荒野の洗礼者聖ヨハネ
Georges de La Tour, Saint Jean-Baptiste dans le désert,
c.1345-1350, Vic sur Seille, Museé départmental Georges de La Tour
Courtesy of Olga's Gallery
一人の若者が憔悴しきった表情で、目を閉じたまま、子羊にえさを与えている。時間や場所は昼とも夜ともつかない不思議な状況である。しかも、場所を想定できるような背景も、ほとんど描かれていない。背景にかすかに廃墟の階段のようなものがみられるだけである。画面は濃淡ある褐色と赤茶色でおおわれている。左上部のどこからか、光が若者の肩に落ちている。若者がすがっている唯一のものは、十字架の形をした素朴な杖一本である。他に荷物のようなものもなにもない。
若者の目が閉じられているだけに、活力らしきものが、感じられるのは、若者が草を与えている子羊の目だけである。それも頭部だけしか見えていない。光は若者の表情を映し出すには十分ではない。若者は苛酷な旅に疲れ果て、ただ目前の子羊に力無く草を与えているかに見える。光と色彩は大変柔らかであるが、陰鬱といってもよい色調である。
神秘な光
しかし、しばらく見ていると、全体から不思議な静謐感と神秘感が漂ってくる。蝋燭とか太陽や月の光のような自然光でもないのだが、若者の身体の中からであろうか、淡い不思議な光が画面を照らしている。一見すると苛酷な旅に疲れ果てた若者が、連れ添ってきた子羊に草を食べさせているかに見える情景だが、次第に見る人を癒し、なんとなく力づけるような印象に変わってくる。
一人の若者ヨハネ
荒野を旅する洗礼者ヨハネを描いたものとみられるが、聖人というイメージはない。キリストの受難の十字架と犠牲と贖罪の象徴である子羊(アトリビュート)が描かれていることで、画家が目指したテーマは、自然に伝わってくる。新約聖書の洗礼者ヨハネの物語は、謎が多い。キリストとは、母親同士が従姉妹の関係にあったともいわれる。日常はらくだの毛皮を着て野の草を食べて生きていたといわれる。その人がある日荒野から現われ、すべての人に悔い改めることを説いた。洗礼者ヨハネはイエスを来たるべき救い主として選び、イエスもヨハネをヘブライ人の預言者の中で最も偉大な者と認めていた。
しかし、ヨハネの生涯は苛酷な試練に満ちていた。あのサロメの死の踊りにつながる。
作品はヨハネが生活と預言者として生活の場としていた荒野を想定したものだろう。
劇的な発見の経緯
ラ・トゥール、最晩年の作品と推定されるが、その発見の過程からして劇的であった。今回の「国立西洋美術館ラ・トゥール展」のカタログによると、1993年10月、パリのドルオー競売所で、競売に先立つ説明資料もないままに陳列されていたものを、当時のルーブル美術館絵画部長ピエール・ローザンベールによって発見された。フランス政府は、ラ・トゥールの評価が高まって以来、作品の海外流出には国威をかけて対応してきた。94年9月には「輸出許可証明書」がフランス文化相によって拒否され、3年間にわたり国外持ち出しが禁じられた。そして、紆余曲折を経て、翌年12月にモナコのサザビーズでの競売において、フランス政府がモーゼル県に先買権を与えた。同県は一般からの寄付と、ロレーヌ地方と政府による資金提供で、この絵を取得した。そして、2003年6月に開館が予定されていたヴィック=シュル=セイユ(ラ・トゥールの生地)の「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館」に収まることになった。同美術館も願ってもない素晴らしい作品を得たことになる。
静かな感動を与える名作
美術史家の研究成果で、カラバッジョの「洗礼者ヨハネ」(ローマ国立美術館[コルシーニ宮])ときわめて似た特徴がある。カラバッジョの作品も、聖ヨハネと背景に蔦のからんだ樹木が描かれた簡素なものであるが、リアリズムの特徴は強く残っている。他方、ラ・トゥールのこの作品は、彼のひとつの特徴でもあったリアリズムとは遠く離れて、最小限に簡素な描写に徹している。よけいなものはなにもない、本質的な部分の描写に徹している。ラ・トゥールという画家は、自らの考えを伝達するに必要なものは細密に描くが、それ以外のものはいっさい描かなかった。そして、今日に残る作品をみると、この画家が驚くべき幅のある画風を一身に体得していたということ自体が、きわめて驚きである。
この作品の作者の確定については、当初は異論もあったようだが、今日ではラ・トゥールということで一致を見ているようだ。真贋論争を引き起こさない、圧倒的な素晴らしさが画面から伝わってくる。ラ・トゥールのこれまでの作品を見てきたかぎりでは、驚嘆すべき画風の変容ぶりである。人生晩年の作品ということもあって、極度に単純化された様式をとりながらも、高い精神性を内包し、見る人に強く訴える素晴らしい作品である。
国立西洋美術館の「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」もいよいよ終幕である。しかし、ラ・トゥールを追っての旅は、これからも続く(2005年5月28日記)。