人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

補遺3『薔薇の名前』

2013-03-20 11:36:02 | 書評(病の金貨)
 病の金貨、補遺の3つ目をアップします。3つ目は、有名な『薔薇の名前』。ちょっとネタが古くなってしまったけど、ここまであげてきた小説に馴染みのなかった読者でも、ご存知かと思います。

YSPANIAのY(ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』1980年)

 ランプは「アフリカの果て」にあったのに、炎が上がるのは、「YSPANIAのY」の部屋だ。そして、最初に燃やされるのは、アリストテレスの『詩学 第二部』ではない別の本。ホルヘはそんなに「笑い」を燃やさずに食べてしまいたかったのだろうか。
 この世界には、中心がない。「異形の建物」の中心は空洞となっており、ラストの焼け跡の場面では「内側はどこもかしこも無へ向かって落ちこんでいた」。そしてこの物語を統制するのが、失われた書物をめぐる謎なのだ。このあまりにも有名なミステリイにおける「鏡」「迷宮」「名前」「炎」の意味をくだくだと述べるのはやめておこう。ここで確認しておきたいのは、物語の中心が空洞であること、クライマックスで火の手が上がるのがその中心からではないことだ。物語の中心は空洞であるのだから、燃やすことは出来ない(そもそも「笑い」は、そういうものではない)。ではなぜ炎が上がるのが、「YSPANIAのY」の部屋の、名前も記されぬ書物からであったのか。それはいったい、どのような書物だったのか。先に結論を言おう、これは『愛の鏡』である、とともに名前も知らぬ本である。
 アドソとウィリアムが二度目に「迷宮」に潜り込んだ場面、おのおのの明かりで、おのおのの「好奇心」の赴くままに本を見る。アドソは「LEONESと名づけられた部屋から部屋を回っているとき(中略)隣の部屋に入りこんでしまった」。「Y」の部屋は「LEONES」の「S」の隣であるのだから、「隣の部屋」は「Y」の部屋である可能性がある。光学に関する書物を集めた部屋の隣、病に関するそれを集めてあった。因みに「S」の部屋は、例の鏡の部屋である。件の本は、「愛の病」に関するもの、彼は修道士として可能なその治療法を得ることは出来ない。そして「あのような満たされきっていたときに、なぜ妄執の虜になったのであろうか」と思う。この本には「愛する相手の幻影だけを糧にして生きるようになる。そうなれば精神も肉体もすべてが炎となって燃えあがり」とあり、この「愛の鏡」に写る「幻影」は「鏡の上の偶像」と等価なものである。彼は娘と再会することはないのだから病は癒されたものと思い込もうとするが、実際には救い得ない自分と、魔女として捕らえられた、やがて火刑にされる者として再会することとなるのである。また、「論証は〈言葉ニヨッテ〉推測されるのであって、〈事物ニヨッテ〉ではな」く、過去の事物は失われ、その名前だけが残るものであるのに、彼は少女と言葉が通じず、名前も知ることが出来ない。文書庫が炎に包まれる場面で、「水がない」ことが強調されるが、それは彼が彼女を救い得ないことを象徴し、最初に燃やされた本の名が記されもしないのは彼女の名前を知らないことに対応する。また、『第二部』が「書き出しを欠いた書物」であったのに対し、「エピローグ」で焼け跡を訪ねたときには〈書キ出シノ文字〉が目にとまっているが、「YSPANIAのY」は書き出しの文字である。
 名前のみが知られていて、内容は散逸してしまった書物(及び「笑い」)と、名前は知らず、身体だけがある少女(及び「愛」)が対照化され、名前のない事物(愛)のほうから出火する。過去は失われてしまい、名前だけが残る、としても、彼はその名前すら、知らないのだ。病は癒されるのではない、焼け跡は冷え切ってしまった。

 写字室の中は冷えきっていて、親指が痛む。この手記を残そうとはしているが、誰のためになるのかわからないし、何をめぐって書いているのかも、私にはもうわからない。〈過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、空シキソノ名ガ今ニ残レリ〉。

 彼は、「薔薇の名前」を知らない。

 本文引用について:ウンベルト・エーコ 河合英昭訳『薔薇の名前 上・下』東京創元社、1990年。


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