時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ロレーヌ魔女物語(13)

2009年11月06日 | ロレーヌ魔女物語
a sight of village in Lorraine, Photo YK


  近世初期、16世紀末から17世紀初めにかけてのフランス、ロレーヌの魔女裁判にかかわる文献を読んでいて興味を惹かれることはきわめて多いのだが、そのひとつに17世紀という時代がそれほど遠く隔たった昔ではないと感じることがある。人間の思考や行動様式は、根底において一般に想像するほど変化していないということかもしれない。 

 当時、魔女裁判によって裁かれ、処刑されることになった者は、処刑前にいつから魔術にかかわり悪行を行うことになったか、共謀者は誰かといった内容を再確認されるのが決まりだった。そこにいたる前の尋問、特に拷問などで、むりやりに被害者にされた者を改めて救済するなどのねらいもあったようだ。 

 すでに告白された悪魔との関わり、魔宴 sabbatに参加したか、悪魔と交わったかなどのお決まりの点を述べさせられている。当時のロレーヌの審理手続きは、フランスのそれと比較すると、被疑者にとって絶望的といってもよいほど、著しく不利なものだった。上告する上級審もなく、地方の裁判所に多い素人裁判官の誤りをただす道もなかった。ナンシーでまとめてレビューされる手続きも、限界的な役割しか果たしていなかった。ロレーヌで魔女審問がかなり多発した背景には、こうした状況で、拷問が有力な解決手段として多用されたことがかなり影響したようだ。大変不幸なことだった。そして、定式化されていた審問手続きは、被疑者にしばしばお定まりの告白を求めていた。 

 当時の魔女審問は具体的次元でみるとかなり多様な形をとっているが、根底には共通したものが流れている。悪魔、魔女あるいは魔術について相当程度画一化された概念が、暗黙にも共通の輪郭として形成され、共有されていたことに気づく。現代のように情報が流動的でない社会、とりわけ農村において、実際にはきわめて定式化され、固定化した概念や理解が共有されていたことは驚きだ。  

 日没とともに、漆黒の闇に閉ざされることに象徴されるこの時代、夜や森は魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい場所だった。そこでなにが行われているかは、想像にゆだねるだけにすぎない。夜も光に満ちあふれた現代社会の状況からは、考えられない次元だった。とりわけ、闇の時間が長い農村は魔術や呪術の舞台として格好なものだった。いつの間にか、魔術や魔女が飛び回る風土が生まれ、深く根付いていた。 

 魔術にかかわったとされたある女性の告白の例をみてみよう。彼女の10年ほど前の記憶によると、セントローレンスの祭日に、遠くの親戚を訪ねた寡婦が再婚話を反対され、闇夜をひとり帰宅する途上、森を通った時に、悪魔に誘惑され、その後悪魔が自分に乗り移ったと思うようになった。そのしるしに、自然と神を呪う言葉を口にするようになった。悪魔はお前を守ってやると言い、一本の杖を渡す。そして、彼女を憎み、脅かす者や動物がいたら、その杖で打つことで救われると言った。そしていつも、お前の力になると言われたという。 

 これに類似した告白はフランスのみならず広くヨーロッパに見出され、あるステレオタイプ化した悪魔や魔術のイメージが、いつとはなく社会に深く浸透していた。 近世初期の社会の現実は、統一されたというにはほど遠い複雑なものであったが、基本的にはかなり同質的な世界観が支配していたと思われる。それは、自然と超自然、現実と仮想、具体と抽象といった区別ができるほど進んだものではなかった。

 農村などの地域社会には、社会階級と結びついた権力者と虐げられ、嫌悪の対象となる者がつくり出されていた。当時の社会に多かった家庭における夫の暴力、近隣住民との軋轢、対立なども、特定の住民に厳しい状況を作り出していた。 相次ぐ戦争による軍隊の略奪、飢饉などで農村の困窮が進み、幼い子供を抱えた寡婦や老人など貧窮の底に沈み、共同体の片隅でかろうじて生きている者もいた。 

 魔女にかかわる事件は、自然の災害がもたらした飢饉や悪疫などの流行などを契機に、突発することも多かった。原因の分からない家畜の死亡なども、魔女の仕業とされた。 

 こうして見ると、当時の社会は憎悪と恐れ、不安と緊張に充ちていたかに思われるが、戦時や飢饉、悪疫流行などの時を除くと、町や村落の日常生活は概して平穏といってよいものだった。むしろ、10年1日のごとく過ぎて行く日々だった。しかし、さまざまな不安に根ざした時代の深層は、なにかのきっかけに表面化し、噴出するのだった(続く)。
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