時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

現代は何色の時代だろうか

2018年01月20日 | 午後のティールーム

 


現代の世界は色で表したら何色の時代と言えるだろうか。全地球規模で見ると、核戦争、異常気象、難民などに象徴される人類史上の危機、あるいは破滅の兆しも忍び寄っている。灰色や黒色に近いと感じる人々も少なくない。将来が希望に満ちた時代とは思いがたい17世紀に近い「不安な時代」に我々は生きているのだ。

他方、一部では青色への関心も高まっている。青色 blue には、ブルー・マンデイ、ブルーな気分など、憂鬱、不安、弛緩などの状態を表現するにも使われる。実際、オックスフォードの英語辞典(OED)などを引いてみると、1)晴れた日の空や海のような緑色と紫色の中間の色、2)冷たさや呼吸の困難の結果として皮膚の色が蒼白に変わった色、などの解釈が出てくる。最近話題の「広辞苑」(第7版)は未だ手元にないが、第6版には、「一説に、古代日本語の固有の色名としては、アカ・クロ・シロ・アオがあるのみで、明・暗・顕・漠を原義とし、本来は灰色がかった白色をいうらしい」との記述もある。

人々、とりわけ日本人は、この「不安な時代」を何色のフィルターで見ているのだろうか。蛇足ながら、筆者のブログは青色が基調になっているが、HPやブログなるものに慣れない頃に出会ったテンプレートを使っているにすぎない。視力の弱くなってきた筆者には、白地に黒の文章はコントラストが大きく疲れる。長い間活字を目にしてきた職業病?なのかもしれない(笑)。

最近、金沢兼六園内、成巽閣の和室天井の群青色が話題となっているとの短い報道を見た。天井などに和室としては極めて斬新な印象を与える鮮やかな群青色が使われている。使われている顔料はフランスから輸入されたラピスラズリではないかとも伝えられている。日本絵具の「群青」(岩絵の具、深みのある濃い青色)に近い。成巽閣はかつて訪れたことがあるが、その革新性には驚かされた印象が残る。

少し視点が変わるが、旧・新石器時代、赤、黒、褐色が最高の色とされた。古代ギリシャ・ローマ時代は黒、白、赤色が重要だったとも言われる。とりわけ、ローマ人にとっては青色は野蛮・未開の色とされた。ケルトの兵士は身体を青色に染めていたとの話もある。古代ローマでは青色の衣類を着ることは、喪や不幸の時であった。もっとも古代エジプトなどは例外で、前回記した青色が尊重された。もっとも、他のヨーロッパ地域では必ずしもそうではなかった。

13世紀以前にはキリスト教世界でも青はあまり使われなかった。全体の1%程度だった。しかし、その後、変化が起きた。1130-40年建設のパリのサン・デニ教会でガラスに青色が使われた。さらにシャルトルやサン・ドニ聖堂でも有名な美しい青色ガラスが使われるようになった。中世以来、聖マリアの外衣など、衣装にも高貴な色として使われている。

このように、日本と西洋では受け取り方も異なり、時代によっても変化している。

顔料の素材も、鉱石系(藍銅鉱、アズライト azurite、植物系 藍)が大きな流れだったが、現在は人工的に製造されたウルトラマリンが多い。色調の区別、名称にも混乱もある。青色と言っても与える印象は様々なのだ。

拙速な結びだが、冒頭の疑問については、青色が持つ時代への不安感、鬱積感を抱く現代人が、成巽閣和室に使われたような同時代の通弊、制限などを打ち砕く革新、深遠さを含んだ群青色の天井に、一抹の救いや希望の兆しなどをなんとなく感じ取るからかもしれないと思ってもいる。


Reference

*追記(1/21/2018) 『広辞苑』第7版も全く同じ記述であることを確認。

色彩の歴史については内外に多くの出版物がある。青については例えば下記が近づきやすいかもしれない。

小林康夫『青の美術史』ポーラ文化研究所、1999年。

成巽閣:石川県金沢市兼六町1-2
http://www.seisonkaku.com/
13代藩主前田斉泰母堂の隠居所



 

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