時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

黒衣の賢人たち: ルター、エラスムス、トーマス・モア

2018年03月14日 | 午後のティールーム

 


デジデリウス・エラスムス (1466-1536) 

世界が新たな危機的時期を迎えていることは改めて説明するまでもないだろう。2020年東京五輪までの世界は何色に見えるだろうか。これまで何度か記してきた色彩に関わる探索の過程で、「黒」という色の与える効果についても考えてきた。「黒」という色から人々は何を思うだろうか。暗黒、闇、恐怖、死、尊厳、権威、厳しさ、威厳、規律、フォーマル、厳正、端正など、さまざまだろう。人類の歴史においても、「黒」には長い間、深い恐怖、闇などのネガティヴな感覚がつきまとっていた。しかし、時代を追って「黒」の与える印象も異なってきた。しかし、この色にはそれ自体を気づかせる要素が何もない。他の色彩との関係で初めてその存在が認識される。以前に記した下記の著作を思い起こして欲しい。
Michel Pastoureau, BLACK: The History of a Color, Princeton University Press, 2008.

このブログのひとつの柱としてきた15-16世紀絵画についての文化的背景を探索する過程で、本書を含め、いくつかの文献を眺めている時、エラスムス、トマス・モア、ルターの黒衣姿に目が止まった。近世初期といわれる時代を形作った人文学者、思想家であり、宗教家である。


デジデリウス・エラスムス (1466-1536)は、ネーデルラント出身の人文学者であり、カトリック司祭、神学者、哲学者だった。しばしば初期人文学者の最高峰とされてきた。普通、「ロッテルダムのエラスムス」として知られてきた。

 1500-1515年頃、エラスムスは来るべき未来についての輪郭を構想していた。当時、古いヨーロッパはローマ教会によって支配されていた。教皇を頂点とする厳格な階層的体系、権威、伝統、告白と聖餐拝領などの形式が支配していた。しかし、当時すでに権威の体系は揺らいでおり、人文知識や識字率の拡大、貿易の拡大、都市の成長、印刷技術の発展、さらに知的水準の高い、豊かな中間階級が拡大しつつあった。彼らは富と知識を求めていた。

エラスムスは多くの都市をめぐり、その考えを披瀝しながら、1515年にはエッセイ Dulce vellum inexpert (“War is seen only to those who have not experienced it”) 。彼は横暴な君主たちなどが引き起こす絶え間のない争い、戦いに反対した。主権者たちに自分たちの目的を追求するばかりではなく、他の人々の考えも尊重されねばならないと諭した。1511年、有名な『痴愚神礼讃』で当時の王侯、教皇を含め、神学者、知識人の驕りや幻想を嘲笑し、新たな刷新の形を示唆していた。

エラスムスの考えの根底には新約聖書の改定があった。彼の考えの一部には、支配階級の不道徳を批判し、改革の道を示唆するものがあった。キリスト教世界の改革のためには、キリスト教の基盤が清くならねばならないと述べた。当時広く使われていたウルガタ Vulgate (ラテン版聖書だが、古代のギリシャ語版から翻訳されていた)がその対象であった。この聖書はすでに数千年の間使われ、時代と内容がかなり離反していた。ローマン・カトリックの柱を形作り、長い時を経過した聖書だが、多くの誤訳や曖昧な表現も含んでいた。

1500年にはエラスムスはギリシャ語を学び始め、福音書や書簡をそれが書かれた当時のように読むことができた。ローマが没落した後、ラテン世界からギリシャ語に関わる知識は社会からかなり消えていた。

その後、エラスムスは1506年には念願のイタリア行きを果たした。聖書翻訳の作業は進捗し、新訳は聖書研究の里程標となった。1516年の春にはエラスムスのギリシャ、ラテン語学での名声は全ヨーロッパ的なものとなった。Erasmianという言葉まで生まれた。エラスムスの『改定版新約聖書」は世界へ普及し、後のマルティン・ルターのドイツ語訳聖書の原版になった。

徹底したエリート教育を受け、一般的人文主義のチャンピオンとなったエラスムスは世界クラスのスノッブでもあった。エラスムスの思想は、宗教改革、カトリック宗教改革の双方に大きな影響力を持った。エラスムスはカトリック教会を批判した人文主義者と言われたが、彼自身は生涯を通してカトリック教会に忠実であった。1536年、69歳、バーセルで没した。

