人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

9月からKUNILABOの講座が始まります!

2017-09-02 17:49:30 | 研究・発表・イベント等情報
かわゆいかわゆいわんこたちともお別れし、東京に戻ってきております。
 
つまらなそうなのすけちゃんと、おねんねしてるのすけちゃん。

「『スウィングしなけりゃ意味がない』を聴く試み」に行ってきたり(忘れないうちにレポ書かなきゃ)、研究会の合宿に参加したりしてました。

 さて、私、9月から「哲学、文学、歴史といった人文学の研究者と、市民のみなさんを結ぶ学びの場」であるKUNILABOで、『源氏物語』の講座を担当することになりました。
 第1回目は9月15日(金)19:00~20:30
 毎回第三金曜日、9月~12月までの開講です。
 申し込みは初回の前日(9月14日)までです。こちらからお申込できます。


『源氏物語』第二部に登場する重要人物である女三の宮のことばから、『源氏物語』を読みかえます。
『源氏物語』はふつう、主人公光源氏が栄華に到達するまでを描く第一部、表面上の華やかさとはうらはらに個々の登場人物がさまざまに懊悩する第二部、光源氏亡き後の世界を描く第三部に分けられるんですが、女三の宮はその第二部(から第三部)に登場する重要な人物です。源氏の兄である朱雀院の第3皇女で、晩年の源氏のもとに降嫁します。
 研究史の中では、内面がないとか人形のようとか言われることが多いんですが、そんなことはないんですよね。ちゃんと心内語や内面に即した描写、会話文や和歌はある。なのになぜ内面がないと言われてきたのか。女三の宮の内面は、不当に無視されてきたのではないのか。
 そこで大事なのが、女三の宮が恋愛や生殖に対する、嫌悪や無理解を表明していること。はっきり、私は「もののあはれ」が分からない、と言っている。これは女三の宮の「幼さ」といわれることも多い要素なんですが、だけど恋愛や生殖が分からないことを「幼い」と言ってしまう態度は、結構問題なんじゃないでしょうか(分かってます?)。誰もが異性を愛するわけでもないし、そもそも恋愛をしない人もいる、そういう多様なセクシャリティを認めない態度と言えます。
 不当に無視されてきた女三の宮のことばを丁寧に読み解くことで、「もののあはれ」や恋愛の物語ではない、「もののあはれ」や恋愛の価値を相対化する、『源氏物語』の世界が見えてきます。

 どうもまだ申し込みが少ないみたいなので、ちょっと焦ってます。別に私は少ない人数で授業するのも慣れてますけど、せっかく声をかけてくださった手前、申し込みが少ないと申し訳ないです💦

 入門じゃなくて「初~中級」になっていますが、別に難しいということではなくて、概説とか一般的な話じゃなくて私の言いたいこと言いますよ、ってこと。だから逆に、最初から『源氏物語』好き!なわけではない方に来ていただきたい。
 数日前にTwitterで、「中高生がみんな恋愛好きだと思ったら間違い。アンケートで古典が面白くない理由に、「恋愛の話ばかりだから」というのがあった」という趣旨のことをつぶやいていた方がいらしたんですが、ぜひぜひそういう方にも参加していただきたいな、と思います。

『源氏物語』はカルチャースクールなどでも王道で人気のコンテンツなので、『源氏物語』を前面に押し出して概説的な話をするほうが受けるのかもしれませんが、それだと私が楽しくないし、もともと『源氏物語』に興味がある人にしか届かない。そうじゃなくて私は、もともと『源氏物語』に興味はなかったけど、でも『源氏物語』にも恋愛嫌いな登場人物っていたの?、って思ってくれる人に言葉を届けたいし、一般の人たちが思っている『源氏物語』とはちょっと違う部分を楽しんでほしいな、と思っています。

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(おまけ)実家で一時預かり中の保護犬ちゃん、まだ里親さん決まっておりません! →2020年1月2日に急逝しました。
 
右の写真の右の子は、保護犬仲間で、こちらの子も里親募集中です。

保護主さんのブログ「おうちで暮らそう」から、申し込みができます。



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