時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

政治的存在としての国境:アメリカの移民法論議

2005年06月08日 | 移民政策を追って
(長いのでご関心のある方だけ、お読みください)

  移民問題は、時に政治を大きく動かす底流となることがある。拡大EUの大きな流れを頓挫させたフランスやオランダでの国民投票には、速すぎるグローバル化への不安が反映していた。増大するイスラーム諸国や中欧・東欧からの労働者は、自分たちの仕事を奪うのではないか。彼らと一緒にやっていけるのだろうか。

  国境は単なる地図上の境界ではない。すぐれて政治的存在である。その設定いかんで、国境の風景は著しく変容する。現在、アメリカ議会で審議の過程にある移民法改正提案をめぐる議論は、日本ではほとんど関心を呼んでいないが、その内容はきわめて注目すべきものである。(ちなみに、日本の移民問題の議論は、グローバルな配慮をしているといっても、本質はきわめてローカルなものにとどまっている。日本の将来についてのヴィジョンも内容が著しく乏しい。)

  アメリカ・メキシコ国境をめぐる移民と国家のせめぎ合いは、多くの議論を重ねながらも、さしたる改善の方向を見いだせず、今日まで推移してきた。いかに高い人工的障壁を国境に設定しようとも、国境を越えようとする人の流れを阻止することはできない。他方、国境を越えようとする人々にとって、見える障壁・見えない障壁がさまざまにその移動を妨げてきた。他方、アメリカ側から見れば、国民の支払う税金が不法移民のために使われるという不満もある。

新法は抜け穴を埋められるか
  「安全なアメリカと秩序ある移民法」(仮称)(Secure America and Orderly Immigration Act)は、マッケイン上院議員(McCain、共和党、アリゾナ)、ケネディ上院議員(Ted Kennedy、民主党、マサチュッセッツ)および下院での支持者であるコルビー議員(Jim Kolbe、共和党、アリゾナ)によって構想され、法案化された超党派の法案である。このマッケイン・ケネディ法案は、2004年1月、ブッシュ大統領が「移民法改革提案」の中で提示した主要点と合致する部分が多い。当時のブッシュ大統領の表現では「テンポラリーな労働者としての法的ステイタスを、アメリカで不法に雇用されている数百万の入国審査書類を持たない人々、ならびに現在は外国におり、アメリカで雇用の機会を提示された人々に与える」というものであった。

  アメリカの入国管理システムは欠陥があり、抜け穴が多いことは知られてきた。その結果、おそらく1000万人近い不法移民が国内で働いている。そして、これとは別に毎年100万人くらいが国境を越えて不法に入国している。この現実が有形・無形のコストと人的犠牲を生んできた。

定着した低賃金・不法移民の現実
  現在の移民法は、経済的現実の前に浮き上がっている。アメリカ経済は国内労働者が就労したがらない低層の仕事を生んでいる。この分野で、高校を落第したアメリカ生まれ労働者の比率は、1960年代には50%近くであったが、今日では10%になっている。その理由は、アメリカ生まれの労働者に代わって、農業、食品加工、建設業などでメキシコ系などの安価な移民労働者が増えたためである。しかし、アメリカが合法的に認めるこれらの仕事への移民労働者受け入れの数は、産業のニーズを満たすには到底いたっていない。

蔓延する地下経済の悪影響
  結果として地下経済は、社会のルールをさまざまに破壊している。たとえば、アメリカでホテルにチェックインすると、複雑な違法の連鎖に出会う。ホテル所有者は不法な移民を雇用しているかもしれない。車の預かりサービスの係は、国境を越えるに際して、犯罪ギャング・コヨーテ(越境志望者を商売の種にするブローカー)に2000ドルを払っているかもしれない。彼の友人の中には、国境越えで日射病や飢餓で死んだものもいるかもしれない。昨年は3歳の子供を含み、200人がアリゾナの砂漠で死んでいる。犯罪ギャングは国境パトロールと銃撃戦をやったかもしれない。越境者がコヨーテに支払った2000ドルは、麻薬密輸に使われたかもしれない。

  地下経済はアメリカが維持・形成してきたものを脅かす。ひとつは移民形成に寄与してきた異文化も同化する伝統である。不法移民は、表に出ない地下経済の世界で生活している。もうひとつは、国家安全保障である。テロリストにとってアメリカに入国する最も容易な途は、アリゾナ砂漠を経由することである。何の質問もされることなく、不法なネットワークの案内で、国境まで連れて行くコヨーテを見つけさえできれば、アメリカに潜入できる。ギャングは不法入国者に偽造証明書などを渡し、巨大な不法のサブ・カルチュアに隠してくれる*。

抜本的な改革を目指す
  ケネディ・マッケイン法案は、アメリカ社会を蝕んできたこうした現実に向かい、抜本的に整理し直そうという内容である。予測できない問題は多く含まれているが、これまでの法案よりは、格段に周到な配慮がなされている。

