人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

補遺2山尾悠子『仮面物語』

2013-03-18 21:08:34 | 書評(病の金貨)
「病いの金貨」補遺、ふたつ目は、山尾悠子の『仮面物語』。『作品集成』に、書きなおされて「ゴーレム」という作品名で載ってるけど、私は『仮面物語』のほうがいいと思うな。たしかに、「ゴーレム」のほうが落ち着いて整ってるんだけど。

破壊された卵(山尾悠子『仮面物語』1980年)

 白、黒、紅、二重館、複数の分身関係、首から下は機械人形の領主の娘、アマデウスという名のオートマータ、塔に篭もりきりの領主(その名も加賀見氏)、離魂作用のある水盤、魔術師のゲットー、魔術師の白子の弟子。防水外套の水滴、増水する街(その名も鏡市)、霧や光(炎と煙)や水の流れ、光と影、増殖する石蚤とそれによって曇る鏡、鏡の迷宮に、鏡の仮面、水上街炎上図まであって、ラストはそれらが氾濫する絢爛たる世界である。市境は閉鎖され、何重にも枠取られた世界、泉鏡花ばりの水の構図(因みに「泉」「鏡」「花(火花)」が重要な役割を果たす)。機械仕掛けなキャラクターが、機械仕掛けな物語を展開するこの世界では、既に人間とオートマータ、ゴーレムとの区別は失われている(それどころか、虎やスピンクスとさえも)。そして彼らを行動させるのは「好奇心」と「恐怖」。
 これは「魂の顔」を見る能力を持った彫刻師「善助」が分身との対決を経てその力を失い、一人の芸術家となるまでの話である。これに対して、彼の行く先々で現れる筋書きになっている「不破」は自分自身である「破壊された女」を失い、事故死体の再現群像で正当からは黙殺されるもカルト的な人気を博する芸術家となった。やがて言葉を失ってしまう童女「櫂」、人間ではないもの(スピンクス)となり、魂が行方不明となる領主の娘「聖夜」。これら(「分身」「魂」「言葉」「人間」等)とともに失われるのが、「名前」であろう。魂を失って自己の名前を忘れてしまったアマデウス、「あなたは誰」という問いばかりを繰り返す櫂。「不滅のスピンクスは、今でも鏡を見つめながら、永遠に答えの戻ってこないひとつの謎を問いかけ続けているのだろう」。
そして、物語中盤で命を失ったのが物語りの展開を予測するような詩を書いた「卵喰い詩人」である。この詩人の固茹で卵は水盤の水に離魂作用を与えたものなのだが、「孵化する前に卵の見つづける夢を、そのまま茹であげて凝固させた食物。これは夢を見させてくれる」。さらに彼は迷宮のような二重館の出口を探し回った挙句〈外〉が実在することを信じられなくなり「扉が静かな音をたてて閉じたこと」にも気づかずに、「両手の中の微光を帯びて潤った一個の美しい卵」の中に入り込むのだ「この卵喰い詩人は、その長からぬ生涯のうちでもっとも幸福な瞬間へと、さしかかろうとしていたのである。/ 熱した鍋の上で激しく蒸発していく水蒸気のような音をたてて、雨音が夢の外側で持続している」。凝固した瞬間と夢の卵。これを「不滅のスピンクス」と考え合わせてみたい。「凝固」と「不滅」、及び眼=鏡と卵の関係(「暗い一枚の鏡と化した眼に卵の姿を映し」)と鏡とスピンクスの関係(「鏡を見つめる不滅のスピンクス」)は類似し、「純白の卵」は「黄金の四肢」を持ったスピンクスに変貌する(卵喰い詩人がアマデウスの「黄金の傷口」を見ていることに注意)。また、ゴーレムの鉄仮面は「卵形」と形容されるが、「〈土の精霊〉である詩人」が卵とともに水盤に落ちて死ぬのと同じく、ゴーレムも水盤に落ちて泥の塊に戻る。「卵の夢」に対して、櫂が善助を見るまでの「夢を見るばかりの単調な生活」のことが「夢の樹液に根を浸して育っていた櫂の蛹の時代」と呼ばれている。そしてこの詩人の詩は「自動筆記めいた」「右手が勝手にペンを取って」と描写されるが、これは「影盗み」の右手が勝手に見たものの魂の顔を作り上げるのと等しい。新生の「卵」と対照的な「柩」「石室」などの語が頻出し、葬儀(で飾る死者の像)が重要な場面となる(「内側にめくれこむ」との形容にも注意)。
 さて、詩人は「至福と絶望に混乱しながら」「真の詩人への新生の歓びと、霊界の騙し討ちへの恨みとを同時に持ったまま」死ぬが、ラストでこの混沌の卵は割れ、「影盗み」善助はその能力を失ったときに「不滅のスピンクス」の作者、芸術家として称えられるが、不破は彼自身=「破壊された女」が失われた恨みを抱きながら、「破壊された人々」の作品群をつくり続けることとなる。内と外を隔てる殻(鏡を覆う石蚤・ゴーレムの鉄仮面)は消え、「好奇心」と「恐怖」、光と影、仮面と魂、炎と水、名前と身体、「新生」と死、「歓び」と「絶望」はついに別れることとなったのだ。彼女が永遠の謎を問いかけ続ける鏡は、曇りなく澄み切って。

 卵 割レル

本文引用について:山尾悠子『仮面物語〈或は鏡の王国の記〉』徳間書店、1980年(中編小説「ゴーレム」『山尾悠子作品集成』国書刊行会、2000年所収、とは別作品と見なす)

 こういう卵のイメージって、冲方丁の『マルドゥック・スクランブル』とかにもあると思うんだけど、あんまりそういうこと言ってる人知らないな。「卵小説」という切り口ってありかしら? えっ、『天使の卵』? それは違うでしょ?


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