5人か10人分づつ並べる感じで。
で、本屋さんの近くで本屋さんにアピールできるほうがいいと思う(まあ、自分で持ってって挨拶しろよ、という話ではあるんですが。私、意外と小心者なの)。
まあでもアナウンスもしてくださってたのでだいぶん要旨も抜き刷りもはけたから、よかったかな。

今回は1日目、2日目とも人の入りが良く、全体的に盛況でした。

おまけ:池袋駅にて


それにしても、疲れた!
今回は新幹線利用したけど、それでも体中のあちこちが痛いです!


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