時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「アンクル・トムス・ケビン」の記憶

2007年09月17日 | 書棚の片隅から



最近、世界文学の古典的名作が多数、新訳で出版されるようになった。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』などあまりに多数の新訳が並んでいて、選択に迷うほどだ。なんとか原著で読める作品もあるが、原著の外国語自体を知らない、生半可な語学力ではとても歯が立たない、などの理由で邦訳が頼りになる作品は大変有り難い。

こうした古典的作品の中で、これまでの人生で強い影響を受けた本は数多い。だが、その中から1冊を選べという選択を迫られるとかなり困る。本はいわば頭脳の栄養源に相当するので、一冊の本だけが自分の考え方を形作ってきたとは思えない。他方、愛着のある作品はかなり多い。人生の各段階で大きな印象を受け、また読んでみたいと思う作品はいくつか思い当たる。

たまたま書棚の整理中に思い当たり今回とりあげる、ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムス・ケビン』もそのひとつである。 これを読んだのは、戦後の小学生の頃だった。当時は今日のように児童書として平易に書き直された邦訳もなく、大人向けの書籍であった。内容があまりに衝撃的であったので、何度も読み返した。家のどこかに原本が残っているはずなのだが、残念ながら見つからない。しかし、そのイメージはかなりはっきりと脳のどこかに刻み込まれていた。

検索の助けを借りて記憶をたどってみると、当時手にしたのは、ハリエット・ビーチャー・ストウ(和気律次郎訳)「アンクル・トムス・ケビン」(世界大衆文学全集、改造社、昭和3年、原作1852年)であったことはほぼ間違いない。一時東京で教師をしていた母親の書棚から勝手に取り出して読んだ。最近の翻訳ではストーとなっていることもあるが、著者名も正しくフルネームで覚えていた。この時期の出版であったにもかかわらず、タイトルに「ケビン」(小屋)と英語のままに残されていたことなど、なんとなく懐かしいところがある。B6版?の箱入りで表紙も赤褐色(小豆色)の布目装幀であったように思う。今度、図書館へ行った時にでも確かめてみたい。  

作品のいくつかの描写はずっと後まで脳裏に刻み込まれていた。1850年代当時、奴隷州であったケンタッキー州からの逃亡奴隷イライザ母子は、騎馬でやってくる追手から逃れようと、想像を絶する決心をする。厳冬のオハイオ河、流氷の上を危険を覚悟で徒歩で越え、対岸の自由州であるオハイオ側へと渡り、さらにカナダへと逃れるようとする。流氷の間に落ちたら、それで終わりである。必死の思いで河を渡り、寒さに凍えきって助けを求めた家がなんと、「逃亡奴隷を救助することを禁ずる法律」の制定に関わったジョン・バード上院議員の家であった。

まさに手に汗握る情景なのだが、今でもかなりはっきりと覚えている。原著と比較して、どれだけ正確な翻訳であったかなどの点については、まったく分からなかったが、戦後まだ書籍数も少ない時代、子供心にもただ夢中で読んでいた。

この翻訳作品が当時の日本でどのように受容されたのか。その後少し気になっていたのだが、全容はまだよく分からない。1904年、仙台医専にいた魯迅なども読んでいたようだ。改造社版の翻訳は和気律次郎氏が出版事情で急遽引き受けた仕事ともいわれ、その後今日まで10人以上の訳者による翻訳が出ている。日本でも読者が多く、注目の作品であったことは間違いない(ちなみに、今参照しているのは Penguin Classics の1986年版*1である)。 

いうまでもなく、アメリカではこの作品は名実ともに衝撃的な影響を社会に与えたのだが、その実態については後に私自身がアメリカへ行くことになり、人種問題のさまざまな現実と直面して改めて実感したことも多かった。ストウのこの作品は多数の読者を得たが、いくつかの問題をめぐり、毀誉褒貶の大きな渦に翻弄された。

