時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

追悼:スティーブン・ホーキング博士とシジウイック・アヴェニュー

2018年03月15日 | 午後のティールーム

 

シジウイック・アヴェニューの光景


3月14日、イギリスの宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士が自宅で逝去されたとのニュースがメディアに大きく報道された。筆者は同博士とは全く関係のない領域の一研究者にすぎないのだが、不思議な親近感がある。1995-96年、ケンブリッジ大学に滞在していた頃のことである。当時借りていた住居が市街地から遠く離れた郊外のガートン・コレッジの近くにあり、街中などへの交通が大変不便なので、車を運転して大学などへ行っていた。町の中心部は車を停車する適当な場所が少なかったので、しばしばコレッジと自宅の中間にあり、駐車が認められていたシジウイック・アヴェニューに駐車し、そこから歩いて町中やコレッジなど必要な所まで歩いていた。

シジウイックの名前の由来は、必ずしも明らかではないが、トリニティ・コレッジの哲学の教授であったヘンリー・シジウイック Professor Henry SIDGWICK(1838-1900) にあるようだ。教授は大学への女子の入学にきわめて熱心だったことで知られており、その活動もあっていくつかの女子のためのコレッジが生まれた。今は一部を除き男子学生の入学が認められている。

シジウイック・アヴェニュー Sidgwick Avenueは、一応 Trinity College の管理下にあるようだったが、交通が少ないので空いている時は指定されている場所へ駐車して差し支えないとの許可は得ていた。実際、朝の通学時以外は人通りも少なく、舗装も十分でない道路だった。晴れた日の午後など、車を停めていると、講義棟の方から電動椅子に乗り、ほとんどの場合、助手も付けずにひとりで道路を横断している博士の姿を目にした。時間帯が合っていたためか、比較的よくお会いした。小さな通りでもあり、人通も少なかったが、一人で行動されていることに深く感動した。一度だけ近くを通られた時に身振りで挨拶したが、軽く会釈をしてくれたことを覚えている。筆者にとっては、この地の原風景のひとつになっている。

記念講演や世界的に知られる著書『ホーキング 宇宙を語る」(1988年 )などの一般向け著作を通してだけしか知らないのだが、一般人には想像もつかない厳しい身体と生活状況で、大宇宙の成り立ちなどを構想する知的活動には、ただ感動するばかりだった。

今は広大な宇宙の世界で、その成り立ちや地球の営みを考えておられるのだろう。謹んで哀悼の意を表したい。


追記

ケンブリッジの道路の所有・管理はほとんど大学の手中にあるようだ。とりわけ、TRUMPINGTON Road, COLERIDGE Road, GRANGE Road, MILL Road, QUEEN EDITH’S Way, BARTON Road, NEWNHAM and off HUNTINGDON Road などでは各コレッジが土地の所有権を持っていたり、時には19世紀の囲い込み運動で獲得した土地なども含まれているらしい。かなり複雑で外部者にはよく分からない。ケンブリッジとオックスフォードの間は、大学所有の土地上を歩いて行けるとの記事を読んだことがあるが、真偽のほどは定かではない。

ガートン・コレッジ (Girton College) は、1869年創立でケンブリッジ大学を構成するコレッジのひとつだが、当初はイギリスで初めて女性のためにヒッチン Hitchin に作られた全寮制のコレッジだった。当時は女性の教育への偏見は強く、その後、1873年に現在の場所に移った。筆者はその近くに住んでいたが、コレッジは大学の中心から遠く3キロ近く離れたガートン・ヴィレッジ(村)の入り口に建てられている。他のコレッジからは遠く離れており、当時いかに女子教育への偏見が強かったことを身をもって実感した。1948 年に大学に正式に所属するコレッジとなった。1972年以降は男女共学になっている。

 

 

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