人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

2014年度中古文学会春季大会感想(1日目)

2014-06-09 14:25:43 | 学会レポ
6月7日、8日は中古文学会に行ってきました。

立教大学新座キャンパス、遠い!
特に志木駅からが、徒歩15分と書いてあったけれど、30分は見といたほうがいい感じ。
何も重いもの持たずにさくさく歩けば15分で行けるのかもしれないけれど、荷物抱えて、雨の日だったので傘も持って、だと、よいしょよいしょとしか歩けないです。

忘れないうちに、簡単に感想書いときます。

とりあえず1日目。
1日目はミニシンポジウムが二本。
これまでもシンポジウムが開催されることはありましたが、今回のようなスタイルははじめてとのことです。
確かに、これまでは中古関係の人はシンポとかパネルとか苦手なのかな、という印象でしたが、今回はよく準備されていて面白くうかがうことができました。

1本目は「定家本・青表紙本『源氏物語』とは、そもそも何か?」。
提言:久保木秀夫・田村隆
コメンテーター:大内英範・中川照将
司会:陣野秀則
私古典が専門のくせに本のことはどうにも苦手で、よく分からないことが多いのですが、今回のミニシンポは面白く聞くことができました
…はずなんですが、いまメモを見ながらどういう話だったか思い出そうとするもののちゃんと思い出せない。
「定家本『源氏物語』」と呼びならわしているけれども定家が書写した『源氏物語』というものの本文がそもそもよく分からず辿ることができないから、そう呼びならわすのが適切なのかどうか、と言っていたのは覚えてます。

2本目は「中古文学会で、中世王朝物語を考える」。
司会:加藤昌嘉
パネラー:中島正二・宮崎裕子・西本寮子
「中世王朝物語」という用語が誕生してから四半世紀が過ぎ、研究が進んできた今だからこそ、そもそも「中世王朝物語」って何?その用語でいいの?ということから立ち返って考えてみたい、というシンポでした。
はじめに加藤さんのほうから「中世王朝物語」という用語、研究史と問題点の整理があり、
中島さんの報告では「中世王朝物語」という用語を問題にします。
王朝物語=平安時代の物語なので、中世王朝物語というと王朝風の、とか、宮廷を舞台とした、とかいう風に「王朝物語」の定義を拡張せねばならず、そうすると平安時代の宮廷を舞台としていない物語は、その意味での王朝物語に含まれなくなる、
→狭義の「王朝物語」の一部が、広義の「王朝物語」に含まれない、
→用語としておかしい、
というところから、散逸物語なども含めた新しい用語・区分を提案します。
宮崎さんの報告は、『風葉和歌集』をつかって中世王朝物語の復元するやり方に疑問を呈したもの。
主に詠者名表記に注目されていました。
西本さんの報告は、「中世王朝物語」研究の課題をコンパクトにまとめたもの。
写本の問題、それから「中世王朝物語」とはどういう質のものか、ということ。
写本・伝本の状況から作り手や享受のあり方を考えることができる(けれどもはっきりしたことは言いにくい)こと。
文学史的には『源氏物語』を頂点として見る見方がいまだに強いけれども、『源氏物語』というのは特異なもので、そういう特異な性質のものを中心として、そこから中世王朝物語も読んでしまう方法に疑問を呈します。
質疑応答で、
阿部好臣先生のほうから「そもそも中世王朝物語というものがアナクロニズムで矛盾したものなんだから矛盾した用語でいいんだ」
三田村先生のほうから「王朝物語というのはイデオロギー的なもの」
という趣旨の質問があったのですが、その辺、そういう風に読みたくないパネリストたちとの立場の違いが明らかになって面白かったです。

二本とも、用語の問題に立ち返って考える、という点で共通してますね。

続き(2日目)はまたあとで。

おまけ:甘いお酒を飲んでます。


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