奴隷制廃止以後の実態については、アメリカ滞在中にかなり想像と現実のギャップを埋めることができた。1960年代以降、AFL-CIOを中心とする労働運動の大きな戦略的目標であった南部の組織化キャンペーンが遅々として進まなかった背景への関心、研究課題としていた繊維産業の北部から南部への移転にかかわる調査などを通して、南部深奥部(ディープ・サウス)の実態の一端に触れたことなどで、この文字通り画期的な作品の世界とその意味を再び考えさせられた。その後も南部や中西部諸州における日系企業や鉄鋼ミニ・ミルの調査などの関連で、公民権法成立以降の変化の一端にも触れることができた。

今改めてこのテーマを考え出すと、とめどもなく回想の糸がほぐれて行く感じがする。最初に思い出したのは、指導教授の一人だったN教授夫妻が自宅でのディナーに、この分野の主導的な歴史学者であったD.B.デイヴィス教授夫妻と共に招いてくださったことである。デイヴィス教授は、1967年『西欧文化における奴隷制の問題』*2で、ピュリツァー賞(歴史・自伝部門)を受賞された。その直後にお会いしたことになる。

  この受賞作は、アメリカ独立戦争当時、奴隷貿易は13州植民地でも法的に根を下ろした制度であり、独立宣言の起草者自身が奴隷を所有していたという衝撃的な指摘を含めて、当時の宗教的・思想的風土を掘り下げた力作であった。1770年頃までの人々の奴隷制への対応の分析が周到な考証に基づいて展開されていた。西欧における奴隷制の受容と反奴隷制思想がいかなる風土から生成したかを詳細に分析した名著となった。デイヴィス教授はその後、奴隷制と反奴隷制思想を中心にアメリカ屈指の歴史学者として、現在もグローバルな視野で活発に活動されている。

デイヴィス教授とは専門領域もまったく異なっていたのだが、日本から来たひとりの学生のために、こうした機会を設けてくれた恩師とアメリカの寛容さにはただ感謝するばかりだった。せっかくアメリカに来ているのだから、日本との比較研究などせずに、アメリカでしかできないことに時間を割いたほうがよいとのアドヴァイスもいただいた。

デイヴィス教授も働き盛りだったが、温厚、誠実な学者でさまざまな助言をしてくれた。当時のアメリカはヴェトナム戦争にかかわっており、国内では公民権運動が興隆し、「自由」と「束縛」というテーマを切実に考えねばならない時期であった。キャンパスでも反戦フォークソングが響き、その外には徴兵制度が待っていた。このブログでも触れたフォークナーやスタイロンなど南部を対象とした文学者へ親近感を持つようになったも、こうしたことがきっかけになっている。  

その後、アメリカ社会は大きな転換をし、ある意味では閉鎖性も強まった。奴隷制度の背後にある人種問題も大きく変容した*3。私のアメリカについての見方、関心の対象、社会観もかなり変わった。しかし、『アンクル・トムス・ケビン』を読んだことから始まった一連の強い印象の数々は、スナップショットのように今日も消えることなく残っている。

 

 

 

*1
Harriet Beecher Stowe. Uncle Tom' Cabin or Life Among the Lowly. first published 1852, Reprinted  in Penguin Classics 1986.

*2
David Brion Davis. The Problem of Slavery in Western Culture. Ithaca: Cornell University Press, 1966. (画像はPelican Books edition)  
デイヴィス教授はその後1970年にイエール大学へ移られ、奴隷制度史研究の第一人者として、多くの栄誉ある賞なども受けられ、今日でも研究、著作活動を続けておられる。
Sterling Professor of History Emeritus and Director Emeritus, Gilder Lehrman Center, Yale University.

*3
高野フミ編『『アンクル・トムの小屋』を読む』(彩流社、2007年)は、この作品を小説、宗教、女性運動、ジャーナリズムなどの多角的観点から批評、論じている。記憶を確認する上でも大変有益だったが、『アンクル・トムの小屋』が刊行されてからすでにかなり長い年月が経過しており、現代の読者のために日本における受容の歴史についての言及が欲しい思いがした。


 

コメント
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