- エラスムスは生前、1499年にイングランドへ渡り、同地の上流社会に多くの知己を得た。なかでも、終生の共にとなった政治家トマス・モア Thomas Moreとの交友は深く、よく知られている。

- エラスムスの新たな啓蒙運動が展開している時に、全く別の形での運動がマルティン・ルターによって始められていた。エラスムスはカトリック教会内部で古代から議論が続いてきた自由意志の問題についての『自由意志論」を展開したが、それはルターの思想的骨子でもあり、ルターはそれに対する形で「奴隷意志論」を著した。エラスムスはそれに対する反論を企てたが、それを最後に混迷した議論から手を引いた。

-マルティン・ルター(1483-1546)


ルターはエラスムスが活躍していた頃、別の啓蒙の試みを行っていた。ルターはよく知られているように、神の恩寵は、ローマ教会が教えるような良い行いをしたことよりは、キリストへの信仰の深さにかかっているとした。ルターがウィッテンベルグの教会の扉に伝えられる95ヶ条の論題を掲げたのは、1517年10月31日のことであった(この点についての細部には異論がある)。その後の経緯は改めて記すまでもなくよく知られている。

はじめのうちはエラスムスはルターの教会改革を賛辞した。しかし、その後信仰に関わる自由な意志を巡るやり取りで、対立は決定的となり、二人はお互いに敵視する間柄となった。

二人の対立はさらに、宗教世界のルネサンスと改革という点での対立であった。エラスムスのスノビズムとエリート意識にもかかわらず、エラスムスの人文主義は黙示録との選択肢となっていた。

ルターにも試練が待ち受けていた。1524-1525年にかけてドイツの農民がルターの言説に一部影響を受けて、世俗と宗教界の支配へ反乱を起こした。ルターはアナーキズムを恐れ、彼らの言動を強く批判した。農民たちは必然的にルターに反対した。ルターとスイスのカルヴァン派との間でも聖餐の意味をめぐり、分裂が生まれ、両者の非妥協的な対応もあって、プロテスタントの統合もならなかった。

トマス・モア( Thomas More、1478年-1535)は、最後に取り上げる賢人である。イングランドの法律家、思想家。カトリック教会と聖公会で聖人とされた。政治・社会を風刺した『ユートピア』の著述で知られる。

トマス・モア( Thomas More、1478年 - 1535)

 

「わが命つきるとも」A Man for All Seasons

モアは、大司教・大法官Lord Chancellor のジョン・モートンの家で従僕として教育を受け、オクスフォード大学、リンカーン法曹院で学び、法律家となった。1504年、下院議員。1515年からイングランド王ヘンリー8世に仕え、ネーデルラント使節などを務めた。1529年、官僚で最高位の大法官に就任した。

しかし、自らの節度を曲げることなく、悲劇的な最後をたどった。ヘンリー8世が離婚問題からローマ教皇クレメンス7世と反目すると、大法官を辞任。ヘンリー8世の側近トマス・クロムウェルが主導した1534年の国王至上法(国王をイングランド国教会の長とする)にカトリック信徒の立場から反対したことにより査問委員会にかけられ、1534年ロンドン塔へ幽閉され、1535年斬首、断罪された。人間の生きる価値と権力をめぐる陰謀に、信仰に命を懸けるトマス・モアの生き様には強い感銘を受ける。ここにたりあげた三人の黒衣の人たちは、近世初期といわれる時代にあって、政治と信仰という領域に関わる根源的な課題にそれぞれの思想と個性をもって対峙し、生き抜いた賢人であった。その結果は、現代のヨーロッパ世界に複雑な遺産 legacy を残した。

 

宗教改革の遺産:現代ヨーロッパのキリスト教宗派別分布(概略) クリックで拡大


Carlos M.N. Eire, Reformations: The Early Modern World, 1450-1650, Yale University Press, p.755

追記

今回とり上げた三人は同時代人として、宗教上、政治上の立場は異なるが、それぞれに強靭な個性を持った人たちであった。互いに交友や対立の関係にあったが、とりわけ、エラスムスとモアについては、下記の形で往復書簡の一部が残されている。大変丁寧な翻訳、解題、解説が附せられ、当代屈指の知識人の思想・見解の詳細を知ることができる。今回、論及する余裕はないが、改めて取り上げる機会を待ちたい。

『エラスムス=トマス・モア往復書簡』(沓掛良彦・高田康成訳) 岩波文庫、2015年

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