Prometheus Being Chained by Vulcan by Baburen, dirck (Jaspersz) van, 1623, Oil on canvas, 202 x 184 cm. Rijksmuseum, Amsterdam
17世紀への興味は尽きない。 テル・ブリュッヘンについては、最近、興味深い新たな知見も得て、一段と関心も深まった。好奇心を呼び起こしてくれる画家の一人だ。次の連想につながる材料も多い。しかし、17世紀ユトレヒトのカラヴァジェスティは、テル・ブレッヘンばかりではなかった。
17世紀初めのイタリアは、その盛期は過ぎたとはいえ、ヨーロッパ中から画家など多数の芸術家を誘引していた。テル・ブリュツヘンと並び、バビューレン、ホントホルストの3人がほぼ同じ時期にローマへ行き、ユトレヒトへ戻ってきた。とりわけ、バビューレン(バブレン) Dirck Jaspersz. van Baburen (c. 1595 – February 21, 1624) は、ユトレヒトへ戻り、おそらくテル・ブリュツヘンと一緒に工房活動をしていたと推定されている。今日、残るバビューレンの作品は少ないが、この画家の手による上掲のような作品を見ると、一瞬これはカラヴァッジョではないかと思うほどだ。カラヴァジェスティの面目躍如?ともいうべきか。
バビューレンの作とされる、この「ヴァルカンによって鎖につながれるプロメテウス」。カラヴァッジョの「聖パウロの回心」(Santa Maria del Popolo, Rome:下掲)の逆さまになった聖パウロを、バビューレンの主題では天上から火を盗み人間に与えたために罰せられたプロメテウスに置き換えている。マーキューリーが眺める中で、火の神ヴァルカンはプロメテウスを岩に結びつけようとしている。鷹が肝臓をむさぼる責め苦に耐えるプロメテウス。この神話の題材で、バビューレンは光と影を巧みに駆使し、日焼けしたふつうの人間の群像として描いている。構図は疑いもなくカラヴァジェスティのものだが、カラヴァッジョよりも陰影のコントラストが穏やかであり、自然な感じを与える。その代わり、カラヴァッジョのような強烈なインパクトはない。生まれ育ったオランダと、憧れて滞在したとはいえ異国の地、太陽が燦然と輝くイタリアの光の違いが、画家の本性の部分を支えているのだろう。(汗をかく前に蒸発してしまうのではと思うほどの強い日差しの下、ジェラートとミネラルウオーターの瓶に支えられて、炎天下を歩き回ったローマの旅を思い起こす。ローマは訪れるたびに暑くなっている感じがする。)
Caravaggio (Michelangelo merishi), The Entombment 1602-03 Oil on canvas, 300 x 203 cm Pinacoteca, Vatican
記録によると、バビューレンは1611年にユトレヒトの聖ルカ・ギルドにパウルス・モレールス Paulus Moreelseの弟子として、加入している。このモレールス自身、イタリアへ旅したようだ。後にユトレヒトの市長になっている。残念ながら、この親方の作品を見たことはないが、カラヴァジズムがしっかりと刻み込まれた弟子の作品とは、対照的で、バビューレンがかつて親方の下で徒弟修業をしたとは考えられないほどの違いらしい。
バビューレンは、1612年から1615年の間のどこかでローマへ出立した。ローマでは、(ほとんどなにも記録が残っていない画家だが)同郷のダヴィッド・デ・ハエン David de Haen と共に仕事をした。そしてカラヴァッジョにきわめて近い信奉者だったバルトロメオ・マンフレディBartolomeo Manfredi (1582-1622)の画家グループに入り、同じ教区であったこともあって親しくなったようだ。 マンフレディはカラヴァッジョの最初でしかも最も独創的な信奉者として知られる。従来の神話や宗教画ばかりでなく、音樂師、カードプレイヤーなどを題材にカラヴァッジョ・スタイルを積極的に持ち込んだ。後に17世紀ドイツ人画家で評論家のサンドラールトによって「マンフレッド技法」 Manfrediana methodus ともいわれる独特な領域を切り開いた。
ローマに住んだバビューレンは、美術品収集家やパトロンとなったギウスティニアーニ、ボルゲーゼ枢機卿などが注目を寄せる画家となった。そして、多分彼らの推薦で、1617年頃にローマ、モントリオのサン・ピエトロ、ピエタ礼拝堂の祭壇画を描いたらしい。
バビューレンは17世紀のローマで活動していたオランダ語を話す芸術家で「同じ色の鳥たち」"Bentvueghels" と言われている仲間の一人だった。さらに、ビールの蝿"Biervlieg" とあだ名がつけられたほど、酒飲みでもあったらしい。 1620年の後半にバビューレンはユトレヒトへ戻り、、1624年に死ぬまでの短い期間に、主として神話や歴史画、そして音楽師、カードプレイヤー、娼館の女(女衒)など世俗的な主題のジャンルで先駆的な作品を制作した。この画家についても残る記録は少ないが、あのコンスタンティン・ホイヘンスは、バビューレンを17世紀初期の重要なオランダ画家の一人にあげている。
バビューレンのよく知られた作品の一枚「娼館の女将」The Procuress (Museum of Fine Arts, Boston:下掲)は、かつてフェルメールの義母が真作(あるいはコピー)を所有しており、フェルメール作品(「ヴァージナルの前に座る女」と「合奏」)の中に描き込まれている。フェルメール自身、同じ主題の作品を試みている。当時流行のテーマであり、無視できなかったのだろう。ところで、バビューレン作品で、右手に描かれた人物の性別は?
この主題の作品の出来映えは、フェルメールよりバビューレンの方が、一枚上という感じがする。両者の作品の美術史上の評価については専門家*に任せるとして、フェルメールのこの作品は2番煎じの感があり、平凡で迫力がない。他方、バビューレンの作品は簡明直裁、ダイナミックだ。カラヴァッジョ、マンフレッディの画風を受け継ぎ、ユトレヒトに斬新で、革新的な画風を持ち込んだ画家の活力が伝わってくるようだ。
Dirck van Baburen The Procuress 1622; Oil on canvas, 101.5 x 107.6 cm; Museum of Fine Arts, Boston
Vermeer van Delft, Jan
The Procuress, 1656
Oil on canvas, 143 x 130 cm
Gemäldegalerie, Dresden
? 美術史家によると、old-woman とのこと。
* たとえば、小林頼子『フェルメールの世界』日本放送出版協会、1999年、pp.49-50