時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

アルノルフィーニ夫妻像:世界史での登場

2020年01月22日 | 絵のある部屋

Jan van Eyck (active 1422; died 1441)
Portrait of Giovanni(?) Arnolfini and his Wife (Portret van Giovanni Arnolfini en zijn vrouw: The Arnolfini Portrait)
1434, oil paintings on 3 oak panels, 82.2×60.0cm
The National Gallery, London

ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻像』1434年、ナショナル・ギャラリー、ロンドン

今回で最後となる大学入試センター試験の問題を見ていると、世界史Bの第1問にファン=エイク兄弟(ファン=兄弟)の弟ヤン制作の『アルノルフィーニ夫妻の像』が掲げられていた。この絵についての短い説明を読んで、正しいもの(選択肢)ひとつを選ぶ4択問題になっている。この絵の制作された時代と同時代に世界史上で起きていた出来事について該当する選択肢ひとつを選ぶというものだ。例えば、①ギベリン(皇帝党、皇帝派)とゲルフ(教皇党、教皇派)とが争った。②マッツイーニが、両シチリア王国を占領した。③、④・・・・・などからひとつを選択する。


率直にいって、この問題ならばこの絵をわざわざ持ち出す必要もないと思われた。絵と設問があまりうまく噛み合っていない印象を受けた。無理に作った印象を受ける。この絵を取り上げるならば、もっと絵の時代背景、描かれた作品の人物などに踏み込んで別の内容の問題を作れば良かったと思われた。現在の高校世界史の授業でどれだけ、この絵画作品について説明がなされているのか明らかではない。西洋美術史では極めて著名な作品ではあるが、世界史の授業ではどれだけその内容が伝えられているだろうか。

謎のいくつか
しかし、今回はその点に立ち入ることはしない。ここでの関心は、ブログ筆者が知る限りで、この多くの謎を含んだ作品のいくつかの興味深い点に触れることにある。
日本では『アルノルフィーニ夫妻像』として知られるこの絵は、初期フランドル派の画家ヤン・ファン・エイクが1434年に描いた作品とされている。

描かれたのはブルッヘ(現ベルギー)在住のイタリア・ルッカ出身の商人でバンカーでもあったジョヴァンニ・アルノルフィーニと、同じルッカの商家出身のジョヴァンナ・チェナミが婚姻の誓いを立てているところを記念して描いたと言われている。ブルッヘにあった夫妻の邸宅内部を背景として描いた作品とされる。中流階級の家の室内、調度などが貴族的雰囲気の下で描かれているという不思議な印象を与える。

15世紀には、結婚は司祭など聖職者のいる教会で挙げなくても証人が二人いればどこでも成立した。婚姻の秘蹟は夫と妻の問題であり、公式に披露するには翌日教会で聖体拝領を受けることで、時には証人すら必要なかった。それから一世紀以上経って、トレント公会議で聖職者と証人の立ち合いが婚姻の儀式に必要になった。このアルノルフィーニ夫妻の場合は、背景にある鏡面に二人の証人が写っている。彼らは多額の金銭、財産が関わる婚姻証明書の社会的な公式化のためにも必要な存在だった。

このプロセスはこの結婚が「左手の結婚」’”left-handed “ marriage と言われたものであったことで欠かせないものだったかもしれない。この絵では男性が通常の右手ではなく左手を女性の手に差し伸べている。この形式は両者の出自、階層が平等ではない場合に見られた。ここでは女性の出自が男性より低かったようだ。結婚に際して女性はそれまでの家族に関わる全ての継承権を放棄するとともに、万一寡婦になった場合、十分な財政的手段を保証されることを意味していた。morganatica として知られる新郎から新婦への贈り物を意味する行為から由来する。

描かれた富裕な商人でバンカーでもあった新郎の複雑なようで表情のない顔、商家出身の新婦の若々しい容貌にも注目される。夫妻の身に付けている衣装の類いは、当時の流行を反映しているが、取り立てて上流、貴族階級などの反映ではないようだ。

いずれにせよ、この作品は夫妻から結婚あるいは婚約記念の図として、制作依頼があり、画家がその持てる才能、知識を最大限に発揮して描いた傑作とされる。厳粛な雰囲気に満たされた2人の全身像肖像画として記念碑的な作品であり、ヨーロッパの宝といわれるファン・エイクの代表作である。

ロンドンのナショナル・ギャラリー (The National Gallery, London )で、ブログ筆者が初めてこの作品を見た時、多少の予備知識はあったが、実際の作品に接して、画面の細部に渡って込められた画家の絶妙な配慮に魅了された。

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N.B.

美術史家の貢献
この絶妙な作品の解釈については、多くの美術史家の功績があった。中でも、美術史家のエルヴィン・パノフスキー(1892-1968)は、この絵の制作年(1434)のちょうど500年後に当たる1934年に美術史専門誌『The Burlington Magazine』に、図像解釈学に基づいて、この絵を結婚記念の図と読み解いた論文を発表し、これが定説となったようだ。手を取り合う男女は結婚のしぐさ、ベッドは子孫繁栄、シャンデリアに灯された1本のろうそくは結婚のシンボルなど描きこまれた全てのモチーフに意味がある。図像学の知識に関するテスト問題のようだ。しかし、その解釈については、かなりの異論も提示されてきた。

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重要な鏡の役割
この作品で特に重要な意味を持つ鏡にも注目してみたい。こうしたガラスの鏡は当時は中流階級でも持っていなかったといわれる。多くの人たちはよく磨き込まれた金属面を鏡として使用していたらしい。この鏡面(凸面鏡)には流麗な書体で「Johannes de eyck fuit hic/1434(ヤン・ファン・エイクここにありき。1434年)」とラテン語の記載がある。本作品以外にファン・エイクが絵の中に署名した作品はない。画面中央のシャンデリアと鏡の間に重みを持って署名されているということは特記すべきことだろう。今日に至るその後の時代においてもにおいても、署名は通常、作品の片隅に小さく付されていることが多いからだ。このことは、画家の署名は単に作品の制作者ということにとどまらず、夫妻の結婚の証人であったということを示す重要な証左ではないか。

作品の舞台:貴族階級を支えた商人たち
当時のブルッヘは、北ヨーロッパの交易の一大中心地であった。ロシア、スカンディナビアからは木材、皮が、ジェノア、ヴェニスからは絹、カーペット、香料が、スペイン、ポルトガルからはレモン、いちじく、オレンジなどが持ち込まれた。交易の対象となった品数の多様さなどで、富裕な土地としてヨーロッパに知られ、その後数十年最強の政治的な中心でもあった。とりわけ、フレミッシュの繊維産業は繁栄をきわめ、豪華で貴族的な環境が生まれていた。

そうした社会的環境の下で、ファン・エイクのこの作品は、聖から俗への移行に止まらず、貴族的からブルジョア的な主題への移行を示している。画家はブルゴーニュ公の宮廷付き画家であったが、画家が世俗の世界を描くことを許容していた。その背景には勃興する産業に関わる商人たちの活動が、貴族層にとっても財政的リスクを軽減するとともに積極的な繁栄の支えとなっていることを感じていたからだろう。

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