Jacques Callot. Scapino and Zerbino
詩を読む機会は、最近まであまりなかった。若い時は比較的よく読んでいたのだが、その後人生の雑事に追われ、詩文の世界とは遠く離れた日々を過ごしてきた。
ベルトラン(1807-41)の散文詩*は、部分的に目を通したことはあった。しかし、韻文詩とは違った斬新さには魅力を感じたが、それ以上に多くを出なかった。最近、ふと手にして目を見張った。以前はなにを読んでいたのだろうか。まったく別の印象であった。ほとんど記憶の底にも残らなかった詩文が、なぜ急に身近なものとなって迫ってきたのだろう。日々感動が薄れ、失われて行く記憶を嘆いていたが、生き残っていた脳細胞もあったのだ。
ベルトランは、韻文と散文の境界に細心な注意を払い、あまりに短かった人生の最後まで未完と思う作品は惜しげもなく削除することを常に考えていたようだ。鋭く、感性に溢れた詩人だった。内容は深く、今読んでみても、作品をどれだけ理解しているのかまったく分からない。
ただ、この鋭利な感性を持った詩人が、悪魔、魔術という中世的世界に深く惹かれていたことに驚かされた。19世紀の詩人の世界を、これほどまでに魔術が占めていたことに驚かされた。魔女、魔宴にかかわる部分から、いくつか引用してみよう。
序
芸術は常に対照的な二つの面を持っている。言ってみれば、片面はポール・レンブラント*2の、もう片面はジャック・カローの風貌を伝える、一枚のメダルのようなものである。―――レンブラントは白髯の哲学者、寓居にかたつむりの如く隠遁し、瞑想と祈りに心を奪われ、目を閉じて思念に耽り、美、学問、叡智、愛の精霊と語り合い、自然の神秘的な象徴の中に分け入って、生命を使い尽くしているのである。―――一方カローはほら吹きであけっぴろげな傭われ兵、町の広場を気取って歩き、酒場で騒ぎ、ジプシー女を片手に抱いて、自分の剣と喇叭銃しか信用せず、ただ一つの気掛かりといえば口髯に油を塗り込むことだけの男である。
*2 レンブラント・ファン・レインのことと思われる。
9. 魔宴(サバト)への出発
彼女は夜半に目覚め、蝋燭を灯し、箱を手にして身体に秘油を塗り、二言三言の呪いで魔宴に運ばれて行った。
ジャン・ボダン『魔女狂研究』
そこに集まった十人ばかり、棺桶を囲んでスープを啜っていた、手にするスプーンは死者の前腕骨。
暖炉は燠(おき)で赤々と燃え、蝋燭が煙の中に茸の如く林立し、皿から春の墓穴の臭いが立ち昇っていた。
マリバスが笑ったり泣いたりする時には、顎の外れたヴァイオリンの三弦の上で、弓が愚痴るように聞こえた。
その時年老いた兵隊あがりが、獣脂の燃える光の中で、机の上にさながら悪魔のように一冊の魔法書を開くと、一匹の蠅が羽根を焼いて落ちて来た。
ぶんぶん唸っている蠅の毛むくじゃらの巨大な腹からは、一匹の蜘蛛が現れて魔法書の縁をよじ登った。
だが既に、魔法使いも魔女も、箒に跨り、火鋏みに跨り、そしてマリバスは鍋の柄に跨って、煙突を抜けて飛び去っていた。
11. 魔宴の時
こんなに遅く、誰が谷を通って行くのか? H・ド・ラトゥーシュ『魔王』
此所だ! ―――はやくも暑い茂みの中、小枝の下にうずくまる山猫の目の燐光が燦いていた。
夜霧と蛍とに光る野茨の髪を、絶壁の闇の中に浸す巌の中ほどに、
松林の頂に白い泡を奔らせ、城館の奥深くには灰色の霧となって沫を降らせる、急流の岸の上に、
魔物の群が数限りなく集まる。ところが背に薪を負い、小径を登る年老いた木樵(きこり)には、物音は聞こえるが、目には何も見えない。
そして樫から樫へ、丘から丘へ、気味悪く恐ろし気な幾千もの叫び声が混じり合い、響き合う。―――《フム! フム!―――シュッ! シュッ!―――クークー! クークー! クーク-!》
さてここには絞首台!―――彼女の霧の中から一人のユダヤ人が現れて、首吊り人の腕を拾い、その金色に輝く魔法の光の中で、しめった草むらに何か物を探している。
* アロイジウス・ベルトラン作 及川茂訳『夜のガスパール レンブラント、カロー風の幻想曲』岩波文庫、2009年