かくて不満の冬も去り、ヨーク家にも輝かしい夏の太陽が戻ってきた。
Now is the winter of our discontent
Made glorious summer by this sun of York
シェクスピア史劇『リチャード3世』の開幕の台詞
sunとson(Edward IV のこと)をかけた地口
イギリス史あるいはシェークスピアの史劇に多少なりと関心のある方ならば、シェークスピアの『リチャード3世』 Richard III なる王について、聞き及んでおられることだろう。シェークスピアによって、希代のマキャベリスト、悪逆非道な人物に描かれている。しかし、後代の小説家などからは、正義感の強い、兄思いの人物というイメージも提示されている。イギリス史上、最も偉大な人物のひとりとの評もある。長い年月にわたり、この王の真の姿は歴史の闇に隠されてきた。
最近きわめて興味ある論評*を目にしたので、例のごとくメモ代わりに記しておきたい。シェクスピア劇の中でも屈指の名作とされる『リチャード3世』は、かつて滞英中にBBCの番組で見たが、細かい部分は忘れてしまった。ローレンス・オリヴィエ主演のドラマの映像も見たような気がするが、『ハムレット』ほどには覚えていない。
昨年、2012年9月イギリス、レスター市中心部の社会サービス施設の駐車場の地下から一体の人骨が発掘された。長らく歴史家などによって探求が進められてきたリチャード3世の埋葬場所とほぼ一致した地点であった。遺骨は王の遺体と推定された。全体として当時の人々より少し背が高く、手足は女性のように細かった。そして、多分子供のころからとみられる、かなりひどい脊柱側湾症があった。多分、生前の王はそのハンディキャップを隠すために、椅子や衣装に特別のパットを入れるなど、多大な努力をしていたと思われる。王の頭蓋骨にはひびが入り、背骨には矢じりが刺さっていた。レスター大学の考古学調査ティームは、リチャード3世の姉のアン・オブ・ヨークの女系の子孫(現在カナダ人)を、ミトコンドリアDNA鑑定を実施し、今年2月に問題の遺骨がリチャード3世のものであると断定した、
遺体の発見された場所は、レスター市の今はなくなった小修道院の聖歌隊席の下あたりのようだ。王が最後の時を迎えるに適当な場所ではない。あわただしく埋葬されたらしく、頭蓋骨の口は開いていて、 ”Treason! Treason!” 「裏切りだ」、「裏切りだ」と叫んでいたかに見えたらしい。
王は1485年8月22日、フランスから進入してきたランカスター派のヘンリー・テューダーとボズワース Bosworthで戦い、味方の裏切りで戦死したと伝えられてきた。発見された遺体は顔面を除き、身体はかなり痛んでいたようだ。激しく切りつけられ、殴られた跡だ。自ら斧を振るい戦ったという言い伝えを示すものだろう。その後、遺体は修復されたが、32歳という年齢よりも若く見えるようだ。
この発見を契機に、かつては悪名高かった王の実像を描きなおそうとの試みも進んでいるようだ。他方で、それにもかかわらず、生前の王の有名なモットー、tant le desiree ("余はそれ(王座?)がとても欲しかった")という言葉で知られるように、ひたすら権力の座を求め続けたことも事実のようだ。
王の最後はやはり凄惨な戦いだった。遺体の状況から、乱闘で馬から下りての戦闘で、王は兜も脱げ落ち、頭部を刀剣で刺されたか、後頭部をひどく切られて、さらに多くの傷を受け、腹部には刀剣が刺さったままだったという。伝えられるように、王に対する激しい恨みの念の現れともみられる。そして、遺体はそのまま馬の鞍に乗せられ、引きずられて近くの今回の発見個所に運ばれたようだ。
リチャード3世の生きた時代も、激しい政争、闘争の時代だった。幼少期には兄とともに、Low countiries 現在のオランダに追放されてもいる。いかなる環境や経験が、この激しい気性の王の性格を形作ったのかはよくわからない。現代のCT scan やDNA分析を駆使した研究は、多くのめざましい発見をし、この時代の歴史的事実の確認に貢献しているが、死んだ人間の心や心情までは解明できないのだ。
ひとつ感心したことは、この発見のストーリーを、Obituary 「蓋棺録」という形で再現してみせた The Economist誌のいつもの才覚である。
記事を読みながら、リチャード3世は、フランスの貴族アンジュー伯アンリ*2から始まったプランタジネット朝の傍系につながり、その最後の人物となったことを思い出した。思いがけない連想ではあった。プランタジネットとはマメ科の植物エニシダ(planta genista: 日本名は、金雀枝)であり、これが紋章に使われていた。管理人の猫の額のような庭には、このエニシダの小さな木が植えられている。かつてイギリスで隣家の老夫婦から教えられたガーデニング向き植物のひとつである。5月ころに黄金色の小さな花が多数咲き、その散り際が大変美しい。
*Obituary Richard II
The Economist February 9th 2013
*2 長くなりすぎて、今はこれ以上書けないが、管理人は比較的最近プランタジネット朝にかかわる北西フランスのアンジェを訪れる機会があった。これについては別途、記す時があるだろう。