時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

パンデミックの中に咲く芸術の花

2021年09月16日 | 午後のティールーム


パンデミックが芸術の領域まで大きな打撃を与えるとは、当初ほとんど誰にも見えていなかった。しかし、この新型コロナウイルス covit-19が音楽、演劇、美術などの世界に衝撃を与えている実態は次第に明らかになってきた。パンデミックがアメリカの芸術の領域へ与えた影響については、このブログでも紹介した。しかし、日本においては観光や飲食業そして東京オリンピック、パラリンピックなどに焦点が集まり、芸術などの分野でいかなる問題が生じているかについては、あまり報道がなされてこなかった。

たまたま目にしたTV番組がオーケストラの世界に起きた変化を報じていた。東京フィルハーモニー交響楽団(東京フィル)がコロナ禍の1年半に公演が開催できず、経営が圧迫され、演奏家たちの間でも喪失感や絶望感が浸透していた。

音楽公演は流行語となった「不要不急」なのだろうか? オーケストラの存在意義が問われていた。

世界的指揮者チョン・ミョンフンが名誉音楽監督である東京フィルはブラームス交響曲公演(東京オペラシティ)を今秋に予定していた。コロナ禍が収束しない今、はたして1年半ぶりのマエストロの来日を迎えて開演できるのだろうか。楽団員を含め焦燥感や苦悩が高まっていた。状況は一転、開催が決まり、歓喜のコンサートになる。

 チョン・ミョンフン 鄭 明勳(Myung-Whun Chung, 1953年1月22日 - )は、韓国・ソウル生まれの指揮者、ピアニスト。


BS! スペシャル「必ずよみがえる〜魂のオーケストラ 1年半の願い〜」9月15日 BS1午後8時

この番組を見ている時に脳裏に浮かんだのは、これもブログで紹介したことのある『
クレイドル・ウイル・ロック』The Cradle Will Rock(「ゆりかごは揺れる」の意味)という映画であった。ブログ筆者のご贔屓の映画だが、今では知る人も少ないだろう。1930年代ニューヨークで起きた出来事を取り上げた感動の作品だった。

1930年代の大不況の中で、アメリカン・ルネサンスと言われた1937年、ニューディールの一環として構想されたFederal Theatre Project 『連邦劇場プロジェクト』*をめぐる出来事が主題となっている。オーソン・ウエルズが映画化を切望したといわれる。彼も「ゆりかご」の中の一人として演出を担当していた22歳の青年だった。大不況で失業していた数万人の失業した演劇人を本業に復帰させようとの試みの一コマが取り上げられた。

このプロジェクトFTPは連邦雇用促進局の傘下で企図され4年間で3000万人の観客を創出すると期待されていた。

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N.B.
1929年10月24日、「暗黒の木曜日」The Great Crash として知られるウオール街の株式大暴落に始まった大恐慌は失業者1300万人を生んだといわれる。当時のアメリカ合衆国の人口は約1億5千万人であった。

上演が企画された演劇『クレイドル・ウイル・ロック』は非米的な内容だとして、政府は急遽中止を命令した。監督ティム・ロビンズは「表現すること」の自由を求め、関係者とともに開幕に向けて働いた。
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東京フィルの公演成功までの指揮者、楽団員などの努力はそれぞれ印象に残ったが、番組は掘り下げ方が足りなかった感がある。下敷きになる前例はいくつもあったので、もう少し考えればより感動的な映像作品になったろう。

その点、『クレイドル ウイル ロック』は、映画でもあり、周到な企画に支えられ、時代の息吹気が強く感じられる名作となった。芸術は閉ざされた人間の心、精神を解き放つ大きな力となりうる。閉塞したコロナ後の世界を生きる上で見直されるべき大きな要因ではないだろうか。


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