  ブッシュ大統領および側近は、自分たちの考えが「アムネスティ」(不法滞在者に一定の条件と引き替えに合法的ステイタスを与える)と呼ばれることに強く反対しているが、彼らが考えている内容はまさにそれに近い。先述のブッシュ発言は、アムネスティ目当ての不法入国者を増加させてきた。メキシコなどから仕事のない人々がアメリカへ不法流入する動きが目立っている。アリゾナ州など国境警備が甘いと見られた国境で、ボーダーパトロールは、きわめて忙しくなった。このサイトでレポートした最近のスペインでのアムネスティ効果と同様である。「アムネスティはアムネスティを生む」と呼ばれる「アムネスティ・ラッシュ」の現象である。

  実はケネディ・マッケイン法案にもその点は当てはまる。新法案は不法労働者および法を破る使用者の双方に、現在彼らが住んでいる闇の世界から抜け出て、「市民権」を取得するまでの段階的ステップを準備している。すなわち、法律が議会で可決され、施行された暁には、アムネスティの恩恵を受けたい者(現在、アメリカに不法滞在している移民)は要求される無犯罪歴や労働歴、英語能力などの条件を充たした上で、約2000ドルを支払い、6年間のテンポラリーな労働許可を取得する。その上で、永住権を申請できる。その後、5年を経過した後に、十全なアメリカ市民権を認められる。同じ権利は不法移民の配偶者や子供にも適用される**。さらに、ケネディ・マッケイン法案は、家族のつながりを持つ移民についてのグリーンカード受け入れ枠を、年間48万人まで拡大する。


グローバルな労働プールを活用する
  ケネディ・マッケイン法案は、さらに従来なかった新しいカテゴリーを設定・導入することを予定している。H5―Aと仮称されている区分であり、熟練度がほとんどないか、不熟練な分野でも需要があれば、40万人くらいの外国人労働者を受け入れるという構想である。興味ある点は、年間の受け入れ数は需要に応じて調整されるということにある。この考えの背後には、アメリカは必要な労働力をグローバルな次元で調達するという究極の構想があると思われる。

  もちろん、その方向は容易には実現しない。紆余曲折したものとなることも明らかである。当面、使用者は、アメリカ人がだれもその仕事をやろうとしないことを示すことができれば、移民労働者を雇用することを認められるだろう。しかし、同時に新法案は、不法移民に優しく対することはしていない。新法成立後は、アメリカに不法入国した移民は、高い罰金を支払うことになるだろう。彼らを雇う使用者も同様に厳しいペナルティを課せられる。そこで得られた資金は、国境防備の強化に注入される。そして、生体鑑別の情報を含む、新しい偽造できない証明書システムが導入される。

厳しい規則遵守は実現可能か
  テロリストの問題などを考えると、とても出入り自由な入国システムというわけにはとても行かない。そこで、法案は外国人労働者を雇用する使用者には、その動向を報告する厳しい規則遵守を求める。

  それでも新法が成立してから、いつの時点になるかはまったく不透明だが、ブッシュ大統領とメキシコのフォックス大統領の間には、将来は両国間の国境を消滅させるという暗黙の合意があるといわれている。そうなれば、不法な移民はすべて合法な移民となるわけだが、事態はそれほど容易に展開しないことは、9/11テロや今回の拡大EUのプロセスをみても明らかである。なにが起こるか分からない。事実、最近フォックス大統領は、「アメリカにいるメキシコ労働者は、黒人でも働きたくない仕事を引き受けている」と発言、アメリカ政府および黒人社会の大きな反発を買った。

国境の南
  たとえば、アメリカ・メキシコ間の国境を開放することになれば、メキシコの南の国境がフロンティアとなる。そこからアメリカを目指す不法移民が入国しないよう、「国境の南」south of the borderの管理が必要になってくる。そうして初めて、カナダ=アメリカ=メキシコというNAFTA(北米自由貿易圏)の姿が見えてくる。拡大EUの構想と同じだが、果たして実現するだろうか。

新法は大手術
  下院の新法案支持者であるコルビー議員は、ケネディ・マッケイン法案(事実上、ブッシュ・ケネディ・マッケイン提案というべき内容だが)は、「大量出血している移民問題をバンドエイドで押さえようというのではない。これは、大手術だ」と述べている。確かに、これまでの問題を根源に近い所で解決するという意欲が感じられる。

  しかし、それだけに抵抗も大きい。多くの既存勢力がこの法案を阻止しようとしている。左翼の労働組合などに支持の動きもあるが、移民は自分たちの仕事を奪うと考えている、主流のAFL-CIOのグループは支持することを拒否している。しかし、新法案の提案者ケネディ、マッケインは二人とも大物議員であり、相当な政治力も持っている。これからの議会での検討過程は目を離せない(2005年6月7日記)。


*Lexington: On the border, The Economist May 21st 2005.

**最近の最高裁判決の内容にみるかぎり、アメリカで生まれた不法移民の子供は「想定アメリカ国民」presumed American citizensという位置づけがなされている。ケネディ・マッケイン法案では、こうした子供たちの両親は「家族の結合」の名の下で、自動的にグリーンカードが与えられる